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小説|腐った祝祭 第一章 32

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 三日の朝からサトルは執務室にいた。
 元日の夕方に帰宅してから昨日までは、ナオミと始終一緒にいてのんびりと過ごしていたのだが、明日は宮中晩餐会に出席しなければならない。
 その後も立て続けにパーティーの予定があるので、とりあえず出来る仕事を片付けるつもりだ。
 とは言え、先程からクラウルが聴かされているのは、ナオミの話ばかりだった。
「なんと言うかね、私は驚いたんだが」
 サトルは背伸びをして、椅子の背にもたれ、椅子をゆっくりと左右に揺らしながら天井を見上げている。
「彼女はとても新鮮だった。こんな言い方は可笑しいか?でもそうなんだ。以前、男がいたなんて考えられないくらい」
「閣下」
 クラウルの冴えた声が、サトルの戯言を遮る。
「お仕事をなさってください」
「なんだい、つまらない奴だな。仕事なんてもう終わったよ」
「それなら、私は引き取ってもよろしいですか?」
「駄目だ。リックを呼んでいるんだから。いいじゃないか、付き合えよ。手当は出すって言っただろう」
 クラウルは本来なら今日まで休暇の予定だった。
「そういう問題ではありません」
 言い合いになりそうな所に、ドアをノックされる。
 クラウルが開け、リックが制帽を手にとって入ってきた。
「やあ、わざわざすまなかったね」
「いいえ」
 サトルは椅子にきちんと座りなおす。
 机の前にリックが立ち、その横にクラウルが付き添う。
 リックは緊張しているようだった。
 考えてみれば、彼が執務室に来たのは初めてかもしれない。
「実はナオミのことなんだが」
「はい」
「君はいつも彼女に付き合って街に出ているようだね」
「はい。お嬢さま…いえ、ナオミ様とセアラが二人で出かけると聞きまして、それでは心配でしたので、クラウル氏にお伺いを立てたのが初めであります」
「気にかけてくれてありがとう。君には感謝してるよ。それで、私は考えたんだけどね。どうだろう、ナオミの専属になってもらえないかな。ナオミのせいで君たちのローテーションも狂ったみたいで、悪かったと思ってるんだ」
「いいえ、それは。私共に問題はございません。お手当ても頂きましたし…。専属とおっしゃいますと?」
「うん。この先も今までみたいにナオミに振り回されるようじゃ困るだろう。いっそのことナオミが出かける時には、必ず君に警備を頼みたいんだ。つまりはボディーガードだね。私と出かける時はいいが、女性だけだとこの街でもやはり心配だから」
「それは構いませんが……」
「今までは君以外の警備員も連れて行かれたんだろう?」
「はい。私が休暇で、ちょうど出かけていた時などには別の者が」
「でも、私は君に頼みたいんだ。なんと言っても、君は一番腕がいいからね」
「はあ、しかし」
「なんだい?」
「専属となると、私の仕事は減ってしまうのではないでしょうか?ナオミ様は毎日出かけられるという訳ではありませんし」
「しかし、警備の仕事がかき回されるのは困るからね。一応ここは大使館で、重要な場所ってことになっているから、急にナオミに引き抜かれて手薄になってしまっては少々まずい。現場の意見を聞きたいんだが、君が一人抜けたとしたら、新しく警備員を補充した方がいいと思うかい? それともその他の措置が、例えば監視カメラを増やすなんていう事で対処できるかな」
「そうでございますね……庭にカメラを設置すれば、それほど問題はないかと思われます。特に裏庭は広いので。それをカバーできれば、人を新たに入れなくとも大丈夫かとは」
「そうか。じゃあ、業者に相談してみようかな。人を雇うとなると人選に時間がかかるからね」
 それに、いつまでこの国にいられるかも判らない。
 サトルは頬杖をついて、庭に目を向けた。
「しかし、閣下」
「ん?」
 神妙な顔のリックに目を戻す。
「専属というのはやはり、暇になるような気がして……」
「そうだったとしても、給料を減らしたりはしないよ」
「いいえ。それでは返って気が引けます」
「んー、そう言われてもな。どうしたら満足だい?」
「ナオミ様のボディーガードを優先させるという事で、今まで通りお屋敷の警備もさせて頂くのがよろしいかと」
「忙しくならないか?どう思う、クラウル」
「ローテーションの組み換えをいたしましょう。常時三人として、リックだけは定休日を決めたらよろしいのでは?」
「リック、平気か?定休日と言っても、ナオミの気分次第ではその日に呼び出すことになるかも知れないよ」
「休日でも、私はこれといって忙しいことはございませんので」
「そうかい。クラウル、上手く調整できるか?今までより充実して、みんなが忙しくなるんだったら困るんだよ」
「何とかやってみましょう」
 クラウルは自信ありげに言う。
 サトルはまあいいかと頷いた。
「じゃあ、そういう事にしよう。決定したらクラウルからみんなに説明するから、よろしく、リック」
「はい。かしこまりました」
「迷惑かけるね。ありがとう」
「いいえ、とんでもない。失礼いたします」
 リックは頭を下げて出て行った。
 クラウルは言う。
「それでは、監視カメラの手配をいたしましょう。あとは警備のスケジュールを組めばよろしいですね」
