【エッセイ集】④やくざの宴席で正座をさせられる〜ホテルマンの体験記
私がホテルでの仕事をはじめた、まだ駆け出しの頃のことである。
ある30名ほどの団体の宴席で、その団体が特殊な集団(やくざと呼んでいいのかは微妙な感じは受けたが、右翼かそれに近いところの方々の集団であるのは間違いない)であるのは「○○会」という宴席名と、見るからに殺気をそこかしこから感じる男性のみの集団から私は読み解いていた。
宴会場は畳の座敷に長テーブルを二列並べ、座布団を各席に配置した、いわゆる温泉旅館での宴会席のような配置だった。宴会がはじまり、ビールの追加にとにかく追われていた。よく飲む――配っても配っても、次から次へと空になったビール瓶が並ぶ。そんな宴会も宴たけなわになった頃、一人の客から呼ばれた。「にいちゃん、こんなものが料理に入ってたで」その客の短めの細かなパーマヘア越しに開いたごつい手のひら上に……なんと、ちじれた針金のようなものがのっているではないか!
私は「すみません」といいながらも、その針金をつまみ上げると、どうやら「金タワシ」の一片であるのがわかった。
私は「直ちに厨房に確認してきますので少しお待ちください」と言うと、下階の厨房まで階段を駆け下りた。
「板長!料理にこんなものが入っていたそうです」とすぐさま見せると、板長はのんびり口調で「ああ、これは金タワシだな」とわかりきったことを繰り返した。
「板長、この宴席のお客様はどう見ても普通の団体じゃなく不味いです」
「いまフルーツ盛り合わせでも作るから、持っていって謝ってくれ」
その待っている時間がとても長く感じられ、その後の展開をネガティブに考え始めると止まらなくなったが、やがてフルーツ盛り合わせも仕上がり、階上に持ってあがっていった。
宴席に入り、先程の方の後ろから「申し訳ございませんでした。お詫びにフルーツをお持ちさせて頂きました」といいながら、大きなガラスの器に盛り込まれたフルーツをテーブルに差し出した。周辺のだれからもなんの反応もなかった……が少しして「にいちゃん、まあいいから座れ」と、さきほどのごつい手が私の肩の上に乗り、座らせようとした。しかたなくわたしは、そのごつい男の背後に正座をした。しばらくして「まあ、にいちゃん一杯やろう」とグラスを持たされビールをつがれたが「私は仕事中ですので……」と言うやいなや、もの凄い睨みが向けられ、飲まなければ許されないことが瞬時に理解できた。
「いただきます」と言い、一気にグラスのビールを飲み干した。空のグラスを置くところもなく、すぐにまたビールが注がれた。本来、酒には強いほうではない……何杯飲んだか記憶が定かではないが、ぜんぜん酔わなかった。「では、そろそろ……失礼します」と言って退席しようとしたが「すわってろ」の一言で、また正座をし直した。
結局、宴会がおわる時まで、ずっとその場で正座をさせられた。宴会が終わり、ぞろぞろとその団体が出て行った時には、ぐったりと疲れ果て宴席の片付けは他のメンバーに任せた。
翌日、板長にことの次第を報告すると「生きて帰れてよかったな、ハハハ……」と軽く言われ、これがホテルの仕事なのだとまだ駆け出しだった自分の肝に命じた出来事だった。
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