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『ハマヒルガオ』第2話:選ばれしもの


第2話:選ばれしもの

 
 今年で十二歳になった六夏(りくか)は、間もなく小学校を卒業する。

 中学生になったら、この御宿町を抜け出し、家出をすることを企てていた。波長の合わない父への嫌悪と生理的な拒絶はますます強いものになっていて、同じ屋根の下にいることは耐え難いことであったし、この御宿町は、夏に観光客がこぞってやってくる御宿海岸というビーチ以外には、取り立てて目立ったものがない死ぬほど退屈な町でもあったから。そして何より、祖父に託された手記にある、日の本と出雲と夷隅という阿泉三角形に隠された日本の歴史の秘密について、どうしても突き詰めてみたかったのだ。

 そもそも、日本列島を象る巨大魚とは一体何のことだろうか。オオクニヌシの本来の姿? それが蘇る? 六夏にはさっぱりイメージができなかった。まずは巨大魚の顎の付け根とされる、日の本へ行ってみて、その目で坂上田村麻呂が打ちこんだとされる「日本中央の碑」を確かめてみようと思った。だが、どうやって行くべきか。

 それにはまだ、小学生の六夏には自分一人の力で行動できる範囲は限られていた。経済力も、計画を遂行するための実行力や想像力も不足しているからだ。せめてこの御宿町を飛び出して、たった一人で千葉の中央や東京のような大都市に行けるくらいの行動力を示したい。となると、やはり中学生で家出を実現させるというのは現実的ではない。せめて高校生になってからかとも思うのだが、そのためにさらに三年の月日をこの御宿町で過ごさねばならないのかとも思うと、絶望に近い思いが強まる。

 そんなことをあれこれ考えていると、いつの間にか、すーっと体の緊張が解れ、尻の下で、ぽとりという水が撥ねる音がした。

「出た」

 六夏は思わず歓喜のために両拳でガッツポーズをする。すると、トイレのドアを叩く音があり、「ちょっと六夏、いつまでトイレに入っているの。睦斗(むつと)も入りたいって言っているから、早く出なさい」という母の声がして、六夏は思わずはっとなる。睦斗とは、六夏の三つ下の弟である。

「一階のトイレ使えばいいじゃない」

「そっちはお父さんが使っているのよ、あんたはもう三十分以上入っているわよ。一人で住んでいるわけじゃないんだからね、他の人のことも考えなさい」
 
 トイレに籠っているタイミングが父と同じであったという事実がわかってしまい、そのシンクロに、六夏は吐きそうなくらいの嫌悪を覚えた。

「昼ご飯はどうするの?」と母がトイレから出てくる六夏に声をかける。

「食べる」

「冷蔵庫に冷やし中華があるから、自分で食べて」

 父と食事のタイミングを一緒にしたくない六夏は、リビングに父がいないことを祈ったが、はたして父は一人テレビの前のソファで、冷やし中華をズルズルと音を立てて啜っていた。六夏は思わず心の中で舌打ちをする。父とは挨拶を交わさない。父もそれがわかっているので、六夏がリビングに入って来ても、振り向こうともしない。いつからそんな感じになったかは覚えていないが、六夏はとにかく父というものが嫌でたまらなかったのだ。その存在自体が厭わしい。もちろん、思春期に近付いているせいもあったが、それだけではない理由がある。

 父は、変わってしまったのだ。六夏が好きだった父は、祖父と言い争いをしたり、母を怒鳴りつけたりするような父ではなかった。高級時計や金色のネックレスを身に着けたり、外車を乗り回したりするような父ではなかった。
 阿泉家に嫁いでくる前の父は、不動産の営業マンをやっていたという。学生時代からラグビーをやっていたこともあり、その体は、どちらかというと虚弱体質にある阿泉家の人間には似つかわしくないほどの大きさと厚みがあった。昔の父は、まるでクマのプーさんのような愛らしさがあったが、今はなりふり構わず、人を寄せ付けないくらいの圧力を発している。なぜこのような極端な変化が現れたのか。明確な理由はわからないが、父がそれまで勤めていた会社を辞め、自分の会社を経営するようになったことと、祖父との言い争いが絶えなくなった時期を同じくしていることから、父と祖父の間で、なにかしらの揉め事があったのではないかと六夏は睨んでいる。