「うん。頼んだ。まあ、屋敷の方はここの警察も頻繁に見回りに来てくれてるから、一人の時間があってもいいんだけどね」
「一人というのはちょっと……。待機させるという手もありますから、ご心配いりませんよ」
「ああ。まったく頼りになるな、君は」
「おべっかなど必要ありません」
 サトルは少し驚く。
 あまり機嫌は治っていなかったようだ。
「可愛げがないな。そうだよ、クラウル。君は最近可愛げがないぞ」
「何をおっしゃいますか」
 クラウルは顔をしかめる。
 変なものを食べたような顔だった。
「この年寄りに向かって。可愛げなど、この屋敷にはもう充分でございましょう」
「なに?ナオミのことかい」
 サトルはヘラヘラと笑った。
「その通りでございます。それでは、私は事務室で仕事をいたしますので」
 事務室は、クラウルとその部下が普段仕事をしている部屋だ。
「まだいいだろう?」
「私は忙しいんですが」
「嫌みな奴だな。ねえ、ナオミは最近手紙を出しているかい?」
「はい。そうでございますね、週に一回のペースでお書きになられているようですよ」
「実家にだけか?」
「はい。いつも同じ宛名でございます」
「そう、父親宛にだけか」
「いいえ」
「違うのか?」
 クラウルは少し考えて言った。
「別に口止めはされておりませんので申し上げますが、手紙はいつもミカ様宛でございます」
「誰だい、それ」
「妹君の名でございますよ」
「へーえ」
 サトルは拗ねるような声を出した。
 妹に手紙を出すのは少しも構わないが、自分がそれを知らずに、クラウルが当然のように知っているのが奇妙な感覚だった。
「君は何でも知ってるんだな」
「仕方ありません。私がお手紙をお預かりしているのですから。閣下こそ、ご自分でお聞きになれば、こんな事くらい早くにご承知だったでしょうに」
「実家に手紙を書くとなれば普通は父親宛だと思うじゃないか。一々そんなこと聞くものか。検閲みたいで品がないよ」
 クラウルは天井に一瞬視線を向けた。
 きっと、女の身辺をこっそり調査するのと、手紙の宛先を確かめるのと、どちらが品がないのか考えたのだろう。
 サトルは気にせず呟く。
「ふうん、そう。妹に書いてたんだ。ミカっていう名なのか」
「ミカ様の名くらい聞いてらっしゃるかと思いました」
「悪かったな」
「考えてみれば、本当におかしな話でございますね」
「何が?」
「ナオミ様は閣下の奥様になられたと言うのに、もちろん届けはまだとしてもです。私共はもうそれを認めておりますし、何の不服もありません。閣下だってそれに偽りはありませんでしょう?」
 最後の口調はやや厳しかった。
 サトルは上着の襟をピッと引っ張り、姿勢を正した。
「もちろんさ」
 その芝居っぽさに返ってクラウルの顔は不愉快そうに歪んだが、話を続けた。
「それなのに、ナオミ様のご家族のことは何も知らないのですよね」
「何もってことはない。私は父親の会社の名も知ってるし」
「ミカ様の名をご存知じゃなかった。いずれにしろ、あまりナオミ様のことは知らないのです」
「ナオミはナオミだ。何か不都合があるか?」
「いいえ、全くございません。それが不思議なのです。今までの方だったら、きっとこうは行かなかったでしょう。差し出がましいことですが、きっとご結婚には反対していたと思います」
「何を言ってるんだ。君はしっかり反対していたよ」
 クラウルは咳払いを一つした。
「そうでございました。しかし、それも不思議な話で、その時の私は、ナオミ様の心配をして、反対していたのです」
「そうだよ。君は私をまるで悪魔にみたいに毛嫌いしていた」
「そこまでは」
「そこまで?」
「いえ、まあ、とにかくですね。ナオミ様のことをよく知らないのに、一同揃って賛成しているなんて、全く不思議だと。とにかくそう言うことです」
 クラウルは、とりあえず話をまとめる。
 サトルは軽く頷く。
「言いたいことは判るよ。私にとっても嬉しいことだ。でも、あまりナオミを持ち上げない方がいいと思うね」
「何故でございますか?」
「彼女は今の時点では全く女神のような存在さ。私にとっても、きっと君らにとってもね。けど、実際はそうじゃないことをしっかり意識していないといけない。ナオミだって人間なんだから。この私と同じく」
「閣下。またそのような事を」
「心配いらないよ、私はナオミを本当に好きだよ。ただ、それがいつまで続くのか、私にも判らないし、ナオミの私に対する気持ちだって、いつまで続くのか判らない」
「夫婦になられたのですよ、閣下」
「判ってる。もちろん明日明後日の話をしてるんじゃないよ。一年はきっとこの幸せな気分は続くと思う。でも、もしかしたら半年で終わるかもしれないだろう?神様にしか判らないよ、そんなこと。できれば二年以上はもってほしいものだけど。ほら、また怖い顔をする。君だって結婚した時は、これは永遠の愛だと思っていたんだろう?でも今、君は独りだ」
「私の話はやめてください」
「だって、同じことじゃないか。私が言いたいのは、先のことは判らないってことさ。ナオミを愛してないって言ってるんじゃない」
「ナオミ様には、間違ってもそのようなことは」
「当たり前だ。私はナオミに愛されているのが心地いいんだからね。彼女に嫌われるような事はしたくないね、今の時点では」

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