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マガマガ 第1話【ジャンププラス原作大賞・連載部門応募作品】

「肥満は犯罪だ!」
校門のそばにいた卒業生一同が、(USA‐0213)AKA千代丸・メランコリーを指差して叫んだ。

待て待て待て待て。
ここから物語を始めるのは良くない。唐突過ぎる。かもしれない。
もう少し前から回想を始めようと思う。
そんなことができるのは、僕が死の間際にあり走馬灯を見ているからだ。
背中をショットガンで打たれ、地面にうつ伏せに倒れ、ずたずたにされた背中から血を流している。
裏切者が僕のことを見下ろし、複雑な表情を浮かべている。
泣いているのか? 
笑っているのか?
よく見えない。
視線の先に見えているのは、青い星だった。コロニーから見える宝石のように美しい地球の姿に僕は涙を流していた。
僕は死ぬのだろうか? 現時点ではわからない。けれど、数秒後には判明しているはずだ。
でもこの数秒は僕にとっては永遠に近い。走馬灯の中では時間はいくらでも伸び縮みするのだから。
物語を始める前に一つ説明しておこうと思う。
USA‐0213とは何か?
USA。つまりアメリカ出身。
0213は刑期。つまり213年の刑期があるってこと。
AKAはAlso Known As。つまり「別名」とか「通称」とか「またの名を」って意味。
さてと、じゃあ、物語を始めよう。
音楽スタート。
ライブ会場に、僕が推している「コロニーコロニアル」が登場し、ドラムが「ワン、ツー、スリー」とバチを叩いてカウントを取ると、ギターとベーとがドラムが激しくかき鳴らされる。こんなことができるのも走馬灯ならではだ。
ボーカルが観客を煽りながら曲名をシャウトする。
「マガマガ!」
それが物語のタイトルだ。

僕こと(KOR‐0001)AKAユン・祇園は高校の教室にいた。早春の柔らかな陽射しが窓から差し込み室内を温かく包み込んでいた。
春っぽい。もろ春っぽい。メタバース空間なら桜の花びらが舞っていることだろう。
でも現実は違う。
季節感はあるが季節はない。桜は散らないし、雨も降らないし、気温もほとんど変化しない。夕方になれば街はオレンジ色に染まるが、夜になっても星は見えない。
僕がいる宇宙コロニーはそういう場所だ。
長さが400キロ、半径6キロの円柱。回転することで擬似的な重力を生み出している。
円周=2πrだから、外周は約18.84キロ。
僕の暮らすダーウィンタウンはその三分の一の6.28キロ×400キロ。その中に約500万人が暮らしている。一平方キロ辺りの人口密度は1990人。これは埼玉県の1913人に近い数値だ。埼玉は日本にある奇蹄目サイ科の動物ダサイの保護区であったらしい。
教室の窓から真上を見上げれば、そこにニュートンタウンが広がっている。こちらも同じ規模で同じ人口密度だ。
残りの三分の一がどうなっているかと言えば、6.28キロの半分、つまり3.14キロの荒野がそれぞれの街を隔てるように広がっている。これはDMZ(非武装地帯)で、そこに埋め込まれた照明が季節感を演出していた。

「ユン・祇園」
名前を呼ばれた制服姿の僕は立ち上がり、机の間を縫うようにして教壇まで進み、先生から卒業証書を受け取った。
「卒業おめでとう。この前のeWarゲーム大会は見事だったな。ランキングも百以内に入ったんだろ?」
「八十六位になりました。SNSのフォロワー数も二十万を超えました。ありがとうございます」
僕は一礼し、先生と肩を組み、手に貼り付けたシート型端末で自撮りした。
席に戻る途中で画像をSNSアップすると、『いいね』がついてその数字が膨れ上がっていった。『おめでとう』というコメントも高速で流れ、承認欲求が満たされた。
卒業証書の授与が一通り終わると、先生はデジタル黒板にダーウィンタウンの憲法条文を板書した。
『死の先に世界は存在しない。死の先に価値を見出してはいけない』
「死の先に世界は存在しない。死の先に価値を見出してはいけない」
黒板の文字を見て僕たち生徒は反射的に復唱した。
「ニュートンタウンとは違い、我々は本年度も自殺者ゼロを達成する見込みです。素晴らしい成果ですね。拍手」
パチパチパチパチ。
「本日、君たちはこの学び舎から卒業し、ダーウィンタウンの新成人と認定されます。これまで制限されていた様々な権利が解除されることになります。その一つがネットへの無制限のアクセス権です。これまで君たちは、休戦協定を結んでいるニュートンタウンのネットへはアクセスできませんでしたが、校舎の敷地内から一歩足を踏み出した瞬間にそれが可能となります。FRA‐0745・AKAジュリエッタ・マキシム学級委員長。私の教えたニュートンタウンの国是を覚えていますか?」
教室の一番前で背筋を伸ばして席に着いていたジュリエッタが制服のスカート揺らめかせて立ち上がり、答えた。
「『労働者よ、団結せよ。仲間のために、血を流せ。輪廻は巡り、我らは蘇る』です」
「素晴らしい。みんな拍手を」
パチパチ。

