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第一章 人生100年時代と健康寿命

創業半世紀、社会の激変

第一章 人生100年時代と健康寿命 

 私が兄の会社の手伝いから独立し、福岡市で医療用医薬品卸売業の会社を起ち上げたのは昭和43(1968)年2月。その後、健康食品の企画製造販売と調剤薬局の会社も設立し、グループ企業は三社になりました。

平成30(2018)年で創業50周年を迎えたわけですが、この半世紀で世の中は大きく様変わりしました。

国内外の政治や経済はもちろん、国民の暮らしや夫婦と家族のあり方まで……。

実は、この本の主題である医療と薬、食事と健康などの問題は、これら社会のさまざまな変化と無関係ではありません。

本題に触れる前に、昭和から平成に至る急激な変化の諸相を、駆け足でたどることから始めたいと思います。

◎戦後日本の「転換点」

今から50年前の昭和43年は、日本のGNP(国民総生産)が西ドイツを抜いて自由主義世界で第2位となった年です。

5月には十勝沖地震があり、7月の参院選では石原慎太郎や青島幸男らいわゆるタレント議員が続々と誕生しました。

12月には東京・府中市で白バイ警官に変装した男が現金輸送車から三億円を奪う事件(三億円事件)が発生。同月、米宇宙船アポロ8号が月の周回に成功し、人類は初めて月の裏側を目の当たりにしました。月面から昇ってくる「地球の出」の衝撃的映像を、覚えておられる方も多いでしょう。

この年の大卒平均初任給は、3万2047円。国内初のレトルトカレーやコーンを使ったスナック菓子、大豆タンパク食品、冷凍ライスなどが次々と商品化され、私たちの食生活を大きく変えるきっかけとなりました。

暮らしと健康に直結する問題としては、戦後最大の食品公害となったカネミ油症の発生やイタイイタイ病訴訟など、経済急成長の「負の遺産」が表面化した時期でもあります。

医療の分野では、子供や婦人のがん多発が問題化し、わが国初の心臓移植が行われて賛否両論が沸騰した年でした。

こうして見てくると、私が創業したころは、地球が昔よりずっと狭くなり、世界が本格的な宇宙開発競争に突入した時代だったといえます。

国内では各地で公害多発など高度成長の影の部分が顕在化し、大量生産・大量消費、インスタント化の大波が私たちの暮らしや食卓にも波及し始めた時期でした。

急成長を遂げた戦後日本の資本主義社会が、成長のピークに向かい、私たちが歴史の転換点を通過しつつあったことが分かります。

 

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インスタント食品 戦後の即席食品の歴史は、昭和33(1958)年に日清食品の安藤百福が開発した「チキンラーメン」から本格的に始まった。熱湯をかけて二分後には食べられるという簡便さで大ヒット。即席麺業界にはこのあと、明星食品や東洋水産、サンヨー食品などが相次いで参入し、戦国時代に突入した。また、この年は、渡辺製菓が無果汁の「粉末ジュースの素」を発売し、粉末ブームに火をつけた年でもある。それから10年後の昭和43(1968)年には、大塚食品工業がお湯に入れて温めればすぐに食べられる「ボンカレー」を発売。当時、1食80円という手軽さもあって、レトルト食品ブームの元祖となった。平成元年までに、43億食が製造販売されたという。

 食品公害事件 戦後、加工食品の製造工程で有害物質が混入し、消費者が健康被害を生じる事件が起こり「食品公害」と呼ばれるようになった。その代表的な事例は、昭和30(1955)年、西日本地域を中心に発生した「森永ヒ素ミルク事件」。森永乳業徳島工場で製造された粉ミルクの製造工程に微量のヒ素が混入し、約130人の乳児が死亡、1万人を超す被害者が発生した。

