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小説|腐った祝祭 第一章 5

 パーティーはモルガの自宅ではなく ――何しろ彼女はアパート住まいだったので、ホームパーティーならまだしも、今回の人数では入りきらないだろう――、レストランを借り切って催された。
 サトルは5本のワインボトルを抱えたまま、入口で見つけた顔見知りにナオミを紹介して、彼にナオミを任せてしまった。
 ナオミはサトルの勝手な行動に驚いたが、仕方がないので彼にいざなわれて会場内に入っていく。
 サトルは奇妙な格好のまま、レストランの厨房を目指し、廊下を歩いていた。しかし、厨房のドアを開けて出てきたのは、ホステス役のモルガだった。
 彼女の顔を見るなり、サトルは呻いて天を仰いだ。
「まあ。何よ?その格好」
「とんだ失敗だ。真っ先にあなたに見つかるなんて」
「あら」
 モルガは可笑しそうに笑ってサトルのすぐ手前まで歩いてくる。薄い褐色の肌を持った短い黒髪の女性で、真っ赤なスーツがよく似合っていた。
「毒入りワインでも仕込む気だったのね?」
「そうですよ。王家からの刺客です」
「やだわ。そんなきついジョークを言えるの、サトルくらいよ。プレゼントありがとう。私も手伝うわ」
「すみません」
 サトルは抱えていたうちの2本をモルガに持ってもらった。二人で厨房のドアをくぐる。そしてシェフに挨拶をして、パーティーに使ってもらうように頼んだ。
「あなたっていつも小細工を仕掛けてくるから、おちおちしてられないわ、本当に」
「いたずら好きな年頃なんです」
「可愛いわね」
 二人は一緒に会場に向かった。
 招待客もそろそろ揃う頃合いだ。
「その可愛さは女の子にとっては危険ね。つい構ってあげたくなっちゃうもの」
「そうですか?あなたには少しも効き目がないようだが」
「もちろんよ。私の目は特殊なの。一人の男しか輝いて見えないような作りになってるのよ」
「コンタクトをお勧めしましょう。きっと私だって輝きますよ」
「まあ、自信家さんね」
 モルガはウフフと笑った。
「でも聞いたわよ、自信家さん。ブロンドの恋人と別れたんですってね」
「さすが。あなたは耳が早い。それを私に追究してきたのはあなたが最初ですよ、モルガ。どの部署から漏洩したのかな」
「彼女の恩師っていう部署じゃないかしら。でも、今度は続くと思ってたのに、残念ね」
「あなたと殿下のような絆を築けなかったのは残念です」
「本当にそう思ってるの?」
 モルガは少し呆れたように言う。
 ロビーに出ると、客人たちがモルガとサトルに度々声をかけた。
「もちろん。コツを教えてもらいたいほどですよ」
「よく言うわね」
 少しも信用する気がないらしく、モルガは口を尖らせた。
「じゃあ教えるわ。まず、相手を愛していること。でないと、それは無理よ」
「これは手厳しいな。まるで私に愛がなかったようだ」
「違って?」
 モルガは頭の中身を探るように、意地悪で厳しい視線をサトルに向けた。
 サトルは視線をそらさないように注意した。
 そして微笑む。
「そんな目で睨まれたら、天使だって身震いしますよ」
「あら、お言葉ね。それで?失恋の痛手を背負った堕天使は一人淋しくここへやってきたのね。お話し相手なら紹介さしあげてよ」
「ありがとうございます。ただ、一人ではないんです」
「本当に?」
 モルガは目を丸くした。
「栗色の髪の天使と知り合いまして」
「あきれたわ、あなたって。天使を引き寄せる磁石でも持ち歩いてるの?」
 サトルは首を振って苦笑いした。
「そんな便利なものは持ち合わせていませんよ。単なる偶然です」
「偶然は二回までよ。それ以上には何らかの陰謀があるの。あなたは陰謀に埋もれてるわね。まあいいわ。どういう事かしら、まったく。お相手を放って私と話し込んだりして。さっさと天使を探してらっしゃい。私はうっかり何人か悪魔も招待しちゃってるんだから」
「判りました。探しに行きましょう。では失礼」
 会場内に入り、十人ほどと挨拶を交わした後でナオミを見つけることができた。
 ナオミは預けた男と並んでカウチに腰かけて、その周りに集った数人の人間と話をしていた。
 近付いて行くにつれ、ナオミが度々「ごめんなさい。もう一度おっしゃって。ゆっくりと」と、言っているのが判った。
