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ILIA≠(AILI)  ―イリア・ノットイコール― 第1話【ジャンププラス原作大賞・連載部門応募作品】

 月面開発公社の超長望遠カメラが、月と地球の間に漂う夥しい数のソーラーセイル型太陽光発電機を捉えていた。
 誰が操作しているのか不明だが、超長望遠カメラがズームされ地球がクローズアップされた。さらにズームされ日本列島が。さらにズームされ沖縄諸島が。さらにズームされ沖縄本島が。さらにズームされ沖縄本島の立体構造乱立都市がクローズアップされた。
 都市の四方は壁で囲まれ、大小様々な高さと広さを持ったビルが隙間なく乱立しひしめき合っている。ビルとビルの間には蜘蛛の巣のように張り巡らされた通路が見えるのだが、二ヵ所だけ開けた場所があった。広い敷地を持ち、他のビルと連絡橋の繋がっていない超超高層ビルがポツンポツンと聳え立っている。
 一つは街の北東部。世界最大の高さを誇る東雲(しののめ)コンツェルンのザ・タワーと呼ばれるビルで、高さは2024メートル。
 もう一つは街の南西部。世界で二番目の高さを誇るイージステクノロジーズのザ・タワーと呼ばれるビルで、高さは2023メートル。
 この二つのビルの屋上では、未だ建築工事が続き、互いに高さを競い合っていた。
 超長望遠カメラが少し西に動き、今度は都市の湾岸部を映し出した。沖に停泊した数隻の戦艦から次々に白煙が上がり、数百発のミサイルが発射された。ミサイルはぐんぐん速度と高度を上げて攻撃しようと迫るが、都市を囲む外壁から赤い線レーザー光が走り、海上で次々に爆発を起こし全弾消滅した。
 カメラが少し南に移動し、海岸線沿いに配備された数体の巨大なメカを映し出した。メカは迫撃砲を肩に担いでいた。トリガーを引くと弾丸が発射され、その反動でメカは砂浜から数十メートル滑るように後退した。同時に、沖の軍艦が全て爆発して海の藻屑と消えた。
「キャー」
 望遠カメラが街の中心部のやや西に移動し、ズームを繰り返し、夕陽に染まるビルから落下する一人のコスプレイヤーを映し出した。
 白のブラウスに紺のブレザーとリボンタイ。赤いチェック柄のプリーツスカートに紺のハイソックスと黒のローファー。赤い髪のショートボブで、両耳と右の眉に赤いミニピアス。
 赤い色の大きな瞳に、切れ長で涼し気な目元とぱっちりとした睫毛。少し尖った鼻に小さな口と丸い顎。白い肌をし女子高生の格好をしたコスプレイヤーが、高さ1800メートルのビルから悲鳴を上げ墜落していた。

 ――イリア、どうして?
 アイリはイリアにビルから突き落とされ、目の端に涙を浮かべていた。イリアにドンッと強く押された胸元が体と心にズキズキと痛みをもたらし、裏切られた悔しさと哀しさ、二つの感情が入り交じり目から零れ落ちた。
 周囲の景色がまるでリニアに乗車しているみたいに高速でアイリの脇を通り過ぎていく。しかし、奇跡的にビルとビルの間に細かく張り巡らされた連絡通路には衝突することがなかった。
 ――私死ぬのかな? 死ぬよね絶対。なら、せめて安らかに死のう。
 アイリは死を受け入れ、目を閉じ、口を閉じ、胸の上で両手を組んで祈りを捧げる姿勢を取った。すると不思議なものでふっと肩から力が抜け、ズキズキとした痛みが安らいで体も心も穏やかになり、天国へ向かうために空中にふわふわと浮遊しているような感覚になった。
 ン? 
 ビヨーンとバンジージャンプのゴムが伸びた時のような反発力を感じて、思わず目を開けた。
 ――えっ、マジ? 浮いてる。浮いてるじゃん。何これ、どういうこと?
