最近では「酒は百薬の長」は間違っている言葉らしい。そして休肝日というのも対して意味のない言葉になってきているらしい。酒は百害あって一理なしだそうで、私も飲まなかった次の日は体調も良く、飲まない日を一日でも多くしたいと思うのですが。ここ20年ほど毎日飲酒をしている人間にはなかなか習慣を断ち切ることができません。無意識のうちにアルコールを浴びるように飲んでいる本を読めば、酒から離れられるとでも思ったのでしょうか。最近、飲酒に関する本を何冊か読んでいました。 チャールズ・ブコウス
酷暑に耐える日々。こんなときは小難しい小説ではなくまちがいない面白い小説を読むしかないでしょう。 ピエール・ルメートル『邪悪なる大蛇』書店で『邪悪なる大蛇』というすごい迫力のある題名とカバー写真のインパクトでつい購入してしまいました。63歳の殺し屋マティルドが認知症が進んでいる危なっかしい状況でありながら、あっさり仕事をこなす残虐なところから物語が始まります。ルネ警部とテディの初々しい中年の恋などもありつつ、簡単に主要人物が殺されていくのには驚きます。最後に残るのが認知症の
『ガープの世界』の思い出『ガープの世界』は映画化されたこともあり、ものすごく有名な小説です。私も30年ほど前に映画を見た記憶があります。大学受験の前日に宿泊したホテルのテレビで放送されているのを見ました。入学試験前日で眠れるわけもなく(こうゆう日にぐっすり眠れる人を尊敬すると同時に、仲良くなれそうもないと思ってしまいます)、寝返りを繰り返したあとにあきらめてテレビをつけたときに偶然放送されていたのでしょう。全部を見たのかも覚えていません、覚えているのはガープが子供といっしょ
30年ぶりに読みましたここ半年くらいでサリンジャーの『ナインストーリーズ』『フラニーとゾーイ』を読みました。年を取ったせいなのか、読んでいるとなにか不安な気持ちになってくる小説でした。なにがそうさせるのかはわからなかったのですが、初老の男性のこころをゆさぶる力を持っているのは確かでした。サリンジャーの小説のなかでも最も有名な小説、それはこの『ライ麦でつかまえて』でしょう。私も30年ほど前に読んだ記憶があります、なぜその時読もうとしたのかは覚えていません。当時、翻訳された小説
塩田武士『存在のすべてを』北杜夫が『月と六セント』というアポロ11号が月に着陸する時期のアメリカ旅行記があります。この題名が『月と六ペンス』をもじったものであることは知っていましたが、小説を読むまでにはいたりませんでした。で、昨年読んだ塩田武士の『存在のすべて』にも引用されていたので読んでみることにしました。どちらの作品も絵を書くことのみに集中する画家とそうでない画家が出てきます。 どちらが月でどちらが六ペンスか『月と六ペンス』の登場人物は多くなく重要な人物は6人だけです
和歌山日帰り旅毎週楽しみに聞いているポッドキャスト番組があります。和歌山市の本屋さんが喋っている番組なんですが、いつか和歌山に行ってみたいなと思っていました。平日に1日空いたので思い立って行ってきました。シネマ203という席数10席ほどの映画館でヴィム・ヴェンダース監督の『アンゼルム』というひどく美しい映画を見て、グリーンコーナーという名古屋でいう寿がきやみたいな店でワンコインランチと抹茶ソフトを食べ、和歌山県立近代美術館は休館日だったので外から眺め、幸福湯で和歌山でかいた
ポー『大鴉』?小説の中にエドガー・アラン・ポーの『大鴉』がでてきます。キングの小説は古の名著の影響を受けていることが多く、今作もそんな不雰囲気がします。主人公のジェシー・バーリンゲームが大学時代のルームメイトであるルース・ニアリーの亡霊のようなものと頭の中で会話するところはまさしくそうでしょう。また、手錠でベットにつながれたジェシーの前に現れるスペースカウボーイの存在もその影響下にある登場人物です、存在する生物なのかもしくはジェシーの幻覚なのか謎のまま話は進みます。しかし、
先進国で進む分断や格差のひろがりやたらと分断や格差が広がっていると書籍や報道で訴えかけてくる。わかったつもりの日本人にとってまたかよと感じてしまう本が出版されました。著者のエディ・オズノスはピュリツァー賞を受賞したすごいジャーナリストということです。冒頭にある文章には「本書は「るつぼ」をめぐる物語でありアメリカの価値そのものに対して行われた二つの襲撃によって挟まれる期間を対象にしている。始まりは2001年9月11日にニューヨークとワシントンでおきたテロ攻撃であり、終わりは2
