小説|青い目と月の湖 27
思いがけず、ドアは音もなく開いた。
どうしてそこにクロードがいるのか、ハンスには理解できなかった。
クロードは、湖に近付くことさえできないのではなかったのか。
それがどうしてこの城に、この城の広間に?
しかし、そんな疑問はすぐに何処かへ吹き飛ばされた。
挨拶のキスくらい、ハンスだって見たことはある。
父や母がおはようと言ってキスをしたり、自分にキスをしてくれたり、家族以外の場合でもそんなのは驚くようなことではなかった。
だが、今自分が見ているものは、言わばそんな生易しいキスではなかった。
ハンスは息をのんで、その場に立ち尽くした。
見てはいけないものを見てしまったと思った。
その光景は鋭くハンスの胸を突いた。
逃げたいという衝動にかられたが、足が動かない。
二人の影がソファーの背もたれの向こう側に消えた時、やっと足が動いた。
ぎこちなくそれを交互に動かして、ハンスはドアから遠ざかった。
夜のような暗い廊下を進み、重い扉を開き、桟橋に出た。
ドアを閉めた。
ハンスは急に明るさを感じた。
太陽も青空もない、ただ白いだけの明るさに包まれ、思い出したように深呼吸をすると、先ほどの光景が何度も頭の中で繰り返された。
今までに見たことのないクロードの表情。
ハンスは首を振り、体を反転させて走り出した。
霧に埋もれたような桟橋を走りながら、あの二人を頭の中から追い出したいと強く思った。
しかし上手くはいかなかった。
マリエルのセリフがハンスの頭の中で回り続けた。
二人でこの村を出て行く。
マリエル?
クロード?
いったいどういうことなの。
霧はいよいよ濃く、視界は自分の足元さえおぼつかないくらいだったが、ハンスにはそんなことを考える余裕はなかった。
とにかく走った。
そしてガクンと、体が沈んだ。
何かに躓いたのか足を踏みはずしたのか判らないうちに、ハンスは湖に落ちていた。
私のマリエルを。
僕のマリエルを。
奪おうというのか。
独り占めにして。
私こそマリエルを真実に愛しているのだ。
僕はマリエルの一番の友達なのに。
厭わしい魔術師め。
クロードなんか。
僕を騙してたの?
ここには魔物がいるって言ったじゃないか。
それなのに。
僕に内緒で。
マリエルと二人きりで。
会ってたんだ。
私のマリエル。
僕のマリエルだ。
僕の。
僕の。
僕の。
首が生暖かい風に吹かれた。
何かが唸る声がした。
ハンスは目を開ける。
眠っていたい気もしたが、肌寒さがそれを許さなかった。
腕が痛い。
見ると、馬の顔が間近に迫っていた。
馬はハンスの服の袖を噛み、首を動かして引っ張っている。
ハンスは首を振って目を擦り、体を起こした。
馬の鼻面を撫でてやった。
馬は機嫌よく首を振った。
ハンスは立ち上がり、湖を振り返った。
服が濡れている。
岸辺まで泳いできたのか、流されたのか。
どっちにしろ、びしょ濡れの状態ではなかった。
ここでしばらくの間寝ていたようだ。
「ごめん。待たせちゃったね」
ハンスは馬の首を撫でてから、その背に乗った。
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