まばらな拍手の中に「優等生ぶりやがって」という囁きが混じっていた。
そう言ったのは僕の声だったが、僕自身が呟いたわけではない。
僕の真後ろに座る(NGA‐0591)AKAパメラ・ババンギタが、腕に貼り付けたタトゥー型シート端末の音声合成アプリを使って、僕そっくりの声を再生させたのだった。
ジュリエッタは僕の方を振り向いて、口を一文字に固く引き結び、燃えるような目で睨みつけてきた。首を振って違うと否定したのだが、SNSに「また、お前かっ(怒)! 覚えておきなさいよっ(怒)!」というダイレクトメッセージが届いた。
「僕が言ったんじゃない(涙)。パメラが音声アプリを使ったんだ(真実)」
といつも返信しているのだが、彼女は全然納得してくれない。
「ニュートンタウンで将軍様と呼ばれる指導者たちは、その不埒な国是に基づいた日本式教育を国民に施しています。日本式教育によって集団を没個性化し、同調圧力による融和を強制し、ヒエラルキーをないものとして誤魔化し、自己犠牲の精神を植えつけ、美化しているのです。そうして洗脳され、カミカゼをも厭わない奴隷に変貌させられてしまうのです」
――カミカゼ。自爆攻撃。半世紀前のタウン間戦争ではこの攻撃に苦しめられた、らしい。
「死の先に価値があるという思想は麻薬です。自己の生存を最も重要視する私たちの思想を蝕む悪魔的な考えです。これまで君たちはこのような考えを持つ人々とは交流せずに済みました。しかしこれからは違います。敵国の思想に触れることができるようになります。そして、いとも簡単に洗脳されてしまうのです。自分は大丈夫、と思うでしょうが、現実を見てください。毎年、卒業生たちが洗脳され逮捕されている事実を忘れてはなりません。君たちのような若者は柔軟な思考回路を持っています。それは偏見や先入観を打ち破ることもありますが、敵の思想に簡単に感化されてしまうということでもあります。このことを忘れないようにしてください。以上が君たちへ送る最後の言葉です」
パチパチパチパチ。

拍手が終わると委員長のジュリエッタが「起立」と言い、僕たちは立ち上がった。
「三年間お世話になりました。ありがとうございました」
ジュリエッタに続いて全員が「ありがとうございました」と一礼した。
先生はその言葉に感動し、目を潤ませた。一部の生徒も啜り泣き始めた。が、
「みなさん、『お礼参り』の時間よ」
とジュリエッタが言うと、僕たちは制服の第二ボタンを引き千切り、野球のボールを投げるようなフォームで振りかぶり、先生目がけて投げつけた。
イテテテテ。先生は泣き笑いしながら痛がる。
その様子に嗜虐的な喜びを感じつつ僕たちは、教壇の周りに散らばる第二ボタンを拾い上げ、至近距離から再び投げつけた。
「顔はやめれ。顔にぶつけるのはやめれ。本当に痛いから。痛いんだって。だから、顔にぶつけるのはやめれ。顔にぶつけるのはやめろって! 顔にぶつけるのはやめろって言ってんだよっ! 顔にばかりぶつけんじゃねえ! この糞ガキ共、顔にぶつけるんじゃねえ!」
こうして僕たちは先生をキレさせ、満面の笑みを讃えながら逃げるように教室から退散した。