また、昭和43(1968)年秋には、福岡、長崎を中心に「カネミ油症事件」が発生。カネミ倉庫北九州工場で製造した米糠(ぬか)油「カネミライスオイル」の脱臭工程で使用された有毒物質PCB(ポリ塩化ビフェニール)が、製品の油に混入。この油を摂取してカネミ油症と認定された患者は、約2000人にものぼった。女性の患者からは、皮膚に色素が沈着した「黒い赤ちゃん」が生まれ、社会に衝撃を与えた。

◎未曾有の人口減少社会に

その後、オイルショックや低成長時代、バブル景気とその破綻などの曲折を経て、既に半世紀――。この間の日本の足取りを振り返ってみると、最も大きな構造的変化は「人口減少社会」に突入したことでしょう。

平成27(2015)年に実施された国勢調査の結果は、政府や自治体関係者らに大きな衝撃を与えました。

この調査による日本の人口は、1億2688万人余。前回調査よりマイナス0.077ポイントと、わずかではありますが減少に転じたからです。このころを境に、日本は第二次大戦直後を除き、初めて人口減少社会に足を踏み入れたことが明らかになってきました。

同じころ、日本創成会議(大学教授や企業経営者らによる民間組織、座長は増田寛也・東大大学院客員教授)が、「2040年までに全国約1800市町村の半数に当たる896市町村が、人口減で消滅する」というセンセーショナルなレポートを発表。賛否の大激論を巻き起こしたことも、皆さんのご記憶にあるでしょう。

 

(二) 少子化が家族を変えた

 ところで、私が創業した昭和40年代前半は、いわゆる第二次ベビーブームの最中で、これが40年代後半まで続きました。しかし、その後は新生児の出生数が減少の一途をたどります。

背景には、核家族化の急激な進行と共働き所帯の増加、結婚適齢期世代の晩婚化など、さまざまな社会的要因が指摘されています。パートやアルバイト、契約社員など非正規労働者の増加による所得格差の拡大や若年貧困層(ワーキングプア)の増大も、大きく影響しているでしょう。

さらに、若い世代の生活習慣の乱れが少子化に追い撃ちをかけています。連夜の夜更かしと睡眠不足、「依存症」ともいえるゲームやスマホ中毒、運動不足や持続するストレスが、若者たちの生殖機能を痛めつけ、受胎率を低下させます。そして乱れた食生活が心と体の正常な働きをさらに低下させ、子どもをつくりにくい若者が増え続けているのです。

この少子化の大波は、当然、日本の家族のあり方をも大きく変えてきました。

二世代、三世代が同居する大家族は、今や希少な存在。夫婦と子供二人という「標準家庭」も既に標準ではなくなり、一人っ子家庭やシングルマザー、生涯結婚しない(あるいは離婚・老後の死別などによる)単身世帯の拡大などが進んできました。

国立社会保障・人口問題研究所の「家族累計別世帯割合の変化」によりますと、昭和55(1980)年には「単身」世帯の割合が約20%、「夫婦と子ども」世帯が約42%でした。

しかし、平成22(2010)年には逆転して「単身」が30%を突破。単身世帯が家族の類型別で最多となり、2040年には約40%にも達すると予想されています。

日本の家庭の四割が「おひとりさま」という時代が、すぐそこまで迫っているのです。

  

増え続ける高齢単身世帯 平成27年国勢調査によると、高齢単身者(65歳以上)は約303万人で、平成7年調査に比べ約83万人、37.7%も増加した。65歳以上人口に占める高齢単身者の比率も、この20年間で12.1%から13.8%へと拡大している。

男女別に見ると、65歳以上の男性の8.0%、女性の17.9%が単身者で、女性の5.6人に1人は単身者だった。高齢単身者の比率が最も高い県は鹿児島県で、22.0%。次いで東京都20.3%、大阪府19.4%となっており、大都市圏でも高齢単身者の増加が進んでいる。

 

