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かつての推しの享年と同じ年になった - 推し活を妨げた精神障害と悔しさ -

今回は推し活と病気の話をします。

私の推し遍歴はなかなかややこしくて、それは私自身が「ヨーロッパ某国出身で精神障害を抱えた日本オタクの元帰国子女」というややこしい人間だからである。

遡るは中学時代。J-Rockと言うジャンルと出会いギターやベースを引くようになった。ビジュアル系にのめり込んだ経緯は以下の投稿で触れている。

高校に進学すると周りに二次元オタクの日本人が増え、会話についていくためにアニメを見るようになった。きっかけは忘れたが「遙かなる時空の中で」シリーズにどハマりし、置鮎龍太郎さんの大ファンになった。今思い返せば置鮎さんの声に出会ったのは「セーラームーンSs」に登場するアマゾントリオのタイガーズ・アイ。
「セーラームーン」シリーズの中ではセーラーマーズと同じくらい好きで、なかなか強烈な趣味の幼稚園児だったかもしれない。そのまま私は声豚になった。置鮎さんの出演作を見たぐった。当時日本人コミュニティのオタクたちの圧倒的支持を得ていたのが「テニスの王子様」なのだが、見ない手立てはなかった。手塚国光を置鮎さんが演じていたからだ。

この頃、世はニコニコ動画全盛期だった。察しのいい方はもうお分かりだろうが、突如声豚を卒業し「テニミュ」にのめり込んだ。三代目大石のアドリブがクレイジーすぎて大石役の滝口幸広くん(たっきー)の大ファンになった。トークが上手くて、仕切りもできて、笑いも取れて、料理も調理師免許持ちでプロ並み、ネジの外れたポンコツだけど、筋肉系で顔濃いめのイケメン。沼でしかなかった。彼はテニミュが終わったあともサイバーエージェントが企画していた「ピュアブログ」というサービスのプロモーションとしてテニミュ俳優5名と他の若手俳優2名からなるアイドルユニットPureBOYSのメンバーになった。デビュー曲「乾杯ジュテーム」は時代を先取りしすぎたK-Popのカバーで、クオリティは正直言って散々なものだった。しかし彼らがAmebaスタジオで持っていた冠番組「原宿アメスタ☆学園」はかなり楽しく、GMT+9の地域で日本時間から放送開始時間を逆算してネットでリアタイしていた。
同じメンバーの武田航平くんと加藤慶祐くんが「仮面ライダーキバ」に出演したことで特オタにもなった。

それはさておき、たっきーはとにかく「回し」がうまく、PureBOYS卒業後も「原宿アメスタ☆学園」に出演し続け、後には(時系列は忘れたが)同じくAmebaで配信されていた「幸広のひとり部屋」や、ニコニコ動画で配信されていたテニミュ俳優による「ヒートアップイブ」、@TV配信の同じ事務所の後輩佐藤永典くんとの番組「テキパキいこーぜ!」とネット番組を持ち続けていた。それ以外には基本的には舞台俳優として活動していた。スターダストプロモーションに所属していたため松雪泰子さんのバーターでCMに出ていたこともある。浜名湖自動車学校の静岡ローカルCMの「ハマイン」役としても知られていた。静岡に本帰国した同級生からは「たっきーのCM見てリンジェのこと思い出したよ!元気?」とメールが来た。

元気ではなかった。私は学生時代に海外生活によるストレスで統合失調症を発症し、毎日死にたくて仕方なかった。そんな私にとってたっきーは唯一の生きる理由だったかもしれない。彼がこれからどんな俳優さんになるだろうか、どんな作品に出るだろうかと楽しみにしていたことは事実だ。

しかし私は不安障害で彼の舞台を観に行くことが難しかった。一人で知らない場所に赴くことができず、付き添いが必要だった。2014年末だったか、2015年初頭だったか、たっきーの初主演舞台「滝口炎上」が決まった。

推しの初主演舞台だ。「絶対行きたい!」当然そう思った。私はある日の朝10時前(だったと思う)PCの前に張り付き、チケット販売開始を待ち、10時ぴったりに販売ページへ飛んだ。するとすでにほとんどの席が埋まっており、最後の2席だけ空いているのを発見した。ここだ!ここを取ろう!
と思った瞬間、手が止まってしまった。怖い。明治座なんて行ったことない。そもそも舞台に行ったことがない。どんな服装で行けばいいんだろう?チケットって自分で買ったことないけどどうやるんだろう?ややこしいことになったらどうしよう?手が震えた。ページをリロードすると満席になっていた。

一人で出歩くこともできない自分が惨めだったと同時に、推しの舞台が3分も経たずに完売したことが嬉しかった。
しかしやはり辛かった。ニコニコ動画の「ヒートアップイブ」が放送されていた頃は既に日本に本帰国していて、あの番組には観覧があったのだが、やはり人が怖くて一度も行けなかった。それでも画面越しに彼の一生懸命な姿を見れることは私にとって生きがいだった。

その状態のまま長い年月が経ち、勤めていた勤務先も追い出され、いよいよ行き場もなく本格的にニートしていた2019年、私はサバイバルオーディション「PRODUCE 101 JAPAN」に没頭していた。暇すぎて練習生101人全員のプロフィールや主題歌の推しカメラを見て、與那城奨くんの筋肉と声に、本田康祐くんのダンスに惚れ込んだ。

そして忘れもしない「PRODUCE 101 JAPAN」第8話放送翌日、11月15日衝撃的なネットニュースが目に飛び込んできた。たっきーの訃報である。

悔しかった。一度もたっきーに会えないまま彼はこの世を去ってしまった。時折テレビ出演していたとはいえ、一度も彼の本職である舞台俳優としての演技を見に行ってあげることができなかった。一度も彼に「応援してます」と伝えることもできなかった。私は寝込んだ。

たっきーが私に与えてくれたものは大きかった。私にとってたっきーは恩師である。「アメスタ☆学園」など数々のネット番組を、日本からは程遠い遠いヨーロッパで見ていた私は、たっきーの真似して日本語を覚えたから今こうして日本で暮らせている側面がある。おかげで「トークうまいよね」と言ってもらえるようにもなった。日本語のノリやギャグセンス、そういったものまで彼は教えてくれたのだ。

「PRODUCE 101 JAPAN」の方は投票もしていたので最後まで見届けることにした。與那城奨くんのデビューが決まった時安堵したことを覚えている。一方で脱落した本田くんはSNSの更新を欠かさなかった。ファンが旧Twitterで「本田くんどうなるんだろう?」と騒いでいるのを知ってか、彼はインスタストーリーで「早く寝なね笑」と投稿した。それを見た私は完全に本田の女になってしまった。おそらく自分のファンをほとんど年下だと思っての文章だったのだろう。可愛すぎる。彼はのちにOWVというグループでデビューすることになる。
その数年後、私は投薬治療を行いチケットを買ってライブに行けるようになった。

こうして私はたっきーの死を乗り越えたのである。いや、こうしてまだ語っているからにはやはり未練があって、私の恩師であるからこそ、これからも「一番の推し」はたっきーでい続けるのかもしれない。彼にはずっと感謝し続けている。

お墓詣りには行けないので、こんなたわいもない文章を書いて、彼の祥月命日の供養とさせていただきたいと思います。

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