――まったくもって日本人は奇妙な儀式を考えつくものだ。僕の中にもその変な血が流れていると思うとぞっとするが。日本式教育が禁じられているのになぜその偏屈な儀式だけが残っているのかはわからない。けれど、教師に対する鬱憤を晴らせる唯一にして最高に楽しい機会なのは間違いない。
教室を出て卒業生でごった返す廊下を歩きながらそんなことを考えた。
僕は校舎の出入口付近にある下駄箱で靴を履き替え、もう使うこともない内履きをリサイクルボックスへ投げ捨てて外へ出た。学校の正門前広場には卒業生と部活動の格好をした後輩たちがいて、別れを惜しむように思い思いに語り合いながら、端末で互いを撮影し合っていた。
ふと、真上を見上げるとニュートンタウンの学校が視界に入った。グラウンドに大勢の生徒が集っていた。
僕は手の平をかざしシート型端末のカメラを起動させ、スワイプを繰り返し望遠倍率を最大まで高めた。そこでも式典のようなものが開かれていて黒い軍服を着た生徒たちが直立不動で等間隔に並び、飾りのついた白い軍服を着た将校の言葉に耳を傾けていた。
将校が最前列の生徒に近づき、突如顔面を殴りつけた。地面に吹き飛ばされた生徒は、口から流れる血を拭うこともせず、直ちに立ち上がり「ありがとうございます」と口を動かした、ように見えた。将校は生徒の顔と腕と足の位置を矯正すると頷いた。どうやら『気をつけ』の姿勢が正しくなかったらしい。

「ユン! こっちだユン!」
広場の方から声がして僕は視線をそちらに向けた。
幼馴染の(IDN‐0494)AKAベガ・マフムードが、幼馴染の(USA‐0213)AKA千代丸・メランコリーの肩の上に仁王立ちし、腕を組んだ状態で僕を呼んでいた。二人とも長身の上、ベガに至ってはアフロヘア女子なので生徒たちの中でもひと際目を引いていた。
僕は笑顔で手を振り、二人を囲んでいるチアリーディング部の輪をかき分け「それは何のパフォーマンスなの?」と訊ねた。
「人間タワーだよ。まだ未完成だけどな。千代丸が一段目、ユンが二段目、私が最上段で完成だ」
ベガはそう言って、ウインクし、両手を広げて背中から落下した。下にいたチア部の後輩たちが元キャプテンのベガを難なくキャッチした。
「ユン、乗って」
千代丸がしゃがみ込んで肩に乗るよう促すが、
「待ちな、千代丸。それじゃ、品がないだろう」
とベガが制した。
するとチア部のメンバーが僕の周囲にやってきて両足を持ち上げた。
「ユン、半回転して千代丸の肩に乗るんだ。みんな頼んだよ」
「はいっ!」
後輩たちが元キャプテンに元気よく応じた。
「できるわけないだろ。僕はチア部じゃないんだから」
「何言ってんだユン。eWarゲームのランカーなら、簡単にできるはずだ。よしっ、行くぞ。せーの」
――待て待て待て待て、できないって……。
と抗弁する暇もなく、僕は千代丸の肩に向かって投げ上げられた。
「うわー」
と叫び声を上げながらも、体はちゃっかり反応し、半回転しながら千代丸の肩に着地した。千代丸はしっかりと僕の足を掴んで支えたのでバランスを崩すこともなかった。
「ほら、できただろ。よし、次は私が乗っかるから、しっかり支えてくれよ。みんな、行くよ」
「はいっ!」
ベガが後輩たちに投げ上げられ、半回転して僕の肩に乗っかった。予想以上の重量でベガの足を掴んだまま前方によろめいた。
ヤバい、落ちる。
そう思ったが、チア部のメンバー数人が咄嗟に僕の足をがっちりと掴んで、揺れを抑え大勢を立て直すことができた。
ふう、危ない危ない。
「よしっ! ユン、Y字バランスを取るから私の右足を両手で支えてくれ」
「そんな……無茶苦茶だ」
「ほら、いいから早く」
もう、どうにでもなれと僕はベガの右足を両手でしっかりと掴んだ。
ベガの右足がブルブルと震える。重心の変化で徐々に足が上がっていくのを感じた。
「キャー」とチア部が歓声を上げ、周囲の生徒たちからも「オー」という歓声と「バチバチバチバチ」と盛大な拍手が聞こえた。ベガがY字バランスを見事に決めたようだ。
「みんな、見てくれ。幼馴染タワーの完成だ。しっかり撮影しろよ。撮影したか? したな? じゃ、降りるぞ。ユン手を離してくれ」
僕が手を離すと肩にのしかかる圧力がふっと消えた。ベガは地面に向かって落下し、後輩たちが受け止めた。
「千代丸、手を離してくれ」
僕は千代丸の肩から地面へ飛び降り着地した。そのタイミングを見計らったようにベガとチア部のメンバーたちが歌を口ずさみ始めた。
「Happy birthday to you~」