 体が空中で静止したままブランブランと揺れていた。両肩と両足に付着した少し太めの白い糸が体を支えているようだった。頭を起こして恐る恐る周囲の状況を確認すると、とんでもない光景が目に飛び込んできて、顎が外れそうになるほど驚いた。
 ビルとビルの間を繋いでいる足の幅より狭い一本道の上を、黄色い帽子を被り、色とりどりのランドセルを背負った小さな子供たちが、とことこと列を成して歩いていたのだ。一応頭上には安全用のロープが一本通してあり、そこにカラビナで命綱をかけてはいたが。
 ――この子たち、どうしたの? ここ高さ1500メートルだよ。
 ビルの側面に3Dホログラムで高度が表示されていた。
「帰ったら、FPSエリアに集合ね」
「うん、わかった。今日こそ東雲の奴らぶっ飛ばしてやろうぜ」
「ごめん、今日は無理。私この後塾があるから」
「メタバースの塾エリアとFPSエリアって、近くなかったっけ? 終わったらすぐ来れば間に合うじゃねえの」
「うーんどうだろう。でも終わったら急いで合流するから。じゃあねバイバイ」
 子供たちはそう言葉を交わして細い道の上を小走りで進み、アイリから離れていった。
 ――ここが通学路になっているのはわかったけれど、わざわざリアルの学校に通う必要があるのかな? VRの学校で充分じゃない?
「この度は、キャッチ&リリース社のサービスをご利用いただきありがとうございます」
 突然頭上から声がして、アイリは体をビクッとさせた。視線を子供たちから真上に移動させる。そこには羽の付いていないドローンが浮遊し、射出口から糸を吐き出してアイリの体を支えていた。ボディの底面には『キャッチ&リリースCo.』と企業名が刻まれている
 ドローンが光線を放ち、アイリの目の前に女性の3Dホログラムを出現させた。
「恐れ入りますが、お客様と弊社の契約状況確認のため、生体情報をスキャンさせていただきます」
 ドローンが頭から爪先に向かってレーザー光を放った。
「ご協力ありがとうございます。お客様はキャッチ&リリース社の既契約者様ではございませんので、新規にご契約を結んでいただく必要がございますが、よろしいでしょうか?」
「えっ? 契約? 契約ですか? 契約しなくちゃならないの?」
「どうなさるかはお客様の自由でございます。ですがご契約いただけない場合、お客様が生存されるご幸運をお祈りしつつ、このままリリースさせていただきます」
 ――リリース?! 放り出すってこと?!
 アイリは首を捻って真下を眺め、米粒より小さな黒い点々が地面を移動しているのを見て、ぞわぞわっと鳥肌が立った。
「します、します。契約、しまーす」
 ニッと笑顔を浮かべ調子よく言った。
「ありがとうございます。では契約内容についてご説明させていただきます……」
 女性ナビゲーターは長々と説明を始めた。ブロンズプラントがどうとか、シルバープランがどうとか、ゴールドプランがどうとか……。
 都市の間を吹く風にブランブランと煽られるたび、体を繋いでいる糸が切れるんじゃないと気が気でなくなったアイリは「それでいいです」と適当に返事をした。
「承知致しました。ではまず、お客様の都市IDを確認させていただきます。その後銀行口座へのアクセス許可を出していただければ、契約は完了です」
「へっ? 都市ID?」
 ――何それ?! 銀行口座? 持ってませんが。
 アイリは不安になったが、ドローンはお構いなしに再びスキャンを開始した。
「該当都市IDなし。お客様、申し訳ございません。スキャナーに不具合が生じたようです。再度スキャンさせていただきますのでしばらくお待ちください……」
 すぐに終わったが、ナビゲーターはむっつり黙ったまま何の反応も示さない。
「どうですか? 都市ID、わかりました?」
 アイリが苦笑いしながら訊ねると、突然ぐんっと体が真上に引っ張られた。
「重大な規定違反を確認しました。繰り返します、重大な規定違反を確認しました。最寄りのセキュリティポリス(SP)の施設まで連行します」
 ドローンが赤と青のパトランプを光らせ、サイレン音を響かせながら、猛烈な勢いで上昇を始めた。
「ちょ、ちょ、ちょっ待てよ。待って、待って、待ってってたらあああ……」


 カメラが切り替わり、中層階のビルの中を映し出した。何かを探しているかのように次々に画像が切り替わっていく。イタリアン、フレンチ、中華、トルコ料理店。モノレールやドローンの発着場。野菜売り場や果物売り場。電子部品やカーボンファイバーにプロテインシルクの製造工場。農場と人造ミート生産場と虫の養殖場……。