 阿泉家は先祖代々、この御宿で広い土地や山を所有する地主であった。どういう生業でお金が入ってくるのか、六夏には知る由もないのだが、祖父はこれまでただの一度も会社勤めをしたことがないというのだから、相当なお金が入ってくるのであろう。ただ、阿泉家は取り立てて他の家よりも贅沢をしているというわけでもない。祖父の方針は、必要最低限の暮らしができれば十分というものであったから。しかし、莫大な資産なり土地なりを所有しているというのは、町の人間らの祖父に対する接し方を見ていれば、なんとなくわかった。

 その阿泉家が護ってきた資産を、祖父は生きている間に父と母に相続し、そこで何らかの揉め事があり今に至っている。十二歳の六夏はそこまでを推測していた。そうでなければ、祖父と父の関係性が、なぜこうも突然に悪化したのか、まったく説明がつかないのだ。しかし、そのことを祖父や父に直接訊ねるには、六夏は未熟すぎた。そんなことは子供のお前が知ることではないと返されるのがオチであろうから。

 冷蔵庫から、皿に盛られた冷やし中華を取り出し、ラップを外す。六夏はキッチン傍の食卓に座り、父の姿が自分の視界に入らないように背を向けて、一人食事をとった。
 父は甲子園の高校野球を見ていた。スタンドの応援団の歓声と吹奏楽部の演奏が、やかましいくらいの音量で聴こえてくる。父が好きなものは、六夏にとっては嫌いなものの対象であった。だから、体育会系の父が好きな野球やラグビーのような団体競技を六夏は好かない。六夏が好きなスポーツは、自分が昔から得意とする水泳や素潜り、弟の睦斗がやっているサーフィンくらいである。

 弟は七歳の頃からサーフィンをやっていた。御宿町の男の子であれば、波乗りは一度や二度くらいはやってみる遊びではあるが、本気で続けることができるものは稀である。睦斗は、同い年の男の子の中でもずば抜けた才能を持っていて、今では、サーフショップの店長ら大人たちに交じって波乗りをしている。なんでも睦斗は、「御宿サーフ界、期待の新星」なのだそうだ。六夏もこれまで、毎週末の早朝、サーフィンの練習に行く睦斗に付き添って、御宿海岸まで出かけていた。六夏はただ一人、御宿海岸を一望できる砂丘の上に座り、波乗りに興じる睦斗の姿を見ていた。そうやって過ごす時間がたまらなく好きなのであった。ところが、ある時期から睦斗は、六夏が海について来ることを拒むようになった。
六夏がその理由を問うと、

「姉ちゃん、自分のことをオオクニヌシの末裔だとかって言っているんだって? それで、予言なのかなんかしらないけど、いつか御宿に大津波がやって来る。この町は消えてなくなるとかなんとか、変なこと言いふらしているらしいじゃん」と睦斗は語気を強めて言う。  

 睦斗に指摘されたことは事実であったが、どうもそれによって、阿泉六夏は変わった人間であるという話が、学年を飛び越えて出回っているらしく、三つ下の睦斗にもその噂が、耳に届いているのだという。

「変な人の弟って思われたくないんだ。だから、そういうことやめてくれる? どうせまたお祖父ちゃんから出鱈目な話聞かされたんだろう? お祖父ちゃんの言うことなんて、まともに信じちゃダメだぞって、お父さんが言ってたぞ」