僕はその歌を聞いてドキッとした。
――そうだった。すっかり忘れていたけれど、今日は千代丸の誕生日だった。
「Happy birthday dear千代丸先輩。Happy birthday to you~」
周囲の生徒たちも巻き込んで広場中で大合唱となった。チア部のメンバーがどぎつい色の特大バースデーケーキを運んできた。千代丸は大きく息を吸って十八本の蝋燭を一度に吹き消すと、歓声が上がり、指笛も鳴った。
「おめでとうございます」
千代丸に視線が集まっている隙にベガが僕の傍までやってきて、白い封筒を手渡した。
「どうせ、忘れてたんだろ。私と幼馴染で良かったなユン」
封筒には「Happy birthday 三ツ星レストラン・グランメゾン西京のペアチケットお食事券」と表記されていた。
ベガは僕にウインクをすると、千代丸の首に手を回して抱きついて「誕生日おめでとう」と言った。ベガはそのまま千代丸にお姫様抱っこされると頬に軽くキスをした。
「ありがとう、ベガ。凄く嬉しいよ」
千代丸は照れくさそうな顔をした。
「ユン、ほらあんたもプレゼント用意してるんでしょ? 千代丸に渡しなよ」
「あっ、ああ。そうそう。卒業記念だから奮発した。春休みの間にベガと二人っきりで行ってくるといいんじゃないかな」
「グランメゾン西京?! こんな高いチケット受け取れないよ」
千代丸は驚きながら、そう言った。
「幼馴染のプレゼントを断る気か? 幼馴染認定を解除しちまうぞ」
「で、でも……。本当に貰ってもいいの?」
「遠慮するな。二人で楽しんでくればいい」
「ユン、ありがとう」
「じゃあケーキ食べよっか」
チア部の後輩が元キャプテンにフォークではなく大きめのスプーンを渡した。ベガはケーキをすくうと「ア~ン」と言って、千代丸の口に次々ケーキを放り込んでいった。
「待て待て待て待て、二人とも。そのケーキ何キロあるんだ? 全部食べても大丈夫なのか? 千代丸、お前のBMI数値23.6で『肥満』の一歩手前だったよな、確か」
『BMI』とは体重(g・グラム)を身長(cm・センチ)の二乗で割り、10を掛けた数値で、ヒトの肥満度を表す指数のことで、25.0と超えると肥満と判断されることになる。
つまり体重90キロ、身長190センチの千代丸のBMIは23.6になる。
「大丈夫だよ、ユン。ちゃんと重量は計算してるから。このケーキは5キロあるからBMIは24.98で収まるよ」
僕はベガの答えに一応安心した。
その時だった。
誰かにじっと冷たい視線で見つめられているような気がして辺りを見回した。
ジュリエッタ……?
少し離れた所でジュリエッタが取り巻きたちと立ち話をしながらこちらを眺めていた。僕と視線が合うと一瞬口元に嫌らしい笑みを浮かべた、ような気がしたのだが、すぐに目を逸らし取り巻きと一緒に正門の外へと去っていった。
それから数分で千代丸は5キロのケーキをペロリと平らげた。
ベガがチア部のみんなと記念撮影を終えると、僕たちはその場を後にして正門へ向かった。

