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キム・カーダシアンの「あれ」は文化盗用ではない

とあるきっかけでこの記事を拝見した。

この記事ではキム・カーダシアンが"KIMONO"を商標登録しようとしたことが「文化盗用」と表現されているが、私は違うと思う。

日本は国外にも積極的に"KIMONO"という名称で和服を売りたいのだ。むしろ文化盗用とは逆で、「海外のお客様に日本の着物を着てほしい」という思惑がある。そこに"KIMONO"という日本語の一般名詞を商標登録したことに対して違和感を抱いた。着物を売りたいとき、毎回キム・カーダシアンに金を払わなければいけないのかと。
これは文化ではなく、ビジネスの問題だったのだ。

そもそもファッション業界でボタンのない、リボンで締めるガウンのような羽織を"Kimono Jacket"と呼ぶことがあるが(今は文化盗用という指摘もありあまりメジャーではなくなったようだが)、私はこれも文化盗用とは思わない。ある文化が世界に羽ばたいていって、姿形を変え新しいものに生まれ変わることを"盗用"と呼ぶのはあまりにも視野が狭いと思う。これを本当に盗用だと感じる人は今日から欧風カレーも、ナポリタンも、肉じゃがも、オムライスも、天ぷらも、とんかつも、南蛮漬けも、寿司も(いくらもシャリも外国語由来なので)食べることをやめた方がいい。

なんというか、「ほら、あの時もあなたたちは嫌がったでしょう?同じことですよ」と、このイシューを文化盗用に結びつけるのは安直な気がしている。思慮が足りていないというか、本当の気持ちに寄り添っていないというか。自分の主義主張のために人の感情を捻じ曲げて伝えるのは正直あまり感心しない。

他にも例が挙げられている「アイヌの問題」も的外れに感じる。

アイヌの民族衣装をまとって和太鼓を叩くようなお祭りを開催し、それをアイヌの人たちとの交流イベントではなく、さも日本文化のような見せ方をしたら、アイヌの人たちはそれまでの複雑な歴史や自文化をないがしろにされたと思うのではないでしょうか。

日本文化が海外で盗用されたら? 文化の盗用の本質を小川さやかさんに聞く | Yahoo! JAPAN SDGs - 豊かな未来のきっかけを届ける  

非黒人がブラックヘアを身に纏うのは「さも自分たちの文化のような見せ方をしている」わけではない。コーンロウやブレイズが黒人文化に由来することは世界的常識であるように私は思う。
自分たちのものでもない文化を「自分たちが発祥である」と言い出すのはシンプルに"嘘"であって、これを"盗用"とするのは無理筋というか、例えが悪いと感じる。
むしろそんなこと日中韓の間では昔から起こっていて、剣道の起源はどこだとか、柔道がどこ発祥だとか、そんなのしょっちゅうだ。今検索をかけてみたらWikipediaには「韓国起源説の一覧」という記事まであるではないか。

K-Popだって、90年代は日本のジャニーズをモデルにしていたことを知っている人は少ないかもしれないし、「中華人民共和国」という国名が日本語無くしては存在し得なかったことも広くは知られていないかもしれない。

文化は発展しなければ後世に続かない。
伝承も大切であるように進化も大切だ。
悲しい背景があっても、それをシェアしてハッピーな未来を描くことができればそれ以上に良いことはないのではないか。

#文化 #異文化 #文化交流 #文化盗用 #着物 #KIMONO  

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