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小説|腐った祝祭 第ニ章 5

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 そしていつものように、その日もサトルはリラの木の下でぼんやりしていた。
 そこにミリアが歩いてくる。
「サー。お電話がありました」
「誰から?」
「ベラ様です」
「へえ。久し振りに聞く名だ。何か用だって?もう旦那の一周忌かな」
 そんな訳はなかった。
 ミリアは続けた。
「なんでも、会わせたいお方があるとか。これから、こちらにいらっしゃるそうです」
 サトルは不機嫌に眉をひそめた。
「なんだって?クラウルが承知したのか?」
「はい。ベラ様のご訪問を断ることは出来ないからと」
「ふん、面倒だな」
「でも、サトル様。誰かにお会いになるのはいいことだと、私も思いますわ。大きなお世話だと言われるでしょうが」
「言うよ」
 サトルはそう言ったが、すぐに微笑んだ。
「怒ってないよ。ありがとう、ミリア。心配してくれているのは判ってる。でも気にするな。私は元々こういう男だよ。みんなは忘れてるんだ。私が怠惰で、偽善的で、傲慢なただの女好きだってことをさ。ナオミはいい女だった。毎日楽しかったよ。でも、精神的にも肉体的にも疲れる女だった。まあ、この辺でやめておくか。あまり口が過ぎると君から嫌われかねないからね。ただ、その反動で、今は少しのんびりしているだけさ」
 ミリアは少し目を伏せ、それから言った。
「お召し替えをなされますか?」
「そうだね。服が泥だらけだからな。これじゃベラにも嫌われる」
 サトルは立ち上がり、服の尻をはたいた。
「それで、誰かを連れてくるんだって?女でも紹介してくれるのかな」
「さあ。女性ではあるようでしたけれど……」
「へえ。そりゃ楽しみだね。うんとめかし込んで待っていよう」

 サトルは着替えをすませると、居間でルルの写真集をめくりながらレモンティーを飲んでいた。
 リディア湖の景色を眺めていると、ミリアがドアを開けた。
「サー。ベラ様がいらっしゃいました。お連れの方とご一緒に中庭でお待ちです」
「中庭?」
「ええ。花がとても綺麗なので、散歩をしたいとおっしゃって」
「ふうん。判った」
 サトルは写真集を閉じて部屋を出た。

 玄関から庭に出る。
 リラの木を見上げる女がいた。
 本当は二人いたのだが、不思議とベラの姿に初めは気付かなかった。
 サトルの目には黒い髪の女だけが映った。
 肩までの長さで、柔らかなウェーブが入っていた。
 サトルがその方を見て立ち止まると、ややして女は振り向いた。
 サトルは一瞬、目眩を覚えた。
 その女をナオミのように感じたからだ。
 軽く首を振り、足を踏ん張り、もう一度よく女を見てみると、もちろんそれはナオミではなかった。
 しかし、ルルの女でもなかった。
 隣に立っていたベラが声をかける。
「お久し振りね、サトルさん」
「ええ。いらっしゃい、ベラ。わざわざ来ていただいて嬉しいです」
 サトルは言って、二人に向かって歩く。
 黒髪の女は黒っぽい服を着ていた。
 あまり春らしくはなかった。
「ご紹介するわ。こちらカレンさん。あなたのお国の人よ」
「これはこれは」
 二人の前に立ち、サトルは会釈する。
「はじめまして」
 と、カレンが言った。
「はじめまして」
 カレンの黒髪は艶やかで美しかった。
 顔立ちも綺麗な方だ。眉は黒く凛々しいが、色気もある。体つきはナオミよりもメリハリがある。
 タイトなドレスを身に付けさせれば、大抵の男は目を奪われるだろう。
 そう。
 ナオミが選ばなかったようなドレスを着れば。
「驚きました。ベラに私の国の女性を紹介してもらうなんて」
「そうでしょう」
 ベラはいたずらっぽく微笑む。