門の傍にはタクシー乗り場があった。遠方から通っている卒業生たちが列を成して自動運転タクシーの到着を待っていた。
「これで、学校ともおさらばか」
僕は名残惜しそうに呟いた。
「ちょっと寂しいね」
千代丸も同意した。
「何湿っぽくなってんだよ。幼馴染がいればそれで充分だろ」
ベガが威勢よく言った。
「まっ、でも最後に一応、記念写真は撮っとこう」
僕たちは肩を寄せ合い校舎をバックに記念撮影をした。
ポーズを変えて撮影を続けていると、正門の前にパトカーが乗りつけ、二名の警官がこちらに向かって歩いてきた。
「USA‐0213・AKA千代丸・メランコリーだね? 君には肥満の嫌疑がかかっている。ちょっとスキャンさせてもらうよ」
警察官はそう言うと、腰に着けた警棒を取り出し千代丸の全身をスキャンした。
「『BMI』25.6」
「えっ?」
三人はBMI数値に唖然とした顔になった。周囲にいた生徒たちもざわめき始める。
「そんなはずない。何かの間違いだ。もう一回調べてくれよ」
ベガは焦った表情をした。
「間違っているのはベガ、あなたの方じゃないの?」
タクシー待ちの列に並んでいたジュリエッタが、こちらの方へ進み出てきた。
「あのケーキ5キロじゃなくて6キロはあったもの。きっと誰かが生クリームの量を増やしたのね。『あなた方の普段の行いが悪いから怨みを買うことになるのよ』」
ジュリエッタは最後の台詞の前に、わざわざ僕の方に向き直り当てつけるように言った。
「さあ、みなさん学校で習ったことを実践する機会ですよ」
ジュリエッタは千代丸を指差し、
「肥満は犯罪よ!」
と叫んだ。正門前にいた生徒たちがざわつく。
「どうしたの、みなさん? いつもやっていることじゃない。さあ私と一緒に」
ジュリエッタが再び千代丸を指差すと、それに倣うように他の生徒たちも千代丸を指差し、
「肥満は犯罪だ!」
と叫んだ。
「ユン、てめえっ! ふざけんなよっ!」
――あれっ? どうして。
気がつけば僕も千代丸に対して指を差し、叫んでいた。
「ベガ、千代丸、違う。違うんだ。習慣が僕にやらせたんだ!」
「それが幼馴染することかよっ!」
激昂したベガが僕に殴りかかろうとすると、警官の一人が素早く動いて腹に警棒を叩き込んだ。グハッという声を出し、口を開けたままベガは地面に膝をついた。警官は首筋に警棒を当て電撃を流しベガを気絶させた。
「ベガっ!」
千代丸が駆け寄ろうとするが、その前にもう一人の警察官が立ちはだかった。
「USA‐0213・AKA千代丸・メランコリー。反SDGs容疑で逮捕する。両手を前に出せ」
「ユン。幼馴染なのにどうして?」
千代丸は手錠を掛けられ、泣き出しそうな表情をして僕にそう呟いた。

――違うんだ、千代丸。僕はお前を犯罪者だなんて思っていない。習慣が僕を勝手に動かしたんだ。僕たちは物心ついた頃からそう体に叩き込まれてきた。そうだろう千代丸? ベガ? 起床したら無意識に顔を洗い、食事をしたら無意識に歯を磨き、犯罪行為を目撃したら無意識に指を差して叫ぶように。
僕は幼馴染に何も声をかけられぬまま、二人がパトカーで連行されている姿をただ呆然と見送った。
「これだからアメリカから来た人間は駄目なのよ。あの国では人口の半分が肥満だったって言うじゃない。持続可能じゃない自分の体形のことを棚上げして持続可能な成長を謳っていたなんてお笑い草だわ。そんな人間たちの広めたエセSDGs思想のおかげで私たちの母なる星・地球は滅んだのよ。それなのに、微塵も反省することなくコロニー内で肥満体型をしているなんて、絶対に許せない。栄養の独占は罪よ。千代丸は、私たちの99.999%の循環型社会を乱す悪よ。ねえ、みなさん、そう思うでしょ?」
取り巻きたちが頷いて同意を示すと、ジュリエッタは満足した表情で正門に横付けしたタクシーに乗り込んだ。
「ざまぁ」
誰かが僕の背後からそう言ったのが聞こえた。
振り返るとそこにいたのは、(NGA‐0591)AKAパメラ・ババンギタだった。
人を貶めて喜びを感じている醜悪なパメラの表情を見た途端、僕の中で怒りが爆発した。
僕はパメラに殴りかかり、ボコボコにした。止めに入った他の生徒たちも巻き込んで、男女平等にボコボコにしてやった。
そして警察に拘束され留置所へと連行された。