 工業エリア、商業エリア、娯楽エリア、居住エリア、様々な地区にカメラが切り替わった末、ようやくお目当ての人物を見つけ出した。
 カメラはオフィスエリアの一角を高速で滑走する三人の若者を捉えていた。
 一番前を行くのは短髪で東アジア系の中肉中背の青年。二番目はドレッドヘアをしたアフリカ系の大柄な青年。三番目はヒジャブを被った中東系の小柄な女性。三人とも同じ服装をしている。
 ローラーブレード型スニーカーにスキニークロップドのカーゴパンツに緑の蛍光色のベルト。白いワイシャツに赤、青、黄のネクタイを締め、スタジャンを羽織っていた。スタジャンの背中側には『左三つ巴』の家紋が大きくプリントされている。三人の中で唯一ヒジャブの女性だけがその上にバックパックを背負っていた。
「飛(フェイ)次の角を右だ」
 先頭をローラーブレードで滑るフェイのイヤーカフ型端末に、真後ろを滑るドゥンビアの声が届いた。
「了解」
 体を傾けて細い通路を曲がろうとすると、ちょうどそこにスーツで身を固めた女性が歩いてきた。フェイは咄嗟に体を捻り半回転し「すみません」と言って女性の脇をすり抜けた。女性は「キャ」と短い悲鳴を上げて、持っていたコーヒーカップを落とした。真後ろを滑っていたドゥンビアがそれに気づいて、半回転しながらカップを掴んだ。女性の脇を通り抜けると近くのテーブルの上に乗せる。最後尾を滑っていたゼフラは「やるじゃん」と呟きつつ半回転して通過した。
 三人がカメラの画面から姿を消すと、それを追うように赤髪リーゼント頭の四人組が現れた。
 が、すぐにカメラは切り替わり再び三人の姿を捉え直した。
 三人は会議中のオフィスの長テーブルの上をローラーブレードで滑走していた。席に着いた社員たちは彼らが通り過ぎるのは呆然と眺めていた。
「止まれや、ボケぇ! 逃げるんじゃねぇ、糞が!」
 フェイ達を追跡するリーゼント軍団のリーダーが怒号を発した。彼らも同様にテーブルの上をローラーブレードで滑っている。フェイは一瞬後ろを振り返り、端末に問いかけた。
「ゼフラ、このまま突っ込んで本当に大丈夫なんだな?」
 机の上を疾走するフェイの目前に強化ガラスの窓が迫っていた。イヤーカフ型端末を通してゼフラが答えた。
「危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。迷わず行けよ、行けばわかるさ……行くぞぉっ! 1、2、3」
「ダァァァァァ」
 フェイは雄叫びを上げながら身体を丸めて強化ガラスに突っ込んだ。
 パリパリパリパリン。
 ガラスが粉々に弾け飛んだ。フェイたち三人はスピードを保ったまま地上1200メートルのビルの外へと飛び出した。
「うほほぉっ。すっげええっ」
 一瞬、街の景色が開けて、普段は滅多にお目にかかることのない水平線まで見渡せた。太陽が空と海の境界に沈む中、メカの攻撃を受けて爆散する艦隊が、フェイの瞳に花火のように美しく映っていた。
 ――やっぱギガンテスは最強だな。
 沖縄本島を囲むように配備されているメカはギガンテスと呼ばれている。「糞ボケがぁ! これで勝ったとおもうなよ! 憶えてやがれ!」
 後方の割れた窓から赤色リーゼントの男が顔を出し、メンチを切っていた。
「負け惜しみ言ってんじゃねえ! 悔しかったら俺たちみたいに、そこから飛んでみろ」
 フェイの声は落下する風圧でかき消され届かなかった。けれども端末は言葉を録音していて、その音声データを顔見知りのリーゼント軍団に一斉送信してやった。
 ドゴンと爆発音がして、三人が飛び出した場所の窓枠が吹き飛び、ビルの外壁がパラパラと崩れて落下した。リーダーの男が逆上して窓を思い切り殴りつけたようだった。
 ――まあ、飛べるわけねえよな。ドゥンビアが発見したばかりの新ルートだからな。
 三人は放物線を描きながらビルから落ちていた。
 ドゥンビアの計算通り、ビルの間を繋ぐ細かな通路の編み目をすり抜けながら。


「ちょっ、ちょっ、ちょっ待てよ。急に止まるなあああ」
 ガン。
 ――イテテテ。
 アイリを強制的に連行していたドローンが突如動きを止め、その反動で伸びていた糸がビヨーンと縮んだ。真上に体が持ち上げられ、ドローンの底面に顔面をしたたかに打ちつけた。
「はっはっはっは。ごめんごめん」
 砕けた笑い声がした。ドローンは先ほどの女性ナビゲーターとは違う男性のホログラムを表示していた。