 場所を本館の居間に換えて、三人は話をした。
 出会ったのは三日前だと言う。
 ルルに旅行で来ていたカレンは、ベラの美術館を訪れていた。
 ベラは仕事で事務局に寄ったあと、一人で美術館を見て回った。
 一般客に紛れて鑑賞するのは珍しいことで、その時は美術品よりも客を見る方が楽しかったそうだ。
 その客の中に、顔色の悪い異国の女を見つけた。
 それがカレンだった。
 カレンは動悸を訴えてうずくまったので、ベラは彼女を医務室に連れて行った。
「本当。あの時は驚かせてしまってごめんなさいね、ベラ」
 カレンはそう言った。
 この三日で、二人はすっかり仲良しになったらしい。
「いいえ。お陰であなたとお友達になれたんだもの。サトルさん、彼女は占い師だそうよ」
「占い師?」
「ね、カレン。本業なのよね」
「ええ」
 カレンはサトルを見て笑った。
「うさん臭い奴だと思ったんでしょう?」
「そんな事はないですよ。驚いただけです」
「いいのよ。国にはうさん臭い占い師が沢山いるものね。ベラから聞いたけど、ルルにはあまりいないそうね」
「そうですね。ルルの信心深い人たちは占いを信じませんから。でも、皆無ではありませんよ。法律で禁じられてはいませんからね。占星術師に偶に出会うこともあります。あなたはどんな風に占いをされるんですか?」
「一応、タロットカードを使うの」
「一応?」
 サトルは意味が判らず笑顔で聞いた。
 カレンも首をすくめて、照れ笑いのような笑い方をする。
「そう、いい加減なのよ。ね、ベラ」
 ベラはウフフと笑った。
 二人はまるで古い友人のように、気安く言葉を交わしていた。
 実年齢でどうなのかは不明だが、カレンの方が大人びている。
 少なくとも、立場的にはそう見えた。
 子爵夫人は、すっかり黒髪の女に懐いていた。
「カレンは凄いのよ。本当はカードがなくても占えるの。だけど、何かアイテムがないとそれらしく見てもらえないからタロットを使っているのよ。でも、彼女の占いは凄く当たるんだから」
「それではまるで、霊能力者みたいですね」
「私はきっとそうだと思ってるわ。本当に不思議なんだから」
 ベラが称えるのを、カレンは涼しい笑顔で聞き流していた。
 聞けば、グリーン卿の亡くなった日を言い当てたらしい。
 しかし、そんなのは新聞を読めば判ることだと、サトルは心の中で思っていた。
 占いなど信じてはいなかった。
「それでは、何か私について判ることがおありですか?」
 サトルは人の好い笑顔でそう聞く。
 嫌みな雰囲気は少しも表に出さないように気を使って。
 それは成功していただろう。
 そういったことはサトルの得意な分野だ。
 カレンはサトルを二秒ほど見て、フッと笑ってコーヒーカップに手を伸ばした。
 サトルは気になったが、それよりも先にベラが言う。
「あら。今のは何かしら?」
「いいえ。ただ、あまり言わない方がいいと思って」
 カレンは首を振ってコーヒーを飲む。
 サトルは何となく癇に障った。
 それでも穏やかに言う。
「いや、それはいけないな。ちょっとそれは思わせ振りですよ、カレン。判ったのならおっしゃって下さらなければ」
「ほら、お許しが出たわよ」
「そうね。でも」
 カレンはカップをテーブルに戻した。
 困ったようにサトルを見つめる。
「何について話をするか決めていただけないかしら?私の場合、そうじゃないと、取り止めがないことをどんどん喋ってしまうのよ。自分で上手く整理できないのね。だからどういった事についてか、具体的に聞いて欲しいの」
「なるほど。そうですね」
 サトルは腕を組んだ。
 別に何だっていいよ。と、心で思いながら。
 ベラが言った。
「あなた、先刻、庭が見たいと言ったわね。ここに来てすぐにそう言ったわ。ねえ、サトルさん。カレンったら、まだ中庭があるなんて聞かないうちに中庭を見たいと言ったのよ。不思議でしょう?」
「駄目よ、ベラ。そんなことを大使に言っても無駄だわ」
「あら、どうして?外から敷地内は生垣で見えないじゃない。あなたどうして判ったの?」
「建物の造りを見れば、何となく真ん中に庭があってもおかしくないって、誰でも判るわよ。そんなこと、大使は不思議がったりしないわ」
「あら、そうかしら」
 カレンの言うことは正しかった。
「そうですね。でも、中庭を見たいと言ったのに理由があるのなら、ぜひお聞かせ願いたいですね」
「ライラックの香りがしたからよ。それだけの事だわ」
「中庭から香っていると判ったの?」
「いいじゃない、ベラ。もう止しましょうよ」
 ベラはキョトンとして、サトルに目を向けた。
 サトルの胸のうちに挑戦的な気分が湧き出ていた。
 なんだろう、この感覚は?
 カレンはわざとそう仕向けているのだろうか?
 サトルはカレンに言う。
「どうぞ。気になる事があるならおっしゃって下さい」
 言われると、カレンは先程よりも長くサトルを見つめた。
