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『愚か者同盟』ジョン・ケネディ・トゥール

いつも本を借りる市営図書館の新刊がおいてある棚で見かけたのが最初です。ピンクのカバーに『愚か者同盟』というタイトルでインパクトがかなり大きい、そしてあらすじも「警察にも追われるようになったイグネイシャスは、一癖も二癖もある奇人変人たちを巻き込んだり巻き込まれたりしながら逃亡劇を繰り広げ、ニューオリンズの街に大騒動を巻き起こす」とおもしろい予感しかしませんでした。

木原善彦さんが翻訳している本は難しいという印象があるので、最後まで読めるのか心配でした。でもイグネイシャスというキャラクターの面白さもあり、最後までいっきに読めました。

イグネイシャスはとにかく労働をしないで生きていくという信念がすごいというところは伝わってきます。ひどいファッションセンスもそうですが、他人にどう見られようが関係ないという生き方にあこがれさえ抱いてしまいました。この小説が書かれた1960年代ではイグネイシャスは奇人かもしれないが、2020年代のいまでは正しい生き方になっているような気がします。くそどうでもいい書類をファイルする仕事に直感的に嫌悪感をもち、速攻くずかごに捨ててしまう心地よさ。この小説の面白さの一部でしょう。

 初めて仕事に出かけた一日が終わりに近づくにつれ、疲労感がかなり増している。しかしながらそこには、幻滅、憂鬱、敗北といった感情はない。私は人生で初めて、いわば覆面をかぶった観察者・批評家として社会システムの内部で活動することを心に決め、システムと正面から向き合ったのである。もしもリーヴィ・パンツ社のような会社が他にもたくさんあれば、アメリカの労働者は自身の任務にもっと取り組みやすくなるだろう。・・・
 こういうわけで、フォルトゥナ(運命)が下に向かっているときでさえ、車輪が時にはしばし停止し、より大きな悪いサイクルの中に小さなサイクルが混じることもあるのだと分かる。もちろん宇宙は円の中の円という原理に基づいてできている。私は現在、内側の円の中にいる。この円の内側にさらに小さな円が存在することも当然可能である。

国書刊行会『愚か者同盟』P107

これはイグネイシャスがリーヴィ・パンツ社初日勤務後にタクシーの中で書いた手記になります。上司を討論で煙に巻きまったく働かない上になぜかタクシーで帰宅する権利まで得てしまっています。彼が同じ職場にいたとして、どのような感想をもつか。そこでその人間の度量を図られてくるのではないでしょうか。真剣に怒ってしまうか、一緒に面白がることができるか、私は後者になれればいいなと思います。

イグネイシャスがただ働きたくないと屁理屈をこねるだけではなく、周囲の人間に良い影響をあたえていくところが面白いところです。リーヴィ・パンツ社の労働者が自身の権利に目覚めたり。パーマー・ジョーンズという黒人が最低賃金以下の仕事からまっとうな職につくきっかけをつくり。さえないニューオリンズ市警のマンクーソ巡査がお手柄をあげる事件の発端となる大騒ぎをおこすのも彼です。さいごには母親とおたがいに親離れ・子離れも成し遂げてしまいます。

基本、イグネイシャスは嫌われていますが、彼に唯一高評価をあたえるのがリーヴィ・パンツ社の社長です。かれは会社の経営には見向きもしないダメ経営者でしたが、イグニシャスの起こした騒動をきっかけに会社経営にまじめに取り組み始めます。家族や社員からの評価は低いが、いがいと彼は真実を見ることができる人物なのではないのでしょうか。大騒ぎがつづく物語に彼のような人物がでてくると、一回こちらも冷静になることができます。唯一の良心のようなキャラクターになっています。イグネイシャスもリーヴィ・パンツ社長も表向きはくず人間という描かれ方ですが、本当の評価は時間が過ぎて変わっていくのだろうと思いました。



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