けれど、その記憶は僕の中にはない。
怒りという感情があったことだけしか覚えていない。

「KOR‐0001・AKAユン・祇園。面会だ」
僕は看守のその一言で我に返った。
僕がいたのは警察の勾留室だった。
「痛ッ」
両手の拳には細胞再生スプレーが吹きかけられ、白く粉を吹いていた。それを拭って拳の状態を確かめたい衝動に駆られたが、何とか我慢した。
看守の後について面会室に向かった。
そこはアクリル板で仕切られ椅子が置いてあるだけの真っ白で素っ気ない部屋だった。
「やあ、ユン・祇園君。私は君の弁護人を務めるUKR‐0088・AKAチチパス・ゼレンスキーだ」
アクリル板の向かい側に座るチチパスが言った。六十代ぐらいの総白髪で柔和な顔をしていた。
「傷は大丈夫かい? 痛みは?」
「ズキズキします」
「あとで痛覚ブロック薬を処方してもらうよう手配しておくよ」
「ありがとございます」
「調書をみせてもらったんだけど、私にはどうも理解できないことがあってね。生存権が脅かされたわけではないのに、パメラ・ババンギタに暴行を働いたのはなぜなんだい?」
「生存権?」
「『死の先に世界は存在しない。死の先に価値を見出してはいけない』。肉体的または精神的苦痛を与えられ場合、私たちにはそれに抗う権利があると憲法に明記されている。生存を脅かされたことへ対する報復は正当防衛として認められているんだ。学校でイジメにあった生徒がイジメっ子を殺したとしても正当防衛の範疇になるわけだ。けれども、君はパメラ君にイジメられていたわけでもない。生存権を脅かされてはいなかった。それは他の生徒たちの証言と君自身の証言からも明らかだ。君はパメラ君の何が気に入らなかったんだい?」
「それは……。ちょっと込み入った話で」
僕は、パメラがジュリエッタを挑発していたことを説明した。
「なるほど。幼馴染のためにね。けれど、君は千代丸君に対して犯罪行為の認証を行っているね」
「犯罪行為の認証?」
「指を差して、『肥満は犯罪だ』と叫んでいる」
「それは、習慣が僕にそうさせたんです」
「そうかもしれないが、そのことが重大な意味を持っていてね。幼馴染認定についての法律にはこうある。年齢十六歳未満の子供が五年以上の交友関係を持つ間柄である場合に、互いに幼馴染であると証言することで認定されると。認定の解除についてはどちらか一方がそうではないと宣言した場合、もしくは犯罪行為の認証を行った場合とある。つまり君は幼馴染ではなく、ただの友人のためにパメラ君に対して暴力を振るったということになるんだ。これがどういう意味かわかるかい?」
この人はさっきから何の話をしているのだ?
僕は首を振った。
「『労働者よ、団結せよ。仲間のために、血を流せ。輪廻は巡り、我らは蘇る』。君は、ニュートンタウンで言う所の仲間のために血を流したということになる。ダーウィンタウンでは生存権が脅かされていない場合、家族、幼馴染、恋人以外に対する利他的暴力行為は認められていない。ニュートンタウンの思想に取り込まれたとして、ただちに人体実験場送りになる」
「待って下さい。さっきも言いましたが、あれは習慣のせいなんです。僕が望んで犯罪認証したわけではないんです。そうだ。感情認証。警察は映像解析と脳スキャンによる感情認証で僕が嘘をついていないと知っているはずだ。データの公開を請求してください。そうすれば犯罪認証の件は否定されるはずでしょう?」
「残念だが、それはもはや無意味だ。千代丸君とベガ君が、君のことを幼馴染ではないと宣言したからね」
「そんな……」
チチパスの言葉は僕の心を大きくえぐった。
「だから私は、君が心神喪失状態にあったと主張しようと考えている。事実、パメラ君に暴行を働いた時の君の記憶は曖昧だしね」
「…………」
二人に幼馴染ではないと言われたショックで、弁護士の話がまったく頭に入ってこなかった。
「君には精神鑑定を受けてもらうことになる。恐らく七、八割の確率でそう認定されるはずだ」
「…………」

この時の心境を思い出すのは走馬灯であっても辛いし耐え難い。
それまで当たり前のように存在していて、心の支えになってることにさえ気がつかなかった大事なものを失った、そんな感覚を持った。
以後この喪失感が埋められることはなかった。
 
この後、僕は精神鑑定を受け、心神喪失状態だったと認定されたのだが、それは何の意味も成さなかった。
何か大きな力が働き、裁判においてその事実は無視され実刑判決が下された。
僕は、人体実験施設の検体として懲役二十五年の刑に処された。

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