「直接話すのは初めてだね、アイリ。僕だよ、僕、フラジャイルだよ。いやあ、君の行動力には感服したよ。立体構造乱立都市に侵入してすぐイージステックとの直接交渉に乗り出すなんてね。ああっと、そんな不信な顔つきをしないでくれよ。見てたんだ、見てたんだよ。セキュリティの緩い月の超長望遠カメラを遠隔操作してね。遠くからじっくり見守るつもりだったんだけど、突然飛び降りるからビックリしたよ。交渉が上手く運ばないと見るや、自分から進んでそんなことをするなんて、まさに、ぶっ飛んでる、な。はっはっはっは」
 ――自分から進んで? 違う。イリアに突き飛ばされたんだって。
「でも的確な判断だった。僕が助けに駆けつけるまでのいい時間稼ぎになったよ。キャッチ&リリースのドローンに捕まるのも予想してたんだろう?」
 アイリは赤い髪をフルフルと振った。
「えっ、そうなのかい? 君は直感で行動するタイプなんだね。実に面白いなあ。まあでも、上手くいったんだから良しとしよう。アイリがドローンに捕まっている間に、僕はマッチングアプリを使って君を手助けしてくれそうな人物をリストアップした。同時に都市内部の監視カメラにアクセスして身近にいるリストの人物を探し出して、見つけたよ。彼なら間違いなく君のことを助けてくれるよ。君と見つめ合った瞬間に『ぞっこん』だからね。もっとも君が好感を抱くかどうかは考慮してないから、そこはまあ上手くやってくれたまえ」
「何の話をしてるのかわからないんだけど? 恋愛マッチングアプリの話?」
「悪いけど、説明している時間はない。僕がドローンの制御を乗っ取り続けるのにも限界があるし、彼はすぐにビルから飛び出してくるからね。じゃあ、覚悟はいいかい?」
「ちょっ待って。覚悟って?」
「リリースされる覚悟に決まってるじゃないか」
「はぁ?!」
「大丈夫、大丈夫、77%の確率で生き残れるから」
「はぁ?!」
 ――23%の確率で死ぬじゃねえかよ。
 アイリは眉間に皺をよせ、『ふざけんな』と猛烈な不満を顔で表現した。が、フラジャイルは躊躇しなかった。
「じゃあ、行くよ――」
 フラジャイルのホログラムが別の男性のホログラムに切り替わった。リーゼント頭で顎がしゃくれ、黒のパンツ一枚に派手なガウンを羽織った筋骨隆々とした男性が、右手に持ったマイクを口元に近づけて叫んだ。
「危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。迷わず行けよ、行けばわかるさ……行くぞぉっ! 1、2、3」
「ダァァァァァ」
 パチンパチン、とドローンと繋がっていた糸が切れた。下層で窓ガラスが派手に割れる音を聞きながら、アイリは再び自由落下し始めた。


 放物線を描いて落下していたフェイたちの視界に、斜めに置かれた赤い色のエアマットが映った。フェイとドゥンビアとゼフラは背中を丸め両手両足を広げて滑空し、一列に横並びになった。
「二人ともタイミングを合わせろよ、ミスったらどこに吹っ飛ばされるかわからないからな」
「了解」
「オッケー」
「カウントダウン、3、2、1、今だ!」
 三人はスニーカーのローラーを内部に収納し、両腕を胸の前で組んだ。
 ボフッ。
 ――成功だ。音は一つ。同時に着地した証だ。
 全身がマットに沈み込んでいく。
 次の瞬間、足裏にマットの反発力を感じた。膝をグッと曲げてと力を吸収してから、真っ直ぐに伸ばす。マットの反動を全て解放し体を捻る。まるでトランポリンで飛び上がるように、三人の体が半回転しながら上方に弾んだ。
 山なりの放物線を描き、マット上層のカーボンファイバー製の細い通路に、フェイは見事に着地……。

できなかった。

 通路に降り立つ直前、さらに上の方でボフンとエアマットが弾む音がして、「キャアアアア」と聞こえた。
 悲鳴がどんどん近づいてくるような気がしてフェイは上を向いた。
 目の前に、胸のドアップがあった。
 にやける間もなく、顔面を鈍器で殴られたような衝撃が走り、視界に星が飛び散った。
「む、む、むねぇ~」
 意識が遠のく中、フェイは弱々しく呟いた。
「フェイ、フェイ! 目を覚ませフェイ!」
「フェイ、フェイ! 目を覚ましてフェイ!」
 仲間たちの声が端末から聞こえてハッと我に返った。胸に激突されて一瞬気を失っていたようだ。意識は取り戻したものの、視界がぐるぐるときりもみ状に回転していて、再び気を失いかけた。
「左手だ!」「右足よ!」
 ――了解。
 二人の指示に従って左手と右足を伸ばすと、回転が止まり空中で姿勢が安定した。
 ――胸? 胸はどうなった?