 サトルは微笑みを浮かべて彼女の横に立った。
「ご兄弟はいらっしゃいますか?って聞いてるんだよ」
 ナオミにそう言ってから、その前に立って話しかけていた中年の男と握手を交わした。恰幅のいい頭髪の薄い男で、モルガの同僚だ。
 ナオミはサトルの登場にやや慌てながらも、男に視線を戻して、たどたどしく、それでも几帳面に返事をした。「妹が一人います」。
 サトルはナオミの背中から、隣に座っている男に声をかけて礼を言った。
 男はグラスを掲げて返礼したが、席は立たなかった。
「なるほど。それでは妹さんも、さぞかしお美しいんでしょうね」
 この教授の台詞回しはやや早めで、ナオミは聞き取りにくいようだった。
 それでサトルを見上げ、何と言ったのか聞きたそうな表情をしたが、サトルは教えずに曖昧な笑みを受かべるに留めた。
「妹さんも、あなたのような髪の色ですか?」
「髪?髪の色ですか?」
 ナオミは自分の長い髪の左側を、首筋にそって触った。
 教授はニコニコ顔で頷き、自分の白っぽい金髪がへばり付いた頭をぽんと叩く。
「そう。髪ですよ。髪の色です」
「妹は私より、少し濃い色をしています。黒なんです」
「なるほど」
 教授はサトルに言った。
「大使も黒髪ですね。あなたの国は黒髪が多いので?」
「ええ。大抵はそうです」
「なるほど、なるほど」
 教授がそう頷いていると、モルガが声を張り上げた。
 そして挨拶が始まった。
 みんなの視線がモルガに集ると、サトルはナオミを誘って椅子から立たせる。そして肩を押して、その場から数歩離れた。
 ナオミは小さな声で怒った。
「もう、酷いわ、置き去りにするなんて。凄く緊張したのよ!片言しか喋れないって言ってたでしょう」
「ごめん。でもみんな優しくしてくれただろう?」
「そうだけど、質問ばかりされて、言葉を聞き取るのに必死だったのよ。耳の筋肉がおかしくなりそう」
 ナオミは言って、形の良い両耳を引っ張ってマッサージをする。
「悪かった。ほら、今しゃべっているのがモルガだ。今日の主催者。彼女に挨拶をしていたんだよ」
「そう。でも怖かったわ」
 ナオミは自然とサトルの袖を掴まえた。
「立ってたら目眩を起こして倒れるんじゃないかと思って、何とか椅子を見つけて座ったのよ。座るまでに十分かかったわ。褒めてくれる?こんな場所で卒倒して母国の恥になるのを、全力で防いだのよ?」
 サトルは声が響かないように注意して笑った。
「判ったよ。褒めてあげるから、許してくれよ」
「いいわ。許してあげる。その代わりちゃんと私を大使館に連れて帰ってよ?また一人でどこかに行って、知らん顔して先に帰ったりしたら、外務省に訴えてやるんだから。市民運動を起こして断罪するわ。今の地位から引き摺り下ろしてやる」
 あまりに過激な発言に、サトルは頭を抱えて笑った。声が漏れてしまい、近くの数人がサトルに目を向けた。
 それでナオミも、自分が興奮しすぎていることに気が付いたらしい。自分の胸を押さえ、周囲を遠慮がちに見渡してから言った。
「どうかしてるわね。私」
「いや、今のは面白かった」
 クククと、笑いを我慢しながらサトルは言う。
 モルガのスピーチはまだ続いていた。
「でも安心して。ちゃんと連れて帰るよ。約束する。できれば、もうしばらくの間は職を失いたくないからね」
「ええ、ごめんなさい、ありがとう。ちょっと興奮しちゃったの」
 サトルはそっとナオミの肩を抱いた。
「それじゃあ、倒れないように注意して聞いてくれるかな?」
「なに?」
「モルガの右側の後ろの方に、人に紛れて立ってる男がいるだろう?三つ揃いを着て、やけに姿勢のいい、私と同い年くらいの」
「ええ、どの人?みんな姿勢がいいから判らないわ」
「面長の、品のある顔立ちの。ほら、人よりやけに胸を張ってる感じの」
「あ、ええ。判ったわ。グラスを持った手を胸の辺りに持ち上げてる人ね?」
「そう、彼だ。彼はこの国の皇太子なんだ」
「・・・・・・え?」
「王子様だよ」
「ちょ、ちょっと、冗談じゃないわ。嘘でしょう?」
「嘘言ってどうするの?」
「だってあなた、お気軽なカクテルパーティーだって言ったじゃないの?どうして皇太子なんかが来てるの?全然お気軽じゃないじゃない。いったいどういった集まりなのよ、ここって」
