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小説|腐った祝祭 第一章 41

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 三月に入っても、街の雪はすぐにはとけない。
 馬車が雪を押し分けて地面を見せることもあったが、新たに雪が降ればすぐに白くなった。
 日中暖かくなった気がしても、夜は極端に冷え込んだりする。
 不安定で気ままな天候が中旬までは続くだろう。
 下旬に入ってやっと、雪が薄く消え始めるのだ。

 天気はよかった。
 寒いが、空は快晴だった。
 サトルは執務室を出て公邸の居間に向かっていた。
 これからナオミと出かける予定だ。
 ナオミは準備をしてそこで待っているはずだった。
 しかし、サトルの機嫌は悪かった。
 居間に入ると、振り向いたナオミはサトルの怒った顔を見て、怯えるように首を傾げる。
「どうしたの?」
「どうしたのだって?カリオペに電話したんだよ。君が何を買ったか知りたくなったんだ」
 ナオミは溜め息をつきそうな表情で目を伏せた。

 店の話では、確かにナオミはそこで服を購入していた。
 だが、数は少ないが婦人服のおまけのように揃えてあった紳士服から服を選んで、それを自分に合うように補正して買っていったという事だった。
 それに着替えて深めの帽子をかぶり店を出て行くナオミは、ちょっと見には小柄な男のようだったらしい。
「私の自由にさせてくれるんじゃなかったの?どうして調べたりするの?」
「心配だったからだよ」
「いいじゃない。どんな服買ったって」
「いいよ。理由を言えばね」
「散歩したかったのよ。でも、怖かったから、変装しようと思ったの。男の格好をしていれば、少しは安全でしょう?」
 ナオミは急に訴えるように顔を上げた。
 それは芝居染みていた。
 いつからだ?こんな風にわざとらしい仕草をするようになったのは。
 嘘をついているのか?
「それなら、帰ってきた時にはどうしてそれを着ていなかった?私に見せてくれればいいじゃないか。いや、以前の君なら面白がって見せてくれたはずだよ。アイリーン・アドラーのように、私を騙して試してみようと思ったかもしれないね。でも、君はこっそり着替えて帰ってきた。どこで着替えた?」
「……監視小屋」
「なんだって!バカか君は?そこまで来ておいて着替えたのか?よほど私には内緒にしたかったんだな。しかも警備員までグルだったとはね!」
「彼たちは悪くないわ。サトルさんに怒られるから黙っててって、私が頼んだんだもの」
「ああ、そうかい。そうさ、いつだって悪いのは君だ。君のせいで警備員が三人首になる」
 ナオミは驚いて首を振った。
「やめて。お願い。本当にお願い。首になんてしないで」
「じゃあ、どこに行ったか正直に言いなさい。君は約束したんだよ。遠くには行かないって。でも行ったね?また西の方に行ったんだね? 」
 サトルはすわっているナオミの前に片膝をついて、その腕をきつくつかんだ。
「だから私に内緒にしていたんだね?」
 体を揺すられながら、ナオミは仕方なく頷いた。
「そこには何があるんだ?それを見て何が面白い?危険な目に遭ってまで、どうしてわざわざそんな場所まで行くんだ?」
「私は……ルルの、いろんな町を知りたかっただけよ」
「もう充分だ。町は他にも沢山あるぞ。雪がとけたら連れて行ってやる。工業地帯も農業地帯も、牧場にも染料工場にも、どこにでも連れて行ってやる。でももう、一人ではどこにも行くんじゃない。君は私と一緒でなければ、もうどこにも行ってはいけない」
「私…」
「駄目だ。約束を破ったのは君の方だぞ。君が悪いんだ。文句は言えない筈だ」
「サトルさん」
「駄目だ」
 ナオミは大人しくなり、もう何も口ごたえはしなかった。
 ナオミの手を取って立たせる。
「出かけるよ。予定変更だ。列車に乗る」
「どこに行くの?」
「判らない。とにかく、どこかに」
 クラウルは誰か付き人を付けろと言ったが、サトルは馬車だけ用意させてナオミと駅に向かった。

 一時間待てば寝台特急が到着するというところだった。
 A級コンパートメントのチケットを取る事ができた。
 列車はルル国土の北に位置する山脈地帯を一周するような路線をとっていた。
 ルルの都市部は南側に集中している。
 山脈の北側は広大な農業地帯になっている。
 駅の中のレストランで、二人はコーヒーを飲んだ。
 寝台列車のリーフレットを広げてサトルは言った。
 それには路線図も乗っていた。
「東回りで山の北側の国境沿いまで行くよ。そこで車輌の一部は切り離される。僕らは切り離される側だ。そこから山に戻って、西回りで戻ってくる。ルルの東側には精密機械の工場が集中している。北は農業、そこから少し西に行けば酪農地帯だ。西は水の質が飲料に向いていて酒造業が盛んだ。ウィスキーの蒸留所なんかも沢山あるんだよ。ルルの酒は国外でも人気があるんだ。重要な輸出品の一つになっている。山に近い南西部の地域では服飾素材の加工業が盛んだ。列車に乗ってるだけできっといろんな場所が見られる。だけど残念ながら、今の時期はどこも雪に埋もれてるから、景色に代わり映えはしないだろうな」
「どれくらいの時間がかかるの?」
「明日の朝帰ってくる。山地を一周するくらいだったら早過ぎてつまらないんだ。国境沿いまで行けばゆっくり出来るだろう」
「綺麗な部屋?」
「当たり前だよ。A級スウィートだぞ。シャワーもリビングルームもある。ベッドも広い」
「そう」
「ナオミ」
「なに?」
「私を嫌いにならないでくれ」
「え?」
 ナオミは不思議そうな顔をした。
「好きなんだ」
 ナオミはテーブルの上に手を伸ばした。
 サトルはそれを握る。
 ナオミは言う。
「好きよ」
「こんな私でも?私は、君を許さないよ。本気で、君をもう一人で外には出さないようにするよ。それでも?」
「好きよ。私、あなたの奥さんでしょ?」
「そうだよ」
「あなたのことを一番に考えないといけなかったんだわ。ごめんなさい、サトルさん」
「約束してくれるかい?ずっと傍にいてくれ。私の傍に、ずっと」
「ええ。約束するわ」
 ナオミの両手を包んで額にあてた。
 ナオミの言葉を信じていない自分がどこかにいた。
 とても不安な気持ちだった。

 列車の小さな旅の間、ナオミはいろんな形の雪景色を楽しんでいるようだった。
 サトルは車窓の風景なんかほとんど記憶にない。
 始終ナオミの手をつないでいた記憶だけは鮮明に残っている。
 手をつないで展望サロンまで歩いていき、手をつないで食堂車へ行き、手をつないでバーでカクテルを飲み、手をつないでリビングで話をした。
 部屋で話をしていない時はキスをしていた。
 そして何度もナオミを抱いた。

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