自分がTwitter上で苦しんでいたもの〜政治的意見と人格否定〜

今回は小説カキコでの執筆活動を休止させる原因となってしまった「政治的意見と人格否定」に関するお話を自身のTwitterでの経験談を交えて記事にまとめたいと思います。

きっかけとなったのは安倍晋三氏の国葬に関するツイートを自分がした事であり、
自身は反対の意見であったのでそれに伴った内容でした。
そのツイートに当時相互フォロー関係にあったとあるユーザーがリプを通して反論意見を出したのです。
前々からそのユーザーとは政治など日本の情勢を巡って時折リプを通して対立する事が非常に多かったです。
何も言い返せなかったら負けと捉えつつ、
どこかで沈静化したいと思いながらリプ合戦が続きある事が起こりました・・・





そのユーザーに自身のツイートに引用RTを使い「そんな奴なんだな」と吐き捨てられたのです。
当時は怒りの感情で一杯になりリプの内容をエスカレート化しどんどん過激になっていき、
最早討論とは程遠いただの悪口の言い合いに変わってしまったのです。
それが元で自分は気づかないうちに大事を起こしてしまいました。
今改めて振り返り…やはり多くの人が見るSNSで感情的となり
否定や悪口に該当するツイートはするべきではなく、
自分のTwitterの使い方が悪かったと強く反省しています。
その出来事を通し、芸能関係に関する捉え方も変わりました。

しかし反省する事は出来たものの、同時に自己肯定感が下がり
「自分は要らない存在」と捉えるようになってしまい…
その結果、Twitter上では仲良くしているフォロワーの関係で酷く悩むようになり、
日常生活にも影響を及ぼし精神状態が非常に悪くなったのです。
表面上は健康でも急に心が苦しくなったりするのがとても多くなりました。
現在はカウンセリングや生活リズムの変化に様々な人達の支えがあり概ね改善しましたが、
未だ心の面で不安を抱えたり活動休止中の小説カキコに
作者としての活動を再開させるのが怖いままです。
何故自分はこのようになってしまったのか…
長い時間を経てこう結論づけました。









自分はそのユーザーに「そんな奴なんだな」と言われた時、
自分の人格を含め全てを否定させる事を言われて精神が壊されたのだと。
だからこそやり場のない怒りが感情的なツイートに現れた…

勿論だからと言って自分にも非があったのは変わりませんし免罪符にはなりません。
意見の否定と人格の否定は切り離すべきと捉える方も大勢いるでしょう。
ですが実際そのユーザーは、自分との関係が切れた後も
そのユーザーの意見に同調するユーザーも含め
Twitter上で多くの人に見える中で自分を悪く言っていました。
今思えばこれまでの一連のツイートは反論ではなく、
自分への『誹謗中傷』だったと今は感じています。
しかしその2人のユーザーにも多くの自身のフォロワーさんがフォローしており、
現在も仲良くしている方もいます。
ツイートと関係性、そして自分にも非があるという考えに苛まれ…
いつしか自分の精神はもう修復不可能になってしまったのかもしれません。
もしカキコに戻れても、かつてのような活動は難しいと今は思っています。

最後に政治的意見でTwitterで対立するのは仕方のない事であると読者に伝えます。
人それぞれ支持政党や信条は違いますし皆同じという事はあり得ません。
ですが意見を押し付けるのは絶対にやめるべきです。
特に引用RTやスクショを使って反対意見など否定的な事を言うのは、
晒される側も含め人によっては公開処刑と捉え精神が傷つく事もあります。
受けられる側も一人の人間です。大切な人生があります。
そしてリプで反対意見を言うのもよく考えるべきだと思います。
あの影響力のあるユーザーがこう言ってるんだから正しいから…
とかそんな考え方は間違いです。
政治的意見をSNS上でどう言うべきか、
読者の皆さんにもよく考えて欲しいと強く願っています。

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