見出し画像

小説|腐った祝祭 第一章 18

前 腐った祝祭 第一章 17|mitsuki (note.com)

 ミリアの機嫌は良かったが、クラウルのご機嫌は傾き加減のようだ。
「そんな渋い顔をするなよ」
 サトルは執務室の椅子に、ほとんど寝るようにして座っていた。
 国から来た書類を顔の上にかかげて見ている。
 サトルの機嫌は良かった。
「賭けに負けてそんなに口惜しいかい?」
「賭けなどに加担した覚えはございません」
「あ、そう」
 笑いながら体を起こし、机に向き直った。
「ナオミは健康優良児だね。この1年のあいだに行ったのは歯医者だけだよ。完璧じゃないか」
 クラウルは無言のまま溜め息をついただけで、自分の仕事である書類の整理を続けていた。
 今、机に置かれた三枚の紙はクラウルには関係ないものだ。
 だからそこに置かれたまま、サトルの処置を待ち受けている。
 書類は本国の医政局の知人に送ってもらったもので、ナオミの通院歴が数年にさかのぼって記載されている。
 それでも、3年前に喉の専門医にかかっているだけで、他には年に2、3回歯科の記載があるだけだった。
 サトルは今まで、気に入った女の身辺は興信所を使って調べさせていた。
 しかし、ナオミの場合はそうはいかないので知人に頼んだのだ。
 サトルの関心は出身地や財産や交友関係にはない。
 関心は唯一健康面に向けられていた。
 女が健康ならそれで良かった。
 ナオミのいない隙にその持ち物をミリアに調べてもらっていたが、気になる医薬品は所持していなかった。いかにも旅行用といった感じの胃腸薬とビタミン剤のケースがあっただけだ。
 クラウルは手を休めずに、不機嫌な声で言った。
「閣下は本気で求婚なされたんですか」
「ああ。これでもう心配事はなくなった」
 サトルは法律違反の報告書をもう一度手に取り、クラウルに差し出す。
「君も見るかい?」
「見ません」
「あ、そう」
 書類を破り、ゴミ箱に捨てる。
「で?私が本気だったらどうなんだい」
「喜ばしいことです」
「だったらその辛気臭い顔をやめて、笑ってごらんよ」
「本気ならと言いました」
 本日の書類は少量だ。クラウルの仕事は終わった。
 棚にファイルをしまい、サトルを向き直る。
「午後のお茶会には何もお持ちにならないので?今日は民間の個人的な会ですので、これといった制約はございませんが」
「本気だと言ったよ」
 クラウルは口を一文字に結んで、サトルの目を見つめ返す。
「なぜ信じない?」
「婚約者の身辺を、今までの恋人達と同じように調べておいでです」
「結婚するんだよ?今まで以上に調べなかっただけでも、私は誠実だと思うね。それにナオミには男がいたんだ。どんな奴でも構わないが、変な病気でもうつされてたらどうする?でも良かった。その心配はなさそうだ」
「そんな話、聞きたくありません」
 クラウルは本当に嫌そうに首を振った。
「判ったよ。もうしない。でも、私は本気で結婚するつもりだよ。皇太子も彼女を気に入ってくれたし、会わせた者たちからは往々にして好評を得ている」
「好評だからという理由なのですか」
「理由の一つではある。どうもクラウル閣下は、ナオミに対する私の愛情についてご不満のようだが、私はナオミが好きだよ。好きでもない女に、私が一度でも言い寄ったことがあったか?今までの誰よりも好きだ。本当だよ」
「閣下の場合、いつもその後に決まったお言葉が続きます。それを考えると、何故だが心配でなりません。ナオミ様は、素直にあなたをお好きあそばすように感じられますから」
「決まった言葉?」
「『今の時点では』閣下はいつもそうおっしゃいます。『今までで一番愛を感じる。今の時点ではね』」
 サトルは声を出して笑った。
「物覚えがいいね、クラウル。でもそれは仕方ないよ。誰だって今の時点でのことしか判るはずないんだから。私は今ナオミを愛している。でも愛は永遠ではないんだ。君は驚くかもしれないが、それを知っているのは私だけではない。ナオミもそう言ったんだよ。きっと私たちは上手くいくんじゃないかな。それが判っていればね」
「少なくともご結婚は、今までのようなお気持ちと同じ状態で考えて欲しくはないのです。閣下」
「離婚経験者からの忠告かい?しかしそういうのは、私は少しも説得力を感じないな。さあ、話はお終いだ。私はナオミを探しに行ってこよう。本当にあの子は、放っておくと何処に行くか判らない。この屋敷を迷路か何かと勘違いしているみたいだよ」
 部屋を出て行くとき、サトルはドアを開けるとクラウルを振り返った。
「心配しないでくれ。ナオミを悲しませるようなことはしない。少なくとも私が結婚を口にしたのは初めてだろう?私が彼女に誠実でいようとしている証拠じゃないか?これは」


次 腐った祝祭 第一章 19|mitsuki (note.com)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?