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小説|腐った祝祭 第一章 10

 ナオミはサトルの用意したものを着てはくれなかったが、自分で持ってきていたワンピースを着て現れた。
 白地に黒の植物柄で、上には白いカーディガンを羽織っている。
 それはとても清楚でナオミによく似合っていた。ジーンズ姿も可愛くはあるが、やはりドレスの方がサトルの好みに合うようだ。
 食事中、ナオミは庭の散歩をした話をしてくれた。
 大使館の前庭には外からの視界を遮らないように背の高い木は植えられておらず、常緑の背の低い植木が配置されている。
 中庭はライラックと西洋アジサイなどが植えられていた。
 建物の裏とは言え、南向きで広い裏庭には、イチイ、イヌツゲ、ヒメリンゴ、常緑型の薔薇などがあった。
 敷地の正面以外の塀は、ぐるりと西洋柊で囲われている。
 ナオミは裏庭を歩いたらしい。途中、庭師に出くわしたので、少しのあいだ彼と話をしたという。
「朝は判らなかったけど、ヒメリンゴの実が沢山ぶら下がっていて、とても可愛かったわ。リンゴって言うよりサクランボみたいだった」
「花も可愛いよ。夏の初めに小さな白い花が咲く。最初は薄いピンク色に見えるけど、そのうち真っ白になるんだ。中庭の方へは?」
「いいえ。裏の庭が広いから、のんびり歩いているうちにすぐ時間が経っちゃったの」
「そう。中庭にはリラの木があるんだ」
 リラの木とはライラックのことだ。
「春になるとピンクの花が咲いてね、とても甘くていい香りがするよ。この大使館の景色は春が一番いいかもしれないな」
「綺麗なんでしょうね」
「もちろん今の時期の朝靄は幻想的で素敵だし、冬に入って雪が積もれば、それもまた綺麗だ。春はリラや前庭の黄色いツツジ、他にも沢山花が咲く。裏庭に薔薇があることに気付いたかい?」
「ええ。教えてもらったわ」
「あれは全部、白薔薇なんだ。夏になれば花が咲く。そうだな、結局四季折々、綺麗ってことだけど」
「素敵ね。本当に夢みたいだわ」
 ナオミは軽く目をつむり、庭に花が咲く様子を思い浮かべているようだった。
「でも、私はやはり、リラの花の咲く季節が一番好きかな。あの香りに包まれていると、とても幸せな気分に浸れるんだ」
 食後に二人は居間へ移動し、サトルはルル国内の街並みや景色が紹介されている写真集をナオミに見せた。
 王家の城や貴族たちの屋敷に続き、都心部の様子、郊外の丘陵地とページは進んでゆく。
 ナオミが一番関心を示したのは山や川などの自然の景色だった。
 ナオミは言う。
「私、緑色ばかりが好きってわけじゃないのよ。青も好きだし、茶色も好き」
「つまり、アースカラーが好きなんだ」
「そうね。そういうことになるわ」
 ナオミは不意に笑い出す。
「どうしたの?」
「だって、そんな色で車を作ってたら、やっぱり戦車みたいになっちゃうわね。上司の言い分は正しいわ。おまけにそんな色の服を着るとしたら、迷彩服が一番ってことになるわ。すごく怖いわね。私、とっても好戦的な人間だったりするのかも」
「君の何処をとっても、好戦的だなんて言葉には繋がりそうもないよ」
 サトルがナオミの髪に触れようとすると、ナオミはすっと真顔になってしまった。
 サトルは哀しげに言う。
「ごめん。つい」
「いいえ、ごめんなさい。別に嫌だったわけじゃ」
 ナオミは気まずそうに首を振った。
「ただ、あなたにあまり近付くと、吸い込まれてしまいそうな気がして怖いの」
「私が怖いだって?君が怖がることなんか、私は絶対にしないよ」
「ええ、そうね。そんな気がする。あなたの事は、信じていいような気がしてる。でも、あなたが住んでいる世界は、私が今までいた場所とはあまりにも違うのよ。こんなに広い家と庭を独り占めしている人なんて、私の近くにはいなかった。あなたの周りには沢山いるんでしょうし、きっとサトルさんはこの家でさえ、それほどの規模ではないと思っているんでしょうね」
「確かに、知り合いの貴族たちに比べればそうだろう。だけど、私だって自分が恵まれた環境にいることは自覚しているよ。君の今の言い方は、私がこの家に満足していないような感じだったけど、私は満足している。それほど私を強欲だと思うのかい?」
「……ごめんなさい。ただ、私が言いたかったのは、あなたを怖がっているんじゃなくて、自分があなたに甘えることを怖がっている、っていうことなの」
「私は甘えて欲しいのに?」
「でも、あなたに甘えてしまったら、もうそこから抜け出せないような気がするの。あなたの世界から出て来られないような気がするの。それがとても怖いの」
「キスしてもいい?」
「え?」
 ナオミは急にそんな質問をされて動揺していた。
 そして答える。
「駄目よ」
 しかし、サトルは約束を破り彼女にキスをする。
 今朝交わしたばかりの約束だった。それをいとも簡単に破った。
 それでもサトルは、それを悪いとは思っていなかった。
 今二人のいる長椅子に彼女を横にさせないだけでも、サトルにとっては誠意だった。
 長いキスを終えると、ナオミは少し怒っていた。
 しかし、叩いたり殴ったりはしそうにない気配だ。
「駄目だって言ったのに」
 サトルはその言葉を無視して、ナオミの頬を触る。
「こちら側に来もしないうちから、どうして逃げることを考えるの?私は君が好きで、手放したくないと思っている。君が私のもとから抜け出せないとなれば、私にとっては好都合なくらいだ。でも、この話は今はしないでおこう。私には一週間猶予が与えられているんだからね。期限が来るまでこの話はしない。お互いにその方がいいだろう?」
「そうね」
 そうだよ。
 だってきっと君は、言えば言うほど逃げていくタイプだ。
 それなら何も言わないでおこう。
 言わずに私の方へ振り向かせてみせよう。
 サトルは立ち上がり、ナオミに手を差し出した。
「それでは、お部屋までご案内しましょう」
「一人で戻ろうかしら」
 ナオミはまだ少し怒っているのか、怒ったふりをして言った。
 サトルは悲痛な表情で言う。
「そうおっしゃらずに」
「じゃあ、ごめんなさいって謝って」
「ごめんなさい」
 サトルが素直に謝るとナオミは笑い出し、そして手を取ってくれた。
 部屋へ向かいながら、サトルは聞く。
「お嬢さん。明日の予定を伺えますか?もしこれといった用がないのなら、私に付き合ってもらいたいのですが」
「ごめんなさい。大事な用があるの」
「え?」
「クラウル氏に手紙を出してもらうように、頼まなきゃいけないの」
 今度はサトルが笑う。
「びっくりさせないでくれよ」
「何に付き合ったらいいの?」
「秘密だよ」
 サトルはナオミの部屋の前で、行儀よくおやすみの挨拶をした。


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