 左右を見回すと、女子高生のコスプレをした赤い毛髪の女の子が、体をくの字に折り曲げ、首をガクッと落とした状態でフリーフォールしていた。重力に引かれた頭が、徐々に真下に移動し始めている。
「おいっ! おいっ! 起きろ! 聞こえるか! 起きろっ! 起きるんだっ!」
 ――糞、駄目だっ。
 精一杯大声で叫んでみたが、自由落下の暴風の中では届かない。
 フェイはイヤーカフ端末を耳から外し、女の子の顔が見える位置まで滑空した。必死に手を伸ばし、何とか端末を女の子の頬に触れさせて、命じた。「やれっ!」
 バチン!
 電撃が女の子の身体を駆け抜けた。
 かはっ。げほっげほげほっげほっ。女の子は咳き込みながら目を覚ました。
 偶然、いや必然的に、二人は互いの頭の位置を逆さにしたまま正面から見つめ合った。
 その刹那、
 バチチチチッ!
 フェイの全身を強い電撃が駆け抜けた。
「おいっ!」
「なっ、何よっ!」
 女の子はぷりぷりと怒った表情になった。
「いや、ごめん君に言ったんじゃないんだ。イヤーカフにね」
 フェイは赤面しながら言い訳した。
「はぁ?! 何ごちゃごちゃわけのわからないこと言ってんのよっ! あなたがフラジャイルが言ってたマッチングアプリの人なんでしょっ! だったら、早く、早く助けなさいよっ!」
「フェイ、フェイ、聞こえてる? 時間がないわ」
「フェイ、左前方に赤マットがあるのが見えるか? 百二十メートル下だ。それを逃したら、もう助からないぞ」
 立体都市の各所に設置されているエアマットは虹、赤、黄、青に色分けされ、それぞれ落下衝撃吸収の限界高度が異なっていた。虹が一番大きく八百メートル、次いで赤の五百、黄の三百、青の百だった。
 フェイは、ふやけた顔から毅然とした表情に戻り、仲間と女の子に対して「わかった」と答え、自分の手と女の子の手を重ね合わせた。
 餅のようにプニプニとしてすべすべの肌に再び電流が全身を走り抜け、表情筋が緩んで顔が蕩けそうになった。が、何とか堪えて、女の子の後ろに回り込みタンデムの体勢を取った。
 ――震えてる。強気に振舞ってたけど、怖かったんだな。手を繋いで初めてわかった。
「大丈夫、絶対助けるから」
「えっ? 何、聞こえない」
「体の力を抜いて! 俺があっちの赤いマットの所まで誘導する!」
「む、無理だって。あんな細い隙間通り抜けられないって」
「大丈夫、問題ない」
 フェイが体を傾けようとすると、女の子が抵抗した。
「力を抜いてっ! 俺が誘導するから!」
「だから、無理無理無理無理っ。無理だって言ってるじゃん!」
 女の子が涙声で言った。
 ビルの側面に表示された高度がどんどん下がっていく。
 ――間に合わなくなる。仕方ない。
「一度右手外すね!」
 フェイは繋いだ手を離して、「ごめんね」と断り、握っていたイヤーカフ型端末を女の子の首元に当てて「バチチチッ」と少し強く電流を流した。「ぎゃあああ」と叫んで女の子が気を失い体がくの字に折れた。再び手を握り直し、無抵抗の女の子の体を操作し狭い隙間を難なく通り抜け、赤いマットにボフンッと着地した。
 フェイは手を繋いだままくるっと転がって仰向けになり、溜息をついた。
 ――立体都市では命の危険に晒されることは日常茶飯事だけれども、今回も上手く切り抜けられて良かった。
 寝転がっていると都市の雑踏が聞こえてきた。
 ビルとビルの間を橋のように繋ぐ通路の上を、通路を上下に繋ぐ梯子の上を、そして壁面に設けられた昇降用のリフトの上を、多様な人種、多様な外見の人々が行き交い、ボディランゲージを含めた多様な言語が飛び交っている。
 近くの建物はレストラン区画になっているのか、世界各国の名物料理の匂いが漂ってきた。オレンジ色だった空はいつの間にか濃い紫色に変わっていて、お腹を空かせた人々がビルの内部に吸い込まれていた。