◎団塊世代が後期高齢者に

一方、65歳以上の高齢者が増大し、これから先長く、国や自治体の財政に占める働き手世代の負担が重くなって行きます。

かつて「2007年問題」というのが話題になっていたことを、ご記憶でしょうか。

2007年から、戦後の第一次ベビーブームで誕生した団塊の世代(1947~1949年に生まれた800万人以上の人たち)が、次々に定年を迎えて大量退職が発生。労働力の大幅な減少、技術・知識の継承の断絶、巨額の退職金支払いによる企業の負担増、退職後の預貯金取り崩しによる貯蓄率低下――など、深刻な社会問題を引き起こすと心配されていたのです。

このときは、逆に団塊世代の大量退職で、就職氷河期に正規の職に就けなかった非正規雇用労働者の受け皿ができるという楽観的な見方もありました。また、多くの企業は定年延長や定年後再雇用の拡大などで、この危機を何とか乗り切ったのです。

 しかし、次なる2020年には、団塊世代がいよいよ後期高齢者(75歳以上)の仲間入りを始めます。高齢化率も遂に30%を突破。年間の死亡者数が、出生数の2倍(150万人台)に達する時代が到来します。いわゆる「2020年問題」です。

しかも、この問題は、企業の人材不足などにとどまらず、独居老人の増大や空き家問題の全国的拡大、「介護難民」の大量発生といった重大な社会不安を引き起こします。

2020年は、東京オリンピック開催が予定される年。しかし、伸び盛りの青年のような活気に満ちていた前回の東京5輪当時(昭和39年)と比べると、日本の社会は既に成熟期から老年期に向かって急速に突き進んでいるのです。

  後期高齢者医療制度(長寿医療制度) 平成20年4月に「老人保健制度」が廃止され、高齢者の医療の確保に関する法律に基づいて始まった制度。75歳以上(または65~75歳で一定の障害がある高齢者)が対象で、75歳の誕生日とともに、それまで加入していた国民健康保険や被用者保険から移行する。市町村が設置する後期高齢者医療広域連合が保険者となって、財政運営や事務処理を行う。今後、高齢者医療費が増大すると、税金や現役世代の負担割合が低下し、高齢者の保険料が上がるのではないかと懸念されている。

 

介護難民」 介護が必要な高齢者や障害者のうち、家庭や病院、施設等で介護が受けられない人たちのこと。厚生労働省によると、2012年には約550万人だったが、2025年には約700万人に増大すると予想されている。介護職員の圧倒的な不足が背景にあり、低賃金による離職率の高さも指摘されている。

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◎「2040年問題」の衝撃

平成の世の終焉が迫った今、2020年はもう目の前ですが、問題はそのあとも一層深刻化していきます。

すべての団塊の世代が2025年までに後期高齢者になり、次なる「2025年問題」が現実化します。

そのときまでの10年間で日本の人口は700万人減り、15~64歳の生産年齢人口は7000万人にまで落ち込みます。逆に、65歳以上の高齢者は3500万人を突破。国民の3人に1人が65歳以上、5人に1人は75歳以上という、人類がいまだ経験したことがない「ハイパー高齢社会」が到来します。

そして私たちは、これら団塊世代の多くが要介護者や寝たきりになるという、極めて厳しい現実を目の当たりにするでしょう。しかもそれは、超高齢社会がピークを迎え、人口の4割近くが65歳以上になる2040年代まで続きます。

そのとき、日本の総人口は約1億1091万人(国立社会保障・人口問題研究所による『2040年』の推計)。働き手世代は現在よりも1700万人以上減り、税収が激減して福祉や教育など市町村の行政サービスにも限界が来ると考えられています。これが、衝撃の「2040年問題」です。

 

自照庵の春

(三) 「長生き」はしたけれど

 さて、長々と人口問題についてお話してきたのは、これから起こるであろう社会の急激な変化を見据えた上で、本章のテーマである「健康寿命」の問題に真正面から向き合っていただくためです。

直近の調査では、日本人の平均寿命は、男性81.09歳、女性87.26歳(平成30年に発表された厚生労働省調査)で、国際比較では世界第2位です。

戦国武将の織田信長は、戦に望んで「人間50年、化天(げ てん)のうちを比ぶれば……」と謡いつつ敦盛(幸若舞)を舞った(信長公記)そうですが、江戸時代までの実際の平均寿命は30~40歳前後であったといわれています。

