小説|青い目と月の湖 25
ハンスはポケットに入れている手紙の内容を、時々思い返しながら歩いていた。
馬には荷物をくくりつけていて、そのせいでハンスが乗れないという訳ではなかったが、馬の負担を考えて森に入ってからは歩いている。
いつもよりぼんやりした気分で手綱を持っていた。
馬は既に歩きなれた道で、ハンスが多少上の空でも道を間違えることはなかった。
手紙はほとんど燃えていて、読める部分はほんの少しだ。
クロードに差し入れた母手作りのドーナツを、もう一つ貰って返ろうと思い立って引き返した。
クロードはお菓子が大好物だという訳ではないし、一つあれば充分だろう。
帰り道のおやつにちょうどいい。
そう思っていた。
しかし、クロードは家にいなかった。
寝室にもキッチンにもいなかった。
裏口から外に出て、屋外のトイレも確かめたがいない。
キッチンに戻ると、かまどに燃え残った紙を見つけた。
そこに母の名を認めなければ、こっそり持ち帰ったりはしなかっただろう。
内容をクロードに確かめてみようと思ったことはそれまでに何度かあった。
しかし、上手く話を持ち出すことはできなかった。
手紙の全体的な内容は判らないが、読める文字を拾っていけば、クロードは母に、ハンスが月の湖を訪れたことを告白しているようだ。
マリエルの名はなかったが、初めから書かれていないのか、焦げてしまったのかは判らない。
どうして母さんに、湖の話をしようとしたんだろう?
絶対に秘密にしていないといけない事じゃなかったの?
でも、それを燃やしてしまったんだから、結局は秘密なんだ。
ハンスは手紙を手に入れて以来、ふと気付けばそのことばかりを考えていた。
マリエルは、最近は一緒にクロードの家に行くようになったが、しばらくの間は行くのを嫌がっているようだった。
それは、燃やされた手紙と関係があるのだろうか?
関係ないかもしれない。
でも、やっぱり確かめてみようかな。
今朝、うす曇りの空を見ていて、ふとそう思った。
どういう理由で、一度は母さんに話をしようと考えたのか。
机の奥にしまっていた焦げた紙を、引っ張り出してポケットに入れた。
クロードの家に着くと、クロードはいなかった。
配達に来てクロードが留守というのは、珍しいことだが皆無ではなかった。
今までにもそういうことはあった。
薬草を探しに行ったり、薪を集めたりと、一見一人暮らしで気侭に見えるクロードも、あれで割りと忙しいのだ。
家や家の周りを見て回っても姿が見えないので、拍子抜けな気分で一人荷物を運んだ。
クロードがいれば一、二時間は居座るのが普通だ。
ハンスは馬の背に乗り、物足りなさを感じると、自然と湖の方へその鼻先を向けた。
手綱を木の枝に結びつけた。
湖には霧がかかっており、視界は非常に悪かった。
波に揺られている何かの音が聞こえたが、岸辺に近付くまでそれが舟だということも判らないくらいだった。
小舟はどこにも固定されてはいなかったが、コツンコツンと岸に舟体をぶつけて同じ場所で揺れていた。
中には櫂が二つ横たわっている。
マリエルが散歩に出たのだろうか?
ハンスは少し考えて、それは違うだろうと思った。
もしマリエルなら、舟をそのまま放っておくことはしないだろう。
流されないようにロープをどこかに結ぶはずだ。
城から流されてきたのかも知れない。
桟橋からどうしてロープが外れたのかは判らないけど、とりあえず城に行ってみよう。
そう思い、ハンスは舟に乗り込んだ。
もしマリエルが城にいなければ、また戻ってくればいいだけのことだ。
地面を櫂で蹴って、舟は岸から静かに離れた。
城に来るのは随分久しぶりのことだったので、ハンスは少し緊張していた。
クロードからは湖に近付くことさえ禁じられたままだ。
自分では魔物の気配など感じられないので未だ半信半疑でもある。
クロードが森で苦しむ様子を思い出すと怖くも思ったが、実際に自分には恐怖感が襲ってこない。
魔物がいるとしても、自分は大丈夫だという漠然とした自信のようなものがハンスにはあった。
石畳の廊下の床は、城の中とはいっても屋外の雰囲気があった。
湿った空気がぼんやりと壁掛けの燭台の明かりで染められている。
燭台はガス灯のようで、廊下は夜の街並みのようだ。
もちろん今までに村を出たことはないので、街の様子などは想像するしかないのだが。
いつか、マリエルと街に行けるかな。
クロードも、事情がばれないようにするなら、マリエルがここを出て村で生活するのには賛成してるし、そのうちそんなことも出来るかもしれない。
僕が大人になったら。
ハンスは二枚扉の前で立ち止まった。
扉を縁取るように植物の彫刻が施され、重厚な風情のある木の扉だ。
実際ハンスの力では、開け閉めする時に多少苦労する重さがあった。
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