「フェイ、大丈夫か?」
「フェイ、大丈夫?」
 壁面のリフトを使って下まで降りてきたドゥンビアとゼフラが、エアマットに繋がる通路を走ってきて声をかけた。
 頷き返すと、ゼフラは女の子の隣まで行って「よっこらしょ」と腰を下ろし、背中に担いでいたバックパックの中をごそごそと確かめて「あったあった」とスパッツを取り出した。
「二人ともちょっと、あっち向いててくれる」
 フェイがドゥンビアに手を取られて立ち上がっていると、ゼフラが言った。女の子のスカートがめくれて純白のパンツが見えていた。
 二人は慌てて顔を背けた。
「ん、んー、ちょ、ちょ、ちょっ待って。何してんのよっ!」
 女の子が意識を取り戻した。
「大丈夫、落ち着いて。立体都市の女の子の必需品を履かせてるだけだから、ね」
「えっ? あっ。うん」
「これで、よし。立てる?」
「大丈夫。ありがとう」
 フェイは背中越しにゼフラと女の子の会話をどぎまぎしながら聞いていた。
「二人ともこっち向いても大丈夫だよ」
 フェイとドゥンビアは振り返った。そのタイミングに合わせるように、近隣のビルの照明が灯り、女の子がスポットライトで照らし出された。
 ビルの合間を一陣の風が吹き抜け、女の子のスカートをめくり上げた。しかし、スパッツが完璧な仕事を果たした。
 女の子は風で乱れた髪を上目遣いでかき揚げ、耳にかける仕草をした。
 ズキューン。
 銃声が鳴り響き、フェイは心臓を貫かれた、ような思いがした。
 ――かっ、可愛すぎる。
 心臓がドキドキと早鐘を打ち、またニヤケ面をしそうになった。誤魔化すために鼻の下を人差し指でごしごしと動かしていると、女の子が自分の方へ近づいてきた。なぜかスポットライトも彼女と一緒に移動してくる。
「マッチングアプリの人、助けてくれてありがとう、私の名前はアイリ」
 アイリと名乗った女の子は握手を求めるように右手を差し出した。
「俺はフェイ」
 そう名乗って、右手をがっちり握ろうとした。
 バチーン。
「イタァッ!」
 頬を痛烈にビンタされて、百年の恋も一気に冷め、頭に血が上った。
「イタァッ! じゃないわよ! 胸は触るし、パンツは覗こうとするし、挙句に何度もビリビリするし。何なのよもう!」
「触ってねえし! 勝手にぶつかってきたんだろ! それに、ビリビリさせなけりゃ、今頃二人とも死んでた! 君がビビッて動かないから仕方なくやったんだ!」
「あら、そう。ふーん、覗こうとしたのは否定しないのね。この変態、覗き魔、セクハラ野郎!」
「ふざけんな! 助けてもらってその態度は何なんだよ!」
 スポットライトの数が増えてフェイも照らし出された。
「お礼はしたじゃない。何、何なのよ! 今度は救助ハラスメントってわけ? ホント、器の小さい男」
「フェイ、言い争いしてる場合じゃないぞ!」
 ドゥンビアが口を挟んだ。
 さらにスポットライトの数が増えて、ドゥンビアとゼフラにも照明が当たった。
「ドゥンビア、邪魔しないでくれ。こういうワガママ放題育ったお嬢様気質の馬鹿にはガツンと言ってやる必要があるんだ」
「誰がお嬢様よ、私はね、私はねえ、世界を救う――」
 アイリが何か重大な発言をしようとした。
「――いい加減にして! 二人とも」
 ゼフラが強い口調で非難し、アイリの言葉を遮った。
「さっさと逃げ――」
「――お取込み中悪りいな、糞ボケ共ぉっ!」
 フェイ、アイリ、ドゥンビア、ゼフラの四人はスポットライトの光に目を細めながら、声のした方を見上げた。
「俺達『ホーククロウズ(鷹の爪団)』からよお、簡単に逃げられるとでも思ってたのかよ?」
 そこには運搬型ドローンの上に乗った赤髪リーゼントの四人組がいた。

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