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宗教や信仰についての雑記 #35

◯「宗教と過激思想」を読んで

先日、「宗教と過激思想 現代の信仰と社会に何が起きているか」(藤原 聖子 著)という本を読みました。
この本では、イスラム教、キリスト教、仏教、神道、ヒンズー教、ユダヤ教、それぞれの過激思想を紹介し、その背景などを解説していました。

それぞれに独自の状況があったようなのですが、それらに共通する点もありました。
それは、差別や抑圧や、貧困や頽廃など、そういった社会の歪みにより多くの人々が苦しんでいたことが、その背景にあったということです。

無論、だからといってテロ行為は許されるものではありません。
あるイスラムの過激思想家が「人の考えた思想は人を支配する、だから神の定めた法に従う」というような意味のことを言ったそうです。
でもそこには、神の定めた法でさえも人を支配するために利用される危険性もある、という視点が欠けているように思えます。
しかし、その言葉の前半の「人の考えた思想は人を支配する」というところまで無視するべきでもありません。

「宗教は人を支配するための権力装置だ」という批判があります。実際にそういうこともあるのも事実だと思います。
でもそのような権力装置は、社会の中にある、宗教以外の様々な機構にも潜在するとも思います。
宗教はダメ、それ以外ならOKという単純なものではないのでしょう。

我々は複雑なものを単純化して考えようとする傾向があるようです。そのほうが脳の負担が少ないからです。
でも物事を単純化して、全か無かの思考や行き過ぎた一般化のような歪んだ認知をしていると、そのことがマイナスの気分を生み出してしまうこともあるそうです。

「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉があります。これは、不確実なものや未解決のものを受容する能力のことだそうです。
今、我々に必要なのはそういった能力なのではないでしょうか。
そして、複雑なものを複雑なまま受け入れ、理解しようとする姿勢が求められているようにも思います。
それらの能力や姿勢が、過激な思想に陥らないために必要なのだと、この本を読んでそんなことを考えました。

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