「モルガの友達や職場の仲間や、これから友達になりたいと思ってる人間を集めた気軽なパーティーだよ。ただの親睦会だ。気負う必要はない。そう言っただろう?」
「王子様が来てて、何が気軽よ?」
 ナオミは押し殺すような渋い声を出した。
 サトルはナオミを抱く手に少し力を入れる。
「彼はモルガの恋人なんだ。だから来てるだけで、王族が沢山揃ってる訳じゃないよ。まあ、親しい貴族の顔は何人か見えるようだけど」
「貴族・・・・・・。なにそれ?ヴァンパイアか何かかしら?」
「君は面白いことを言うね」
 サトルは本当にそう思って、その言葉を使った。
 そして彼女の髪にキスをした。
「安心して。ちゃんと守ってあげるから」
「十字架は持ってきてるの?」
「ああ。持ってる」
「ニンニクは?」
「持ってるよ」
「そう。それならOKね」
「あと、白木の杭もポケットにしのばせてきてる」
 そう付け加えると、ナオミはサトルの顔を見上げた。
 サトルはじっと彼女を見つめた。
 真面目な雰囲気で結ばれていたナオミの唇は、徐々にほころんでいった。
 その様は、まるで花が咲き始めたような鮮やかな印象をサトルに与えた。
 彼女は何かを言おうと桜色の唇を小さく開いたが、結局声は発せずに、笑みの形に閉じた。
 モルガの挨拶が終わると、会場にはステージに準備されていたバンドの生演奏が流れ出した。
 サトルはナオミを連れて顔見知りや初めて見る顔に挨拶をし、ナオミを紹介した。
「そうですか。自動車会社の設計部門に」
「はい。でも設計の方はさっぱりなんです。私はデザイン課で働いています。メカニックからよく、こんなの出来ないよ!って怒られているんです」
「アーティストですね」
「いえ、そんな・・・・・・」
「でも残念だ。この国では馬車が主流ですから、デザインの勉強にはなりませんな。自動車は救急車くらいしかないから」
 ナオミは救急車なら昨日の昼間に見たと言った。
 郵便配達の車かと思っていたら、病院らしき建物に入って行ったので、そうかなと思っていたらしい。今日それがはっきりして良かったと笑った。
 サトルは一人でグラスを取りに行く皇太子を見つけると、ナオミに皇太子とお喋りをしてみるかと尋ねた。
 ナオミは二秒ほど考えて断った。
「私はちょっと挨拶してくるけど、大丈夫?」
「彼の言葉は聞き取りやすいわ」
「そう」
 サトルは自動車の話に興味を持った男にナオミを頼んで、自分は皇太子のもとに歩いて行った。
「こんばんは、殿下」
「おや、久し振り」
「ええ」
 皇太子はサトルにもグラスを取ってくれた。
 二人は乾杯して一口飲んだ。
「元気そうで何よりだ」
「殿下も。今日はやけに財界人の顔が目に付きますが、何か企んでるんですか?」
「お、いきなり核心を衝くね。相変わらず女には優しいが、男には厳しいようだな」
「平等に優しい人間ですよ、私は」
 皇太子は苦笑いした。
「でも企みは僕じゃないよ。モルガが何か考えてるんだろう」
「そうですか。だったら深く聞かないでおこう」
「ほら、やっぱり」
 二人は笑った。
「ところで、あのブロンド美人と別れたそうじゃないか」
「お二人揃って私をいじめるんですか?」
「そうか。モルガにもやられたか」
「やられました」
「似た者カップルだな。それで、今日の会場には君の目にかなう女性はいそうかい?」
「残念ながら、招待客の中にはいないようですよ」
 皇太子は首を傾げた。
「今の言い方には裏がありそうだぞ?」
 サトルはいたずらっぽく笑う。
「ええ。今日は我が祖国から可愛いお客様がいらっしゃいましてね。彼女以外の女性は、どうもぼやけて見えるんです」
「目医者に行かなけりゃね」
「ええ」
「それで?何処にいる?」
 サトルはナオミの場所を示した。
 皇太子はホウッと唸った。
「確かに可愛らしい。おや、椅子に座ったよ」
「彼女は少し緊張しやすいたちなんです。こういったパーティーは初めてだということで、座っている方が落ち着くようです」
「そうかい。いいスタイルをしているのに、立ち姿を一瞬しか見られなかった」
「見なくていいですよ」
 サトルが首を振って言うと、皇太子は首をすくめる。
「これは失礼。しかし、君の国の女性はみんなあんなにスタイルがいいのかい?」
「そんな訳はないでしょうが、そうですね、あまり大きく肥っている女姓はそんなにはいない気がしますね、よその国に比べると。でも、私もずいぶん母国に戻っていませんから、判りかねます」
