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宗教や信仰についての雑記 #234

◯苦悩や不遇の原因

前回、苦悩や不遇の原因を、自律的な活動による自己組織化の阻害や、物質や情報の遮断と述べましたが、それ以外に原因があるようです。

それは我々の、サブシステムとしての認識能力の限界ということでしょう。
先日の投稿(#227)でも書きましたが、超越者はオートポイエーシス・システムとしては無限なので、そのシステム内には確率的な因果関係や非線形的な因果関係、そして、非局所的な相互作用といった特質が存在していて、単純で局所的な因果関係のみでは捉えきれません。
ですが我々には認識の限界があるため、そのような事態を観察することができません。
そのことが、我々の意識の中にある宇宙観と現実との間に齟齬を生じさせ、それが苦悩やときに不遇をも招きます。

また、我々は超越者とフラクタルな関係にありますが、決して無限ではなく、有限なる存在です。
無限なる超越者の延長された自己でありながら、そこには必ず終りがあるのです。個体の死は、システム全体の再構成の一過程であり、絶え間ない自己組織化の中では避けられないことです。そのこともまた、苦悩の原因となり得るのでしょう。

仏教の言う「苦」とは「思いのままにならないこと」だそうです。それは上記のようなことを表しているのかもしれません。

でも、先日の投稿(#231)で書いたように、もし宇宙に意識のようなものが存在し、人間の意識が宇宙の意識と繋がっているならば、個体の死後も、意識の一部は宇宙の意識の中に残り続ける可能性が考えられます。
無論それも、我々の認識能力を超えたことです。それは理屈ではなく、信じるしかありません。しかし、そのことを信じられたら、それもひとつの救いとなるのでしょう。

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