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小説|青い目と月の湖 12

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 クロードは川岸の野原を歩いていた。
 両岸に張っていた氷も、雪も、すっかり溶けていたが、川べりを吹く風は少し寒かった。
 コートは着ていなかったが、首に巻いていた薄手のマフラーが風にはだけ、それを手で止めて結び直した。
 足元ではカワソバの小さなピンク色の花が咲き誇っていた。
 花は可憐だが、地を這う茎から次々と根を生やし、強かに勢いよく成長を続けている。
 クロードはその河原に背の低いクコの木を見つけると、その方へ歩いていっては、新芽を摘んで袋に集めていた。
 
 ふと、クロードは人の気配を感じてかがめていた体を伸ばした。
 川は十メートルほどの幅があって、対岸にもカワソバの花が咲いている。
 目を凝らすと、堤の上に人の頭が覗いていた。
 土手の向こう側で誰かが山菜でも取っているのだろう。
 クロードはしばらくそちらを見ていた。
 黒い頭が少し揺れると、続いてその下の顔も姿を現した。
 若い女だ。
 土手を登って、河原の方へ降りてきた。
 見かけない顔だ。
 この村では黒い髪は珍しかった。
 あんな年頃の娘がいただろうか?
 クロードは不思議に思いながら、動かずに見続けた。
 
 女は手に草を束ねて持っていた。
 先端が白く、花がついているようだ。
 ナズナかミズガラシでも摘んでいたのだろう。
 女は笑っているように見えた。
 途中で立ち止まり、後ろを振り返る。
 クロードは女が見ているだろう方角に目をやった。
 堤の上に徐々に人影が現れてきた。
 そして、その小さな人影は、現れたかと思うとすぐにさっと消えてしまった。
 慌てて土手の向こうに引き返したのだ。
 クロードは目を細めた。
 
 今のは、ハンスか?
 
 はっきりとは判らなかったが、似ていた。
 もしそうなら、クロードに驚いて隠れたのに違いないだろう。
 女は首を傾げ、そして、クロードの方を振り向いた。

 距離はあったが、二人の目は合った。
 女はクロードの様子をじっくり観察しているようだった。
 黒いセーターに黒いズボン、濃いグレーのマフラー。
 とても春らしい格好ではない。
 しかし、クロードの服装など、年中こんなようなものだ。
 村の人間なら、直接会ったことがなくとも、彼が例の魔術師であるこということくらいは察しが付くだろう。
 女の方は白っぽい服を着ていた。
 どういう形のものかは判らなかったが、しばらくすると長いスカートの裾を翻し、土手を斜めに走って登っていった。
 クロードはその姿が土手の向こうに消えた後も、少しの間その場を眺めていた。
 
 

 小さな山小屋でもバスルームはあった。
 キッチンの隣で、床にはタイルが張ってあり、水を外に流す排水溝も付いている。
 そこに鈎爪脚の白いバスタブが置いてある。
 だが、ただそれだけだった。
 シャワーも湯沸しの設備もなかった。
 クロードは大鍋で沸かした湯をバスタブに入れ、水を足してちょうどいい温度に調整すると、服を脱いでバスタブに入った。
 手と足をうんと伸ばすと、自然に欠伸が出た。
 風呂に入ることは好きだが、湯を沸かすのが面倒で、時々は入らない日もある。
 冬場などは殊にだ。
 マーティンの作業小屋にはシャワーも付いているという話だった。
 窯に火を入れると酷く暑くなるし、何日も泊り込むこともあるので、作業小屋といえども設備は整っているらしい。
 この冬は結局森で過ごしたが、もしマーティンの気が変わっていなかったら、次の冬には引っ越してみようか。
 と、クロードは欠伸をしながら思った。
 それまで、この村にいればの話だが。
 

 クロードの名を呼ぶ声が聞こえた。「おーう」。そう返事をすると、バスルームのドアをそっと開けて、ハンスが顔を出した。
「もうお風呂に入ってるの?まだ明るいのに」
「何時だ?」
「四時くらい」
「そう。まあ、暇だしなあ」
 クロードはもう一つ伸びをした。
「遊びに来るには遅い時間じゃないか、お前は」
「うん……。今日は、ちゃんと母さんに言ってきたから、泊めてくれる?」
「本当に言ったのか?」
「言ったよ。クロードにって、ドーナツも作ってくれたんだよ。手紙も預ってきたんだ」
 用意周到だな。
「ふうん。まあ、いいだろう。ちょっと待っててくれるか。今入ったばかりだから」
「うん」
 クロードはゆっくりと温まったところでヘチマブラシで体を洗い、髪も洗うと、壁にかけていたバスタオルで体を拭き、バスルームを出た。

 ハンスは居間のテーブルに大人しく座っていた。
 テーブルの上には小さなトランク型のバスケットがある。
「それ、ドーナツ?」
「うん」
 ハンスは眉をひそめて返事をすると、窓の外へ顔を向けた。
「裸で出てこないでよね」
「なんだよ、そっちが突然来たくせに」
 クロードは髪をクシャクシャと拭きながら、隣の寝室のドアを開けた。
 ベッドの上に置いていた着替えを着て、部屋に戻る。

 春とは言え夜はまだ寒いことが多いので、日が傾きかけると薪ストーブをつけている。
 部屋は既に暖まっていた。
 ストーブの天板には薬缶を置いていた。
 クロードはその湯で紅茶を二つ作り、一つをハンスに渡す。
 ハンスは受け取ったカップをテーブルに一旦置いて、バスケットの蓋を開けた。
 中から半分にたたんだ紙を取り出し、クロードに差し出した。
 
「 今日、ハンスがお宅に泊まると言ってききません。御迷惑でなければよろしくお願いします。迷惑のようでしたら、遠慮なく追い返してください。エレン 」と、書いてあった。 

「追い返してくれって書いてあるぞ」
「もう。僕知ってるよ。書いてるの横で見てたんだから」
「なんだ」
 クロードは笑って手紙を机に置くと、ハンスの前に座った。
 そして、ハンスを見つめた。
 時々紅茶を飲んで、黙ってハンスを見ていた。
 ハンスはそのうち落ち着かない様子になって、尻をもぞもぞと動かし椅子に座りなおしたりする。
 それでも、クロードはハンスを見続けた。
 そして、ハンスは観念したという風な溜め息をついて、話し始めた。
「僕だよ。判ってるならそう言えばいいじゃないか」
「やっぱりそうか。何で隠れたんだ」
「だって、クロードがいるなんて思ってなかったから、びっくりして」
「隠れなくてもいいだろう」
「だって」
「あの女の子は誰だ?ジルじゃないな。彼女の髪は茶色だった記憶がある」
「ジルは去年、町に行ったじゃないか」
「そうだったか?まあ、私も村の人間を全部知っている訳じゃないからな。それで、こそこそデートするのに、何か理由があるのか?」
「デ、デートなんかじゃないよ。彼女はただの友達なんだから」
「ふうん」
 一人前に頬を赤くするハンスが可愛らしく、クロードは口元を緩めた。
「クロードは、彼女のことどう思った?」
「どうって、遠くてよく判らなかったよ」
「でも雰囲気は判るでしょ?何ていうか……変な感じはなかった?」
「変?どうして。ただの若い女の子にしか」
 クロードはそこまで言って、言葉を止めた。
 同時に表情も止まった。

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