公立学校におけるICT教育の輪郭 序 アプリ編

輪郭とは

 私にとっての「良い授業」の区分が授業として成立していれば別に良い授業でしょと思うように、ICTについても良い悪い、合ってる間違ってるで争うのはあまり意味がないように思えてきた。授業を見ていてそこでICT使う意味は何?と思うこともあるにはあるが、それが1カタマリの授業として成立していれば別にいいのかなと感じ始めたからである。それをどうだ。すごいだろ。と威張らない限りは。

 30年近く情報教育をウォッチしてきて「間違えだらけのICT教育選び」(パクリだ)をnoteしてみようかと思ったが上記のような理由から「輪郭」といううっすらとした境界のイメージから、縛りのある公立学校におけるICT教育の姿を形作ってみようかなと思った次第。
 故にどちらかといえば一般の先生のICT活用はそのままでよく、ICT教育をプロパーにしている(元教員の)大学教員や俺スゲーを丸出しに雑誌や書籍でマウントとっているICT得意教員(大学教員を狙っている)に向けての批判から教育現場のICT教育の実際を反映した輪郭を言語化してみます。ということ。
 それは現場が決して質が悪いとか、レベルが低いとかそういうことではなく、教育現場との親和性とか学習指導要領との親和性とか学校事情との兼ね合い、教職員の働き方を考慮した語りになっているということです。
 非常に簡単に誤解を恐れず言えば、(うわ言っちゃったよ)現在の「優れた実践」というのは日常的な授業でなく、個人が1つのことに(他のことを投げ捨て同僚に迷惑をかけて)注力してものすごくたくさんの時間をかけて(家族に迷惑をかけ)色々脚色して語られる壮大な物語(よく斎藤喜博さんがこう批判されます。私は嫌いではないのですが)としての創作物です。
 これらの創作物は少数の誰かの心に火を灯してやる気を起こさせる(これすらミスリードでその人の教師人生を狂わせる可能性があると思っています。)一方で、多くの場合はよその国の物語くらいに自分から異化させ、見かけ上賞賛してもそれで終わりの産物になってしまうことばかりだと思います。
 現在の多くの教職員研修は、たとえ目の前で行われる校内研修であっても、そういう自分とは繋がりの薄い研修に成り下がっているものがほとんどです。優れていれば優れているほどそうなりがちです。この場合が研修を語る側にも語られる側にも大きな問題を抱えているということではあるんですが、、研修のあり方はまたいずれ。 

輪郭としてのアプリ

 ICTを使う上でよく話題に挙がり続けているのはアプリ(昔はソフトって言いました)何使ってる?です。
 もうこの話題よくね?と思いますが、いつも一応お付き合いしています。挨拶がわりの言葉なんですが、ICT得意者にとっては相手のレベルを測るのに最適な問いなんですね。
 本来のICT得意者というのは目の前にいきなり現れるICT困り者に対して最短で解決方法を1つだけわかりやすく言語だけで解説できる者を指す言葉だと私は思うのですが、どうやら教員世界ではたくさんの知識をわかりにくく開陳してマウントをとって困難者をバカにし、ありもしない妄想を語りながら大学教員になる人を指す言葉のようです。(毒) 

 結論アプリはなんでも良い。そこに議論の余地はなく、時間の無駄です。学校間の格差を心配する声もあるが、問題はアプリの性能差ではなく、別のハナシです。もちろん無料で使いやすいアプリもあり、使い物にならないバカ高い使用料をとっているアプリもあるんですが、それはアプリの問題でなくその使用を義務付けている設置者の問題です。これは公立学校勤務者には如何ともし難い話です。
 コロナがなければ1人1台端末の実現はこんなに早くなかったはずです。これはICTに関わる研究者には全く政策に関わる力がないことを如実に示しています。(でかいテレビを学校に3つずつ配って5年で入れ替える壮大な税金の無駄遣いをやった奴が今でも偉そうにしてますしね)
 故に優れた実践「紹介」とICT用語「解説」しかしない大学教員の話に価値がないと思います。と同時にコロナのおかげで1人1台端末がブッこまれて混乱する現場で(まるで善意の第三者のように現れ)金儲けに走るソフトウェア会社とそれに群がる御用学者、俺得意教員が無限ループで自分達の都合の良いようにPDCAサイクルを回し続ける様は見ていて気分が悪いです。どうせ流行が廃れれば、能力に伴って消えていく存在です。
 このバスに乗らないためにもICT教育の輪郭は重要だと考えたわけです。

 もちろんアプリを選定する上で重要な視点はいくつかあります。それが正確に見極められれば効率よくICT教育が進めれらるのは間違いないですが、実際にはその選考にはICTに詳しくない(年齢の問題ではなく単に教養がないだけ)エライ人の関与がありますので考えるだけ時間の無駄になってしまいます。

 本を読めばわかると思いますが、元々日本はソフトウェア開発に力を注いでいなかった歴史があるので、アメリカを筆頭とする諸外国にアプリ開発・運用では回復不能なくらい遅れをとっています。その上エンジニアさんから低く見られている教育分野にはあまり質のいい人材は投下されてきません。結構たくさんのエンジニアの方とお話させていただきましたが数学的にも科学的にもちょっとな人だらけでした。しかもこちらが何も知らないふりをして質問すると自分に都合のいいうそ話でケムに巻こうをします。大人なので指摘しないですが、、

 もちろんロイロ(すいません。実際使ったことはないのです)のように優れた国産ソフトもあるのですが、反面、、という話でした。でも一定水準は越えていると思うのであとは使い方次第です。となるとものによっては教師の側の負担が増えるんですよね。
 実際、教育現場はソフトの質のせいでDXが余計仕事を増やす羽目におちいっています。DXで紙の業務がソフト上に移行したのに、結局紙は残るみたいなやつです。仕事倍増。教育委員会を潰したほうがいいと思う所以です。

 こうした事実に基づいた毒満載風味でICT教育について言語化していきたいと思ったのですが、1500字に収めようとしたら2500字を越えてしまったという能力不足を真っ先に罵っていただきたいと思った今日この頃。続きます。


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