では戦後、日本人の平均寿命はどう推移してきたのでしょうか。

厚生労働省の調査によると、戦後間もない昭和25(1950)年の平均寿命は男性58.0歳、女性61.5歳。私が創業した直後の昭和45(1970)年には、男性69.31歳、女性74.66歳でした。それ以後のほぼ半世紀で、男性は11歳以上、女性は12歳以上も寿命が伸びたことが分かります。

10数年ほど前まで、毎年「敬老の日」になると、地元紙のローカル面に「百歳を迎えたお年寄り一覧表」というのが掲載されていました。当時はまだ珍しかった百歳突破者のお名前を掲載し、ご長寿をお祝いするという趣旨だったのでしょう。このころは自治体も、長寿者に金杯・銀杯や金一封を贈る慣わしがありました。

中国唐代の詩人・杜甫が、詩の中に「人生70、古来稀(まれ)なり」と詠んだことが古希(稀)の由来になったそうですが、十数年前には「百寿(紀寿)」が稀な存在だったのです。

その「百歳名簿」がいつの間にか新聞から姿を消したのは、あまりに該当者が多くなり、紙面に収容し切れなくなったからだそうです。これと並行するように、自治体の「お祝い」も徐々に縮小されて行きました。

そして今や、「人生100年時代」が現実のものになりつつあります。

◎「人生100年」構想の時代を生きる

政府は平成29(2017)年9月、「人生100年時代構想推進室」を設置し、有識者による「人生100年時代構想会議」が動き出しました。翌年6月には、同構想会議が「人づくり革命基本構想」なるものを発表しています。

その内容は、幼児・高等教育の無償化や大学改革などが中心ですが、「高齢者雇用の促進」という項目もあります。「65歳以上を一律に高齢者と見るのは、もはや現実的ではない」と宣言し、年齢にかかわらず可能な限り働ける環境づくりを進めようという計画です。

 

明海和尚 働きは最上の喜び

 人づくり革命基本構想 安倍政権が平成29年12月、「新しい経済政策パッケージ」の1つとして「生産性革命」とともに打ち出した構想。

②    幼児教育の無償化 

②待機児童の解消 ③高等教育の無償化 ④介護人材の処遇改善など九つの項目で構成。少子高齢化という「最大の壁」に立ち向かうため、生産性革命と人づくり革命を車の両輪として2020に向けて取り組んでいくことを宣言。若者もお年寄りも、女性も男性も、誰もが生きがいを感じ、能力を発揮できる「一億総活躍社会」の創出をうたっている。

  戦後経済が成長軌道に乗り始めた昭和31(1956)年、経済企画庁は経済白書の中で「もはや戦後ではない」というキャッチフレーズを掲げました。これと「人づくり革命――」は、どこかニュアンスが似ていると思いませんか。

この昭和31年は神武景気が幕を開けた年で、前年には国民1人当たりのGNP(実質国民総生産)が戦前の水準を超えました。もはや焼け跡からの復興にモタモタしているときではなく「高度成長に向けてまっしぐらだ」という、政府の鼻息の荒さと企業戦士たちを鼓舞する進軍ラッパが聴こえてきそうです。

「人生100年時代構想」は、高齢者がいつまでも働けるよう政府が働き方改革を進めますという、一見ありがたい政策に思えます。確かに、その恩恵を受ける人たちもたくさんいることでしょう。

しかしその裏に、「高齢者は、いつまでも政府のお荷物になっていてはいけません」「働ける人はとことん働いてもらい、税金もしっかり収めてもらいますよ」という、政府の本音(?)を感じ取ってしまうのは私だけでしょうか。