「なんで出鱈目だって言えるのよ」と六夏はむきになって返す。

「根拠がないんだってさ。夷隅と出雲が関係しているとかどうとか、史料が一切ないから証明できないって、お父さんが言っていたよ」
 
 薄くて柔らかそうな唇から伝ってくる、妙に大人ぶった生意気な言葉は、もはや六夏が知っている、可愛い弟としての睦斗のものではなかった。

――御宿に大津波がやってくる。

 それはお祖父ちゃんが言っていたことではないし、予感でもない。それは、私がこの目で見てきたものなのとは、口が裂けても言えなかった。
 
 食事をとり終えた六夏は、食器を流し台に置き、父に一瞥することもなくまた自分の部屋へと戻っていった。もちろん、私だって祖父の言うことすべてを真に受けているわけではない、と六夏は反芻する。
 大江健三郎や寺山修司、アラン・ドロンのような文化人と同世代であることを自慢げに語る祖父は、若い頃から作家になりたかったようで、もしかしたらノーベル文学賞は大江ではなく、儂がとっていたかもしれん、と酒を飲むたびに嘯いていた。そんな祖父のことだから、嘘とも真ともつかぬ話はいくらでも作れたであろう。しかし、祖父自身がある時、六夏にこう語るのであった。

「儂とて、阿泉家の言い伝えなどまったくの作り話だと思っていたさ。先祖の戯言、いくらでも語れる創作に過ぎないとね。だが、儂が丁度、三十歳の時だったか。ある時、田村麻呂に討たれたのちも、鬼王とも悪路王とも呼ばれ伝説として語られていたあの大武丸様が、儂の夢の中に出てくるという体験をしたんだ。大武丸様はこう言った。お前はやがて妻を娶り、その女は、子である女を産むであろう。そしてその女がまた次の女を産む。その女のうちの何人目かは、あらゆる争いを調停するにふさわしい能力を持って、現世(うつしよ)に生まれてくるだろうとね」

 祖父の文斗はその年に、六夏にとっての祖母である、今は亡き弓子と出会い、女の子を授かることになり結婚する。弓子から産まれた子が、六夏の母、波月(はづき)である。これですっかり祖父は、阿泉家の言い伝えを信じてしまったようだ。さらに娘である波月が、女の子、つまり六夏を産んだということで、祖父は一層にその夢の内容について、確信を強めたのであった。祖父は、孫娘である六夏を、尊ぶように可愛がった。そしていつか、阿泉家の歴史をこの子にも言い授けようと、決心していたのだという。
祖父の手記の最後の方には、こんなことも書かれてある。

今まさに、このオオクニヌシの力、すなわち巨大魚の封印が弱まりつつある。誰かが意図的にそうしようとしているのか、自然にそうなっているのかはわからない。一つだけ言えるのは、この巨大魚の復活は、何が何でも食い止めなければならないということ。そうでなければ、三千万年前に形作られたとされる、日本という固有の地は、二度と同じ形を留めることなく破壊されてしまうことになるであろう。その事態を阻止できるのは、唯一、夷隅に住まう阿泉家から出てくる選ばれし人間である。日の本の地と、出雲の地が、その人間をしかるべき行動へと導くことであろう。しかしそれは一体どの代で、どの人間に覚醒するものであるのかは、誰にもわかっていない。また、どのようにして巨大魚の蘇生を鎮めるというのか、想像にも及ばない。われわれが唯一できることは、この選ばれし人間が現れるまで、阿泉家の血を絶やしてはならないということである。

『阿泉家の歴史と賦霊の力について』561頁


 手記には、はっきりと名言されていないものの、祖父はことあるごとに六夏にこんな話を刷り込んできた。

「儂の直感だが、六夏、お前こそが阿泉家の選ばれし人間である気がしてならない」

 六夏も最初こそ疑心暗鬼であったが、こうして六百ページにまで渡って書かれた祖父の手稿を目の当たりにすると、祖父の尋常でない思いが伝わってくるし、そうまでして残さねばならないこの阿泉家の歴史とは一体何であろうか、という思いになってくる。仮にそれが、祖父の狂気にも近い妄想の類であったにしても、祖父を突き動かしている何かがある。むしろその「何か」を突き止めてみたいとも思うのであった。

 そのようにして、祖父の手稿に接していくうちに、六夏もまた少しずつではあったが、自分が阿泉家の人間の一人であるということを自覚し、もしかしたら、選ばれし人間とは自分のことではないのだろうか?と、薄っすらとではあるが、意識するようになっていた。


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