差別されたきみたちへ —敗北宣言2024—
私たちの世代は差別問題を解消することはできない。
これは敗北宣言である。
人々は傷つき、傷ついた人々はその悪意を他人に向け、再び傷つける方法でしか戦うことを知らない。
私はracismもdiscriminationも、どちらも経験した。
うんざりするほど経験した。
私よりも酷い目に合っている人々をたくさん見た。
命の危険に晒された子供もいた。
それでも同じように傷ついた人に寄り添うことは難しい。
私はこのnoteでどうすれば人々が救い合うことができるだろうかと模索してきた。
当事者の声も聞いて、その上で声を上げてきた。
しかし、人によってはそれが「利用」に見えるらしいことも知った。
誰かを傷つけることなく、他の誰かを救うことは難しい。
ダイバーシティ
この世界は2024年現在「誰も取りこぼさない社会」を目指している。
しかし、これを全人類に対して実現するには、私の見立てでは、最低数百年はかかりそうだ。
今、世界ではロシアが独立したウクライナを“取り戻す”べく攻撃を仕掛けたり一昔前では考えられなかったことが起こっている。
テロ組織ハマス殲滅のためにパレスチナにイスラエルが無差別攻撃をし、そのイスラエルにイランが攻撃したり、中東は昔からめちゃくちゃだ。
アフリカかは元から諍いがあるところに外国が植民地化するために国境を引いたり、独立したら独立したで政府が腐敗したりして現在に至るまで治安が安定しない。
この島は比較的静かだが、多角的に見ると憎しみの連鎖は続いている。そしてその連鎖にこの島は巻き込まれつつあるように感じている。
私たちの世代は傷つけ合うことなく共に前を進む方法を見出せていない。
「そうやってお前は私たちの歴史を無視する」
誰かがignorant(≒無教養)とされたとき、その人自身の歴史を無視されているに他ならなくて、誰かの歴史を大事にすることは誰かの味方をすることに繋がる。「誰の味方もしたくない」と「自身の歴史を踏まえて意見を言いたい」は両立しえないのだろうか。
どこかの誰かに自身の正義があってそれに基づいた発言をして、私は私の正義があって発言することがそんなにいけないだろうか。誰もが違う正義を持っていることは悪だろうか。
悪かもしれない。
戦争は大概そうやって始まるのだから。地球は一つのイデオロギーに統一されない限り私たちはお互いをリスペクトしあえないかもしれない。
独裁者万歳。
人類の性(さが)
「差別問題をなくす」という課題に取り組むには人類は未熟すぎる。
食料、富、土地、権力を巡って争うのが人間の性である限り、この娑婆世界にいる限り私たちは争うことをやめない。そしてこの「娑婆世界云々」に対しても不快に思う人がいるだろう。その思想は間違っていると。こうして私はまた誰かを傷つける。
それでもアメリカで一部のマイノリティが強い政治的発言力を持ち始め、マジョリティを逆差別し始めている現実は無視することはできない。
今の私が書き残せるのはこれだけだ:
泣くな。
わめくな。
立て。
戦え。
他人とは戦うな。
自分と戦え。
自分の傷を癒すことができるのは
他でもない
自分自身だ。
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