 そして、仕方ないという風に、艶のある微笑を口に浮かべた。
「とても甘い香りで心地良かったわ。とても楽しい思い出の香りがしたの。とても幸せな気分を感じた。でも、何処かから淋しい気分も流れてきていたの。それは南の風に乗って運ばれているようだった。南向きに裏庭があるって聞いたから、そちらも見てみようと思った。だけど行けなかった」
 あきらめるように言葉を途切らせる。
「そうね。あなた、途中でもういいって、引き返して中庭に戻ったもの」
「どうしてですか?」
「言っていいのかしら?」
「どうぞ」
「誰かがあの庭で死んでる。それがとても怖かったの」
 射るように見つめるカレンを、サトルは無表情で見つめ返した。
 そして、ふっと笑いが込み上げてきた。
「面白いことを言いますね、カレン」
 そして、驚いているベラに目をやる。
「ベラ」
 ベラは呼ばれて、はっとサトルに顔を向けた。
 そして言った。
「違うわ、サトルさん。私、何も言ってないのよ。カレンに、あなたのプライベートな事は何も話していないわ。大使とは友達だから、何かと助けになってくれるかも知れないって言っただけよ。それにあなたも、自分の国の人と会うのは楽しんじゃないかと思ったの。だってあなた、最近さっぱり顔を見せないし、みんな心配して、」
 サトルは手を振った。
「いいんです。判りましたから。あなたは確かに、ナオミの話を赤の他人に吹聴したりはしていないんでしょう。でも、ナオミのことは新聞にも載ったし、雑誌にも載ったんだ。知ることは簡単です。裏庭で、酔っ払って凍死したなんて話は、この街の人間なら誰でも知ってることだ。私の女性関係に悩んだ上での自殺じゃないかなんて噂も出てるくらいですからね。別にいいんですよ。誰に知られようと。しかし、これは悪趣味じゃないかな?カレン。どこで仕入れた話か知らないが、霊能者ぶって人をからかうにも限度ってものがあるように思いますね」
「新聞?雑誌?そう。まあ、そう思いたいのならそう思っていればいいわ。あなたをどうやら傷付けてしまったようね。ごめんなさい」
 カレンは立ち上がった。
 サトルも、ベラも、続けて立った。
「でも、私はこの国に来て、まさか大使館に足を運ぶ事になるとは思っていなかったわ。そんなことは私だって判らないの。予言者じゃないのよ、私は。その間に私がどうして、あなたについての過去の記事を調べるって言うのかしら。何の理由で?バカバカしいわね。私はあなたが言うナオミって人が誰かも知らないわ。ただ、あなたと関わりの深い人だったというのは、今は判るけれどね。それに、私は初めに言っていいのか聞いたはずよ?それでそんな風に私を非難するのは、おかしいんじゃなくて?」
 カレンは部屋を出て行った。
 ベラが慌ててついていく。
 サトルも部屋を出た。
 カレンはさっさと玄関に向かって歩いていった。
 サトルはベラの腕をつかまえた。
「ベラ。すみません。ついカッとなってしまった。許してください。あなたの友達を怒らせてしまって」
「いいえ」
 ベラは心細い表情で首を振った。
「平気よ。私が悪かったの。彼女があなたの役に立つのじゃないかと、そう思ったのよ。私には彼女に癒される部分があったの。だけど、安直だったのね。私がバカだったわ。ごめんなさい。でも、カレンは悪い人ではないのよ。判ってあげてね」
 どうだろう?それは簡単には判断できない。
「すみませんでした。馬車は必要ですか?ご用意しますが」
「いいえ。少し街を歩いて帰るからいいの。ありがとう。ねえ、サトルさん。私、本当に心配してるのよ。私だけじゃないわ。アーサーもオルバラ伯も、もちろん皇太子だって。あなたがみんなの前に姿を現さなくなって、なんだか火が消えたようよ」
「ベラ」
 ベラの手にキスをする。
 そして頬にあてた。
「許してください。でも、もう大丈夫です。そのうち、近いうちに皆さんに元気な姿をお見せできます」
「本当に?あなた、一人で悩むのはよくないわ。あなたは私を元気付けてくれたじゃない。私もあなたの力になりたいの。お友達でしょう?私にできる事があれば何でも言ってちょうだい。遠慮なんか要らないのよ。お互い、伴侶を失った人間だもの。あなたの気持ちは判るつもりよ」
「ありがとう、ベラ」
 でもきっと、違いますよ。
 あなたと私とでは。
「カレンに、言い過ぎたと……お伝えください」
「ええ。じゃあ、ここでいいわ。カレンにもあなたのこと悪く思わないように言っておくわ」
 ベラはサトルをいたわる様にそっと抱きしめ、玄関に走っていった。
 女中が慌てたように見送りに向かった。

 いったい何なんだ、あの女は。
 楽しい思い出の香りだと?
 ふざけるな。
 ナオミはリラの花を見ることもなかったんだぞ。
 サトルは忌々しげに、拳で壁を叩いた。

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