宗教や信仰についての雑記 #280
◯書くということ
先日、ブログなどの下書きを書いているとき、ふと、「書く」ということはそもそもどういうことなのだろう、という問いが浮かんできました。
宗教的な観点から考えると、書くということでまず思い浮かべるのは、経典を書く、あるいは書き写すということです。
神からの啓示として受け取ったものを、文字にして書き留めるということは、神との会話であり、また己自身との会話でもあるのだと思います。
そして数少ない経典を書き写すといことは、神の教えを広めるための神聖な使命のひとつ、ということになるのでしょう。
また仏教では写経という行があります。これは経典を書き写す行為そのものによって、心を鎮め、仏の教えを深く理解し、自我を滅するための修行のひとつだそうです。
その他にも書くといことには、内なる世界の外部化、アイデンティティの形成、自己変革の触媒、現実の再構築、思考の拡張、新たな世界の創造、他者との共感、社会への貢献などといった、様々な意味があるようです。
また、心の内に潜む苦しみを外へ書き出すことは、ストレス解消や心の癒しにもつながります。
このように「書く」ということには様々な意味があるようなのですが、それらの根底には未来への希望、あるいは信頼のようなものがある気がします。それがあるからこそ、人は「書く」ということができるのではないでしょうか。
それは見方を変えれば「願い」や「祈り」に近いものなのかもしれません。
「書く」ということの深層には、そんな宗教や信仰と源を一つにとする何かがある、そんなふうにも思えてきました。