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小説|朝日町の佳人 18

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 キッチンと寝室が分かれているのだけが取得みたいな何の変哲もない部屋だ。
 服や布団やその他のごちゃごちゃしたものはクローゼット兼用の押入れに詰め込んでいるし、余分なものは実家に置いているので、部屋は割りと片付いている方だと思う。
 表に出ている物といえば26Ⅴ型のテレビと古風なCDプレイヤー付ラジオくらいだ。
 キッチンの小さなテーブルに今夜の夕食を置いて、脱いだジャケットをハンガーに掛けると、それを長押のフックにひっかけた。
 百合はその間に流しで手を洗い、水切り棚から取った皿に夕食を広げた。
 僕は手を洗ってインスタントコーヒーを二つ作り、椅子にすわる。

「で、なんか話でもあるのか」
「んー、なに?って言うか、どうして照り焼きチキンバーガーばっかり三つもあるのよ」
「好きだから」
「栄養超偏る」
「どれ選んでも偏るよ」
「何か他にないわけ?」
 やれやれと言うように百合は立ち上がり、勝手に冷蔵庫を開けた。
 多分、醤油とかマヨネーズとかしおれたキュウリくらいしか入っていないだろうと思っていたら、百合はそこからトマトを二つ取り出した。
「そんなの入ってた?」
「入ってた。ちょっとフニョってしてるけど、皮を剥けば食べれるよ」
 そう言って、何かちょっと汚いものでも触るような動きで包丁を見つけ出し、それを洗ってトマトを切って、皿に並べてくれた。
 フォークも二つ見つけると、洗って椅子に戻ってきたが、これ使えるのかなという風に自分の分のフォークを眺めている。
「洗ったんなら汚くないだろ」
「でもなんか……まあ、いいか」
 トマトを刺して、ぽいと口に放り込む。
 僕は夕食にかぶりつく。
 外では雨が降り続き、ザーッという音が染みるように部屋に届いている。
 考えてみれば、百合がこの部屋に入ったのは、ここに引っ越すのを手伝ってもらって以来だ。
 実家ならまだしも、ここでは完全に二人きりになるというのに、こいつには少しも緊張感が感じられない。
 幼馴染なんて何処もこんなものなのだろうか。
 
