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宗教や信仰についての雑記 #133

◯原罪

キリスト教には原罪という概念があるそうです。
この言葉はクリスチャンでなくても、多くの方が一度は耳にしたことがあると思います。

これはエデンの園にいたアダムとイブが、神の命に背いて善悪を知る知識の木の実を食べたという罪が、その後の全人類に及んでいるということだそうです。

また、仏教には「無明」という言葉があります。
これは仏教の説く法に暗いことを指しているそうてす。
この仏教の説く法には「無分別智」というものがあります。これは主観と客観の対立を離れた絶対的な智慧のことを指し、物事を概念や言葉で分析的に捉えるのではなく、ありのままの姿を直接的に見抜く智慧とのことです。

善悪を知る知識の木の実を食べるのが罪であること。
無分別智を知らないのが無明であること。
この二つはどこか似ているような気がします。

言葉を持たない動物には善悪の区別は存在しません。善悪を持つのは言葉を操る人間だけです。
そう考えると原罪も無明も、言葉を問題視しているように思えます。

「目に見えないもの」という言い方がよく聞かれますが、この場合の「見る」とはただ単に視覚的に感じ取るというだけでなく、概念として認識するという意味だと思います。

ですから原罪や無明は、言葉を超えるものがあるということを観ようとしないことが罪や苦悩の源になっている、ということを指しているようにも思えます。

原罪をギリシャ語では「ハマルティア」と言うそうで、これは「的外れ」という意味だそうです。
言葉で表されるものが全てだと思うと、大切なものを見失ってしまう、我々は皆誰もがそのような傾向にある、ということなのでしょう。

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