子供たちの思い出作り 地蔵盆

◎破綻寸前、国家の台所

実は、政府がこのような「働き方改革」を推進し始めた背景の一つには、破綻寸前に陥った国家財政の実態があります。

みなさんは、国家予算がどれぐらいの規模か、ご存知でしょうか。平成30年度予算(一般会計)は、約97兆7128億円。歳入のうち税収は59兆円余で、33兆6992億円を新規国債の発行(新たな借金)に頼っています。つまり、年間59兆円しか稼ぐ能力がないのに、33兆円以上の借金をして97兆円の暮らしをしているという、借金まみれの火の車所帯なのです。

その借金も、平成29年度末には1088兆円に迫り、国民一人当たり約860万円にも膨れ上がっているというのですが、色んな数字が一人歩きしていて実際のところはよくわかりません。

ただ、政府が赤字国債発行に依存し続けてきた40数年の間に、わが国GDP(国内総生産)の約2倍もの借金を積み上げてしまったのは疑いないところです。

赤字国債(特例国債) 政府は公共事業を推進するために国会の議決を経た範囲内で「建設国債」を発行できるが、それでもなお財源が不足する場合、特例法に基づいて「特例国債」を発行することができる。これが一般に「赤字国債」と呼ばれている。東京5輪直後の昭和40(1965)年度に発行を一年限りで認める特例公債法が制定され、戦後初の赤字国債が発行された。その後、昭和50年度からは景気が良かった一時期を除いてほぼ毎年発行している。平成25(2013)年に黒田東彦・日本銀行総裁が「異次元金融緩和」政策を打ち出し、日銀による国債買い受けが始まってからは、政府が発行した国債を実質的に日銀が買い支えるという「禁じ手」が常態化した。

 ◎1兆円の軽さと重さ

しかし、国民は1000兆円などという数字を示されてもピンと来ませんよね。

私の知人の新聞記者は、国家財政について講演をするとき、まず聴講者に「1兆円クイズ」というのをやるのだそうです。

 

【問い】 
あなたに毎日、100万円のお小遣いを差し上げましょう。ただし、毎日使い切ってください。預貯金は不可です。さて、あなたは毎日100万円を使い続けて、1兆円を使い切るのに何年かかるでしょうか?

 このクイズを出すと、聴講者はみな「どうやって毎日100万円を使おうか」と頭を悩ませるそうです。

このクイズの答えは、何と約2739年――。つまり、イエス・キリストが生まれる700年以上も前、日本でいえば縄文時代の終わりごろに毎日100万円ずつ使い始め、現在に至ってようやく使い切るという計算です。

何しろ、1兆円というお金は、札束にして積み上げると富士山の高さの2.5倍以上にも匹敵する途方もない巨額なのですから……。

◎急膨張する社会保障費

一兆円クイズで、1000兆円を超す国の借金の宇宙的巨大さにご理解をいただいたところで、話を国家予算に戻しましょう。

国の予算を歳出面で見ると、最も金額が大きいのが社会保障費(平成30年度・約32兆9732億円)で、2番目は国債費(同23兆3020億円)です。

つまり、福祉や医療などにかかるお金と借金の返済が、国の予算の6割近くを占めているのです。しかも、この社会保障費が年々膨張の一途をたどり、国家財政を圧迫し続けています。

年金、医療、福祉・介護など、社会保障給付費全体は、国や地方自治体の予算(税収)のほか、年金や医療、介護などの社会保険料で賄われています。その総額は、国の一般会計予算をはるかに上回る約121兆円(平成30年度)です。

この額は、半世紀前、私が薬の卸売業を始めた頃に比べて30数倍にも増大し、政府の推計では2040年度に約190兆円に迫ると予想されています。団塊の世代が後期高齢者の仲間入りをするにつれ、医療や介護の費用が膨らみ続けて行くからです。

政府が、躍起になって働き方改革を推し進め、「65歳以上を一律に高齢者と見るのは、もはや現実的ではない」というキャンペーンに乗り出した理由が、お分かりいただけたでしょうか。