ワイド版岩波文庫モンテ・クリスト伯を読みおえて全7巻という長編でした。どのくらい読み終えるのに時間がかかるかわからなったので、図書館では貸出期間2週間に2冊づつかりてみましした。これはだいぶ余裕をみすぎたみたいです。お昼休みと帰宅後にすこし読んだだけですが、2日で1冊読んでしまうペースでした。これは当然内容がおもしろいのもあるのですが、ひらがな多めの読みやすさ重視で翻訳されているのもあると思います。1800年代の時代を思い起こさせてくれる古くさい文章で翻訳されているのが舞台
モンテ・クリスト伯の誤算1巻から4巻まで読んできて、モンテ・クリスト伯の復讐が終わるのかは彼の胸の内次第になってきました。すべての復讐の対象とその家族がモンテ・クリスト伯の操られるままとなっていいるからです。どのように復讐が行われるか、それだけが読者の興味となってしまっていたのではないでしょうか。モンテ・クリスト伯がカドルッスに自分の正体を明かし、その結果カドルッスが死にいたるところまでは計画通り進んでいたのにです。メルセデスがモンテ・クリスト伯がエドモンであることを知った
モンテ・クリスト伯パリにあらわる第3巻と4巻ではモンテ・クリスト伯がいよいよパリに現れ、徐々に復讐する相手に近づいて行く様子が描かれていきます。この2冊のクライマックスはモンテ・クリスト伯のパリでの住まいであるオーティユ・ラ・フォンテーヌ町二十八番地でのパーティになります。 そこに集まったのは・・・ モンテ・クリスト伯・・・主人公ダンデスの変名、脱獄後に手にした莫大な財産をつかって自分を牢獄送りにした人間に復讐する ベルツェチオ・・・モンテ・クリスト伯の家令、ヴィルフォ
影響しつづける名著『モンテ・クリスト伯』小説を読んでいると過去の名作といわれる作品がよく引用されてきます。最近、私が読んだ小説にもよくこの『モンテ・クリスト伯』が登場してきました。 『リンカーン・ハイウエィ』には何度も作品名が登場し、ダチェス・ヒューイットが復讐を原動力としているように描かれているのはまさしく『モンテ・クリスト伯』の影響があると思います。 『ハーレム・シャッフル』では黒人の経営者や富裕層が会員となっているクラブの名前が『デュマクラブ』でした。NYで吹けば
映画館で『ルックバック』を見てきました。京本の部屋から4コママンガがスルッと出てきたところ、現実の世界と二人が出会わなかったもうひとつの世界がつながった瞬間はゾクッとしました。 池波正太郎『鬼平犯科帳3』昔、父親の本棚にあった『鬼平犯科帳』の文庫本を何冊か読んだ記憶があります。久しぶりに読んでみたくてブックオフにいったら第3巻のみおいてあったので買ってきました。短編が時系列順に並んでいるのですが、途中から読んでも問題なく面白いです。井砂の善八が盗みに入った証に大便をしてくる
上巻の舞台はイリノイ州南部の街でした、主人公のビリー・サマーズは小説家志望になりきってターゲットが現れるまで待ち続けるという役割があったのでその街から出ることはなく話は進んでいきました。下巻では最後の仕事を終わらせるためにアメリカ中を走り回ります。イリノイ州→オクラホマ州→カンザス州→コロラド州→ネバダ州→ニューヨーク州とすべて車で移動します。上巻での動きがまったくない状態から下巻になった途端に動きまくります、ロードノヴェルといった感じでしょうか。 上巻でディヴィット・ロッ
主人公のビリー・サマーズは狙撃を得意とする殺し屋。そしてビリーはつねに2つの顔を持っている、本物のビリーと「おばかな」ビリーだ。「おばかな」ビリーは『アーチーの仲間と娘っ子たち』というセクシーな女性がたくさんでてくるコミックスを好んでいる。一方、本物のビリーはエミール・ゾラの『テレーズ・ラカン』などを好む読書家だ。殺人のクライアントに対し賢くないふりをすることが殺し屋としての処世術なのだろう。 上巻の舞台はたぶんイリノイ州の南部の町と思われます、地名の表記がないのですが「ミ
傑作少女少年サバイバル小説だった『われら闇より天を見る』のクリス・ウィタカーの小説がでたので、読むしかないと購入してきました。読み終わってからわかったのですが、最新作ではなく邦訳最新刊ということでクリス・ウィタカーの第2作品目の小説でした。 主人公の3人の少女少年が乗る乗用車はビュイックです。ビュイックは自動車のブランド名でそれ以上の詳細な記述はありません。スティーヴン・キングも『回想のビュイック8』という小説を掻いていますし、ビュイックというのはアメリカ人がつくるアメリカ