「そうだよ。君はもう何年も海外生活なんだった。聞いた僕がバカだったね」
「ちょっと殿下、見過ぎですよ。もういいでしょう」
 サトルは皇太子の腕をグラスを持った手で小突いて、ナオミから視線をそらさせた。
「へえ。いつもは見せびらかそうとするくせに。やはり同胞の女性となると大事に思うものなのかな」
「私は何処の国の女性であろうと、いつだって大事に扱ってきているつもりですが?」
「おや。これはまた失礼」
 皇太子は慇懃に頭を下げてくれた。
「しかし興味深いね。もしかしたら、君が本気になるんじゃないかという予感が・・・・・・、いや失礼。君はいつでも本気なんだった」
「私のことはもういいですよ。偶にはご自分の話をなさってくれてもいいのでは?殿下」
「僕かい。僕はねえ、そうだなあ。まあねえ」
 曖昧に言って、皇太子はグラスを飲み干し、近くのテーブルから新しいグラスを取り上げた。よく見ると、そのテーブルにはカードが添えてあった。そこには「サトル・スペシャル」と記入してある。
 二人は顔を見合わせ笑った。
「どうなんだろう、このネーミングのセンスは」
「なかなかストレートなタイトルだね。先刻から美味いカーディナルだと思っていたら、これは君のプレゼントだったんだ。もう一杯いただくよ」
「どうぞ」
 皇太子は途中、グラスの中を覗きこみ、
「まさか毒が入ってやしないだろうな?」
 と、呟いた。
 つくづく似た者カップルだとサトルは思った。
 皇太子はしばらくの間サトル・スペシャルを堪能して、それから不意に話し始めた。毒ではなく、自白剤が入っていたのかもしれない。
「まだ誰にも言ってないんだけどね」
「はい」
「弟に譲ろうかと思ってるんだよ」
「まさか・・・・・・王位継承権をですか?」
「ああ。驚いただろう」
「驚きますよ、そりゃ。モルガ女史との結婚はそんなに難しいんですか?」
「まあ、無理を通せば通らないこともないがね。父が乗り気じゃないのは確かなんだ。そうなると、モルガが苦労するのは目に見えている」
「女史とは相談を?」
「いや。まだ何にも。だから誰にも言ってないと言ったんだよ」
「そうですか」
「彼女に言うのが怖くてね」
「どうしてです」
「もしモルガが僕ではなく、皇太子を愛していたとしたらどうする?」
「彼女に限ってそんなことはないでしょう」
「でも世の中、絶対なんてことはありはしないんだ。それが怖くてね。君は判ってくれるかな?僕はモルガを愛しているんだ」
「彼女もあなたを愛していますよ。先刻もおっしゃっていました。あなた以外は目に入らないそうだ」
「いや、それはそれで怖いよ。もし何かのきっかけで周りが見えるようになってしまったら、私なんかかすんでしまうんじゃないかな」
「どうしたんです、殿下。今日はやけに弱気になってますね」
「仕方ないよ。恋愛ってものは時々人を不安に陥れようとする意地の悪い代物だからな。ま、自由人の君の場合はどうだか判らないけどね」
 皇太子は気分を入れ替えるようにウィンクをして見せた。
「そうですね。私はまだ子供なんでしょう。殿下ほど深刻な気分はまだ味わっていない気がします」
「まったく羨ましいよ。あの天使にやられちまえばいいのさ、君なんか。不安の井戸に突き落とされればいい」
「そんな、呪うようなこと言わないでください。物騒だな」
 ひとしきり二人は笑い合うと、皇太子は言った。
「さあ、そろそろ紹介してくれてもいいだろう?」
「彼女をですか?」
「なんだ君は。話もさせないで帰る気だったのか?いつから独占欲が強くなった?」
「彼女が殿下を怖がってるんですよ」
「どうして僕を?」
「王子様なら、ドラキュラ伯爵より恐ろしいに違いないと思っているんです」
「酷いことを。さあ。それならすぐにでも誤解を解かなければならないよ。早く呼んでおくれ」
「流し目禁止ですよ」
「君と一緒にするなよ」
 サトルはその場を離れた。
 ナオミは皇太子を紹介すると言われて非常に警戒したが、説得すると応じてくれた。
 幸い皇太子は、持って生まれた柔らかな物腰と、聞き取りやすい国語能力とを発揮して、彼女を恐れさせることはなかった。


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