 僕は自分一人だけ内心そわそわしているのが口惜しいので、気を紛らわすために途中でラジオをつけた。
 DJは日本語と英語を半分ずつの割合で喋り、流れる曲は全て洋楽だった。
 気を紛らわすには持って来いだ。
 匂いに誘われたと言ったくせに、百合は先程からトマトばかりを食べていた。
 それもゆっくりなものだから、僕が二つ目を食べ終わりそうになっても、百合はトマト一個分も食べてはいない。
「なあ、なんか喋ったら?」
「ふん?」
「先刻から黙ったままで、何なんだよ。これ食べないの?」
「うん。なんか、トマトでお腹一杯になった」
「嘘だろ」
「だって、私もう御飯食べてきたから」
「何だそれ」
 僕は溜め息をついて三つ目に取りかかった。
「何かあったの?」
「何かあったって、ほどじゃないけど」
「とうとう沢口さんにふられたか」
「バカねえ。それだったら、今頃川に飛び込んでるよ」
「じゃあ、何なんだよ」
「こないだねえ、内田さんちに行ったの」
「内田のお婆ちゃん?」
「うん。一郎さんと一緒に麦茶飲んだんでしょ?」
「ああ」
「一郎さんちに行ったらさ、内田さんちの掃除をするんだって言うから、私も手伝いに行ったの」
「ほう」
「初めは私も掃除してたんだけど、埃が積もってるくらいで大掛かりなことする程のものじゃないからね、途中から私は内田さんとお喋りしてたのね。麦茶入れたりして。あそこの麦茶美味しいね」
「うん。美味かった」
「それで、話してるうちに内田さんが折り紙名人だって判ったから、いらない広告の紙を切って、折り紙教えてもらったりして、結構楽しかったのよ」
「ふん」
「でさ、あそこに、ロボット犬いたでしょう」
「いたいた」
「あれ、触ったり呼んだりしたら、反応するのね。鳴いたり、手動かしたり、尻尾振ったり」
「へえ、あれ動くんだ。動くところは見損ねたな」
「動きが鈍くて、こっちが思うようにはなかなか動かなかったけどね。孫が遊びに来た時、あれをタロちゃんって呼ぶから、名前はタロちゃんらしいんだけど、私が台所に行ったりして、戻ってくるとね、その私がいない間に、内田さん、そのタロちゃんをさ、ヨシヨシって撫でてあげてるのね。頭とか背中とか。タロちゃんは、反応は遅いけど、まあ鳴いたり動いたりして、それなりに可愛いの。でも、なんか私、それ見てたら、何て言うか、淋しくなっちゃって」
「ふん」
「息子さん家族はお盆とお正月には帰ってくるらしいけど、それも大抵は一泊なんだって。私とお喋りするの、楽しいって言ってくれたけど、でもね、きっと、もっと家族とお喋りしたいんだろうなって思うの。あのタロちゃんはさ、元は息子さんがお孫さんに買ったものだったらしいんだけど、当の孫は気に入らなかったみたいで、それであそこに置いていかれたのよ。お婆ちゃんの遊び相手にもなるだろうって。でも私、そんなの嫌だな」
「でも、内田さんはタロちゃんを可愛がってるんだろう」
「そうだけど、それがとっても、切なかったのよ。余計なお世話だし、別に息子さんが悪いとか言うんでもないけど、なんだか切なかったの」
「まあ、判らないことはないよ」
「よかった。それでね、それから時々遊びに行ってるの」
「内田さんちに?」
「うん」
 百合はすっきりした表情になって笑った。
「今日はね、タロちゃんの首につけるリボンを内田さんと作ったの。内田のお婆ちゃん、私より器用だった」
「そりゃそうだろう」
「ねえ、思ったんだけど、健ちゃんって、結構親孝行なんだね」
「今頃判ったのか」
「単に健ちゃんが甘ったれなだけなんだから、偉そうなことは言えないけど、まあ、それも有りなのかと」
「バーカめ。僕はわざとやってやってるんだ」
「甘えている振りをして、その実親孝行を?」
「そうだ。こんな近くに部屋を借りたのもその為だ。料理だって何だって一人で出来るのを僕はわざわざやらずに、親に『まだまだ私がいないと駄目なのねえ』という優越感を覚えさせてやっているのだ」
「よく言うわよ、そんなの買って帰ってるくせに。少しは自炊しなさいよ。親に甘えるにも限度があるわよ」
「あ、風向きが変わった」
「大体さ、なに、あの冷蔵庫?夕飯どころじゃないわよ。朝御飯とかどうしてるの?」
「買ってる」
「はあ?意味判る回答して」
「通勤途中でコンビニとかで買って会社で食べてる」
「うわあ、最低な食生活」
「最低って言うな。皆そんなもんだ」
「皆って言うな。それに不経済じゃない。食パン買ってきて家で食べた方がよっぽどよ。ついでにトマト一個でもかじっておけば、ちゃちなサンドイッチより栄養あるんじゃない?」
「面倒だよ」
「駄目ねえ。長生きできないわよ、そんなんじゃ」
「長生きねえ」
 こんな状況じゃ、長生きしたいって気力も出てこないけどね。
 僕は溜め息をついてテーブルの上を片付けた。
 百合も仕方なさそうに立ち上がり、カップや皿を洗ってくれる。
 僕は腕組みをして、それを傍に立って眺めていた。
 きっと沢口一郎も日常的に、百合をこのくらいの距離に感じているのだろう。
 そして時々好ましいと思い、恋心のようなものさえ感じているのだ。
 それなのに、まともに彼女に向き合おうとしていない。
 確認した訳ではないが、全てはかつての婚約者、武野内香奈枝が原因なのだろう。
 そう思えば同情心だって湧いてはくるが、僕が同情したところで事態は何も進展しない。
「なあ」
「なに?」
「沢口さんとお茶した?」
「うん。一緒に内田さんとこの麦茶をね」
「なんだ、デートはまだしてないんだな」
「だけど、ある意味、二人で食事に行くよりディープなデートじゃない?これって」
「どこがだよ。そのうち広報配りを手伝って、それをデートだって言いふらすんじゃないの」
「それはないよ。だって一郎さん、広報配り手伝わせてくれないもん。これは私の仕事ですから、百合さんに手伝っていただく訳には行かないんです。って」
「ふうん」
 百合は食器を水切り棚に置いてしまうと、自分のハンカチで手を拭いた。
「じゃ、帰ろうかな」
「百合」
「ん?」
 玄関に向かおうとした百合が振り返り、僕を見上げた。
 
 沢口一郎の為に念入りに手入れをしている栗色の長い髪が、雨の日の湿気にもめげず、美しくしっとりと流れている。
 ふざけて引っぱることはあっても、決して優しく撫でたことなどない、近くて遠い存在の髪だ。
 その薄い桜色の混じった、白くて柔らかそうな頬も、最近では悪戯に抓ることさえできない。
 見つめているうちに、僕は百合にキスしたくてたまらなくなった。
 もしラジオから音楽が流れていなければ、もっと彼女に意識を集中し、もしかしたら、あの時のプロポーズは本気だったんだと、告白していたかもしれない。
 百合が時間の経過に焦れて、声を出そうと口を開いた時だ。
 運悪く、電話の着信音が鳴った。
 百合はそれを聞いて肩をすくめ、じゃあねと言って部屋を出て行った。
 もう少し雨宿りして行けばといいと、適当な言葉を見つけた時には、既にドアは閉まっていた。
 
 僕は壁にぶら下がった上着のポケットから電話を取り出した。
 美里さんからだった。
 今日、引っ越したそうだ。
 僕は雨が降り出さないうちに荷物を運べて良かったですねと言った。
 また食事に行こうと彼女は言い、僕ははいと答えた。
 通話を切って、ラジオのスイッチも切った。
 雨の音だけが聞こえていた。
 雨の音と僕だけが部屋に取り残され、そこには百合の居た痕跡さえなかった。


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