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生存戦略においては犬より猫の方が賢いのでは?と思ったって話

私は柴犬が好きだった。
いや、正確に言えば今でも大好きだ。
ポメラニアンも好きだ。
いや、どちらかといえば私がポメラニアンに好かれやすい。
だが、事件は起きた。
私がうつを患い、寛解への一歩として始めた朝散歩が全ての始まりだった。

私Tone.マニアの人はもうご存じだろうが、
私の散歩コースには決まって同じ場所に同じ茶トラ猫がいる。
通称「にゃあ様」である。
その「にゃあ様」と毎朝挨拶をかわし「猫瞑想」をするたびに
私の心は自然と猫派に傾いていった。
※初見の方は下記を参照

しかし、元々断然柴犬派だった私は次第に葛藤に苦しむこととなった。
柴犬の画像や動画を漁るたびに、以前ほどの感動を覚えなくなったことに
驚きを覚えるとともに、胸が引き裂かれそうな思いに駆られてしまう。
犬、猫、犬、猫、犬、猫、犬、猫…。
時々夢にまで犬猫が現れるようになり、私に決断を迫ってくる。
アタシとアイツ、どっちの方が好きなのよ!ハッキリしなさいよ!と…。
やめてくれ。そんなこと、簡単に決められるわけないだろう(泣

んで、悶々と考えていくうちにだ、
ふとなぜ猫って可愛いんだろうって思うに至ったのさ。
猫はきまぐれだとよく言われる。
犬はよく言うことを聞き賢いと言われる。
なので、一般的に犬は猫よりも賢いという認識なのではないだろうか。
しかし、私はここで敢えて異を唱えたい。
それはタイトルにもある通り、
「生存戦略としては猫の方が犬よりも賢い」説
提唱したいと思うからだ。

なぜ、私がそう考えるに至ったか。
それは人間に置き換えてみると手っ取り早い。
犬は会社員、猫はキャバ嬢である。
私は決してキャバ嬢の苦労をバカにしているわけではない。
ただ、元々夜の仕事の才能に困らない性質だったとしたら?

勿論、現在は犬も愛玩対象として扱われることが多いだろう。
だが歴史を遡ってみれば、犬は仕事の相棒であり、
ある意味ツールだったのである。
牧羊犬、猟犬、盲導犬など。
要は役に立つことが付加価値として大きくかかわっているのである。
翻って猫はどうだろうか?
いくらか躾ければドアくらいは開いてくれそうだが、
犬のように汎用的な使用(乱暴な言い方だが)はできまい。
つまりだ、猫は愛玩に特化しており、
犬ほどの労働負荷を背負いこむことなく
人間と共益共存の関係を構築しているのである!!

これは私にとって大きなパラダイムシフトを促す発見だった。
ホリエモンが自身のプロデュースするパン屋に「小麦の奴隷」という
概念を導入したこととダブって見えた。
つまり我々は猫の奴隷となり下がることで猫の繁栄を手助けしてきたのではないだろうか?
今はそう思えてならない。
とくに私は小悪魔どころか悪魔のように悪い妖艶な女性が好きなので
それも影響しているのかもしれない。

皆様も一度、身の回りにある自分の中の当たり前を疑ってみてはいかがだろうか?
そこには今まで出会えなかった新たな発見があるかもしれない。

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