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小説|腐った祝祭 第一章 19
ミリアは使用人の中で、サトルが結婚を決めたことをおそらく一番喜んでいる人物だった。
寝る前にホットウィスキーを飲みたくなって、ミリアに頼んで作ってもらった。
「ありがとう、ミリア。素直に喜んでくれるのは、どうやら君だけのようだ。クラウルもリックも、まあ、リックはそもそもおべっかを使える人間じゃないが」
「おべっかなんかじゃありませんわ。私、本当に嬉しいんです。ナオミ様が奥様なら何の問題もありません。4人前の方だったら、私きっとお暇を頂いていました」
「おいおい。私を見捨てる気だったのかい」
「だって、本当に嫌な人でした。このお屋敷をまるで自分の物のように歩き回って」
「ナオミだって歩き回ってるじゃないか」
「質が違いますわ。ナオミ様は何か面白いものが隠れてるんじゃないかと楽しんでらっしゃるだけです。この前なんか屋上に」
言いながら笑いが込み上げてきたようだった。
そして、笑っている場合じゃないというように慌てて口を押さえた。
ミスをして口に手を当てるというのは、ルル人がよくやる仕草だ。
間違いを犯すと魂が何処かへ行ってしまうらしい。口からその魂が逃げて行くのを防いでいるのだと、ルルの民俗学者に聴いたことがある。
魂は口から出入りするのだろうか。
「屋上がどうした?」
サトルの口調が少し強くなった。
ミリアは余計なことを口走ったと後悔するように表情をくもらせた。
「ええ、その……」
「ナオミが屋上に行ったのか?危険だから屋上だけはナオミに行かせてはいけないと言っておいただろう。今は寒いし、行ったところで面白い物なんかないだろうに」
公邸の屋上は貯水槽や浄水器、発電機、空調設備機器などしかなく、庭を見下ろすことは出来るだろうが、テラスやベランダのように楽しい場所ではなかった。専門業者が点検の時に行くだけの場所だ。
「行かれてはおりません。その、屋上には出ることができるのかとお聞きになられたので、出られるけれど危険だからサトル様が行ってはいけないとおっしゃったということは、お伝えいたしました。その時は判ったと」
「それで?」
「それで、ですから、しばらくしたらお姿が見えなくなってしまわれたので、もしかしたらと屋上への階段を見に行ったんです。そしたら」
そこまで来て、ミリアはまたふっと笑いをもらす。
サトルはじれったくなる。
「いいから早く言ってくれよ!ナオミがどうしたの?」
「ヘ、ヘアピンで、ヘアピンを鍵穴に差し込んで、ドアを開けようとされていて」
ミリアは我慢できずに笑い出した。
腹を押さえ、涙まで出しそうな勢いだ。
仕方がないのでサトルはしばらくそっとしておいてやったが、取り残されたようで何だかつまらない気分を味わう。
「なんだい、それ」
「すみません。ああ、可笑しい。こっそり隠れてカチャカチャと。でも、私に見つかって、赤くなってらっしゃいました。怪盗とか探偵とか、そういった気分だったらしくて、でも話しほど上手く行かないと恥ずかしがられておいででした。それで、怒られるかもしれないからサトル様には内緒だと。でも言ってしまいましたわ。ああ、もう、私、ナオミ様に叱られてしまう」
ミリアはそう、楽しそうに言う。
サトルは溜め息をついた。
「私が留守の間、君たちがナオミの相手をしてくれるのはありがたいよ。でも、私が何も知らないって言うのは、なんだか気分が良くないね」
「あら」
ミリアはにやっと笑った。
「嫉妬されてらっしゃるんですか?女中たちに」
「そんなんじゃないよ。ナオミは庭師とも仲がいいみたいじゃないか」
「でも、セアラがついてからは庭には二人で出ていますから、ご心配はありませんわ。それに、ジェイもトッドもお爺さんですから」
サトルはあきれた。
「あのね、私はそんなことを心配してるんじゃないよ。ここの使用人にそんな不謹慎な人間を選んだ覚えはないんだ」
「使用人と仲良しになられることがお嫌ですか?でも、私共も節度を持って接しています。ナオミ様を軽んじたり、馴れ合ったりしないよう注意しています。セアラにも注意しています。あの子はまだ若いから、時々軽はずみになりがちですけど、みんなで気を付けておりますし、本人も理解しています。これからも注意は怠らないようにします」
そう言うミリアの表情は少し淋しげだった。
「いや、そうじゃないんだ。判ってる。君たちはけじめを持って仕事をしてくれている。判ってるよ。その上で仲良くなるのは悪いことじゃない。ただ」
サトルは額を手で押さえる。
ただ。
ただ、なんだ?
「私、判るような気がいたします」
「え?」
サトルが顔を上げると、ミリアは微笑んでいた。
何故だか慈愛を感じさせる笑みだった。
「サトル様は、ナオミ様を愛してらっしゃるんですわ」
サトルは顔をしかめる。
「なにを言ってる?当たり前じゃないか」
ミリアは微笑んだままで答えなかった。
サトルは話を変えた。
「そういえば、さっき4人前って言ったね?どんな人だったかな」
ミリアの微笑があきれ顔に急変した。
「深いブルーの瞳をもった、髪の短い女性でした」
「ああ」
曖昧にしか思い出せなかった。
「サトル様はおっしゃいました。私のいる前であの人に。覚えてらっしゃらないんですか?」
「何て言ったの?」
「『なんて綺麗な瞳だろう。地中海よりも深く、そして美しい。そんな目で私を見つめてどうするつもりだ?いいや、判っているよ。そうやって君は私を溺れさせて…』」
「うわあ!」
サトルは慌ててミリアに手を上げた。
「やめてくれ、きっと酔ってたんだ。なんだそのカビが生えたような口説き文句は。それに、どうしてそんなの覚えてるんだよ?」
「ええ、確かに少し酔ってらしたんでしょう。私がまだ傍にいるのにそんなことを言い始められたんですよ。覚えていますとも」
「出来たら忘れてくれないかな」
サトルは頭を抱えて頼んだ。
二日酔いの気分で片目をつむる。
「私もあんな方のことなど早く忘れたいと思います。でも、嫌な人だったから余計に頭にこびりついているんですわ。だってあの人の瞳は、私から見たら、ただの藻の生えた池でしたから」
「きついよ、ミリア、それは」
身も蓋もないミリアの言いように、サトルはがっくりと肩を落とした。
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