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宗教や信仰についての雑記 #155

◯夢の舞台

先日、家の近くのあるアパートに「ドリームステージ」という名が付けられていることに気づきました。
たいして大きくもなく豪華でもない普通のアパートなのに、「夢の舞台」という名はずいぶん大げさだなと思いました。

もしかしたら、そこでの生活が夢の舞台への一歩となってほしい、という願いが込められていたのかもしれません。
そこで振り返って、私は今夢の舞台に立っているのかと考えてみると、あまりそんな気がしないことにも気づきました。と同時に、本当にそうだろうか、という感覚も覚えました。

もし仮に我々の体内にある精子や卵子が心を持っていたなら、それらにとっての夢の舞台とは、受精して子宮に着床することなのかもしれません。
そして受精卵が心を持っていたなら、それにとっての夢の舞台は、無事この世界に生まれ出ることなのでしょう。

そうであるならば、私のこれまでの人生は夢の舞台であって、その上でずっと演じ続けてきたことになります。

「生まれてこなければよかった。」
多くの人はそんな思いに、少なくとも一度は囚われたことがあるのではないでしょうか。
夢を見て夢破れ、希望を持って絶望し、怪我や病に苦しんだとしても、それらのことに何の価値もなかったと、誰が断定できるでしょう。
実をつけることなく、誰にも愛でられることなく、散ってしまった花を、誰が何の意味もなかったと断言できるでしょう。
もし仮にその花が心を持っていたなら、夢の舞台の上で己が命を、精一杯咲かせて散ったことに誇りと喜びを感じたのだと、そう信じたいです。

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