  介護保険料 介護保険制度の総費用は、制度開始時(平成一二年度)は三・六兆円だったが、十年後には早くも八兆円を突破し、二倍以上になった。お年寄り自身の負担も増え続けており、六五歳以上が支払う介護保険料の全国平均額は、制度開始時二九一一円だったが、平成三〇年度は五八六九円に倍増した。

 

地蔵盆の風景

(四) ハイパー高齢社会を生きる

ここでもう一度、平均寿命と健康寿命の話に戻りましょう。

これから先、先進医療の発達で、平均寿命はさらに伸び続けると思います。iPS細胞(人工多能性幹細胞)の開発による再生医療や創薬技術の急速な進歩、人類最大の敵だったがん治療の飛躍的な発展などを考えると、その思いを一層強くします。

まさに「人生100年」が、現実のものになりつつあるのです。

ただし、長く生きられるからといって、確かな生きがいをもって、健康に人生を全うできるとは限りません。

最終ステージまで自分らしく生きるために、「健康寿命」をいかに伸ばすか――。それこそが、「ハイパー高齢社会」を生き抜かねばならない私たちの究極の目標でしょう。

◎「健康寿命」のお手本

平成30年は、伊能忠敬(い のう ただ たか)(1745~1818)の没後200周年でした。

忠敬は、上総国(現在の千葉県)の人。幼い頃はイワシ漁の漁具納屋の番人をし、不幸な少年期を過ごしたといわれます。しかし、下総国佐原村(現在の香取市佐原)の酒造家「伊能家」の婿養子になって、俄然、経営能力を発揮。伊能家を再興し、村の治水事業などにも活躍して名主になりました。

しかし、忠敬が真の本領を発揮したのは、隠居したあとの50歳から。江戸に出て幕府天文方の高橋至時に天文暦学を学び、悲願であった子午線一度の距離を測定するために幕府に願い出て蝦夷地測量に向かいました。

歩測で測量を行ったため推歩(すい ほ)先生と呼ばれた忠敬が、その後、10次にわたって全国を測量し、「大日本沿海與地全図」を完成させたことは、みなさんもご存知でしょう。この地図は、明治に入ってからも長い間、その精度の高さで欧米列強各国を驚嘆させ続けたのです。

◎推歩先生に続け!

忠敬が死去したのは、文化15(1818)年。74歳で亡くなるまで、何と地球一周に相当する40000キロを歩き通したといわれます。

実は忠敬が、若いころから病弱で慢性気管支炎を患い、鶏卵や鶏肉による食餌療法をしていたことは、あまり知られていないかもしれません。

いずれにせよ、50歳になってからのほぼ四半世紀、第二の人生を全うして偉業を達成した忠敬は、私たちが目指す「健康寿命」の最大のお手本ではないでしょうか。

現代に暮らす私たちは、200年前には想像もつかなかった高度な医療や多種多様な医薬品、各種の健康法や医療に関する膨大な情報などに囲まれています。

これらをうまく活用すれば、推歩先生に負けない、満ち足りた後半生を歩んで行くことができるはず――。私はそのように、確信しているのです。

 平均寿命と健康寿命の乖離 平成29年7月に厚生労働省が公表した「2016簡易生命表」によると、日本人の平均寿命は男性80.98歳、女性87.14歳。同じく厚生労働省の調査によると、平均寿命と、「健康上に問題なく日常生活が送れる期間」とされる健康寿命との間には、男性で約九年、女性では約13年もの乖離があるという。これらは統計上の数値ではあるが、仮に85歳まで生きるとすると、多くの人が10年近くは寝たきりか重度の要介護などになりかねないという計算。政府が掲げる通り「人生100年」時代を生きるとすると、健康寿命を大きく伸ばさない限り、さらに過酷な事態が待ち受ける。

次回は

第二章 薬屋の「懺悔」と転機とまいります。お楽しみに

 (一) 食養生は命のもと

リラクゼーション入門 軟蘇の法
https://www.youtube.com/watch?v=uMoVfPqYBbA

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