【創作長編小説】悪辣の魔法使い 第15話
第15話 青白い炎を内包したような
流れてくる音たちに、立ち止まる。
それは、音楽。人の手が生み出す、世界へ響き渡る物語。
「うわあ、すごい……」
小鬼のレイは、思いがけず自分の頬が紅潮するのを感じていた。
美しい音色、そしてそれらが繋がりあい、広がっていくさまに、すっかり心を奪われていた。
「楽団ですね。素晴らしい演奏です」
元精霊のルミが、にっこりと笑った。レイとルミは、小さなお互いの手のひらを握り合ったまま、時に繊細で時に力強い、豊かな旋律に身をゆだねた。
「よっ。やっと追いついた」
剣士アルーンが、ふたりの隣に立つ。
レイはアルーンを見上げた。
「人間の音楽って、すごいね。俺、初めて聴いたよ」
レイは、小鬼たちの世界にも歌や音楽はあるけれど、皆でひとつの曲を作り上げることはないんだ、と息を弾ませながら説明した。
「確かに、すごいよな。実は俺の三番目の兄貴、歌も演奏もできて楽団に所属してる。子どものころからずっと、すげえなあって感動してたよ」
アルーンはレイとルミに、自分の兄について打ち明ける。たちまち、レイもルミも瞳を輝かせ、アルーンに色々質問した。
「アルーンさんは? アルーンさんは歌とか演奏とか、できるの?」
「とても素敵ですね……! どんな音楽をなさっているんですか?」
アルーンは苦笑し、自分は歌も楽器を弾くのもてんでだめだったこと、兄の音楽は伝統音楽や民族音楽が主であることなど、詳しく話してあげていた。
アルーンさんの笑顔、とっても優しいな――。
きっと、自分の兄を懐かしんでいるんだろうなあ、とレイは思った。それからはレイは、アルーンの話の「楽器」という言葉、それから実際今見ている楽団員たちの様々な種類の楽器に強い関心を持った。
人間の楽器。音色はもちろん、見た目もすごくかっこいいなあ。
自由に弾けたら、どんなにいいだろうと思った。いろんなものごとや気持ち、きれいな景色など自分なりに表現できたら、と思った。
たとえば、レイオルにありがとうの気持ちとか。
喜んでくれたら、どんなにいいだろうと思った。レイオルの場合、喜ぶかどうか謎だよな、とも思ったが、少なくとも驚くんじゃないかと思った。驚かせることができたら、それはそれで楽しそうだ、と。
ふと、カバンに手をやる。今、自分には自分のお金、というものがある。
楽器。売ってるのかな。
たくさんのテント。星聴祭の市というものらしい。たくさんの物が売られている。こんなにお店があるんだから、どこかに楽器が売られていないかな、とレイは考えた。そして、わくわくした。
俺にも欲しいもの、できた……!
「アルーンさん。なんでもいいから楽器、売ってないかな」
そういえば、とレイは思い出す。父も笛を持っていた。動物の骨から自作したものだけれど。自分で作ってもいいのだろうけれど、人間の作った楽器というものに今は憧れていた。
「うん。出店になくても、ここは大きな町。どこかに楽器屋があるかもしれないな」
アルーンが先に歩き出した。ルミも、ぜひ自分も楽器屋さんというものを見てみたいと明るく話す。
「あれ。レイオルは?」
しばらくその場にいたわけだが、レイオルの姿は見えない。
「たぶん、なにか一人で見て回りたいんだろう。そのうち合流するさ」
楽団たちの音楽は、ゆったりした曲調から軽快なリズムへと変わっていた。
夕日に代わってテントの吊るされたランタンたちが、あたたかい色で辺りを照らしていた。
「いらっしゃい」
足を止めたのが先だったか、声をかけられたのが先だったか。
周りに比べ、一回りくらい小さな、古びたテントの中から声をかけられた。
「やあ。ずいぶん変わった旅のひとたちだね。ぜひ見ていっておくれ。うちの店は、世界中の珍しいものを取り揃えているよ」
声をかけてきたのは、黒いフードの間から金の長い髪をのぞかせた、金色の瞳の店主だった。
「俺、楽器を探してるんだ。楽器、あるの?」
「楽器? あるともさ。とても珍しい楽器がね。きっと、気に入ると思うよ」
レイは、うわあ、と感嘆の声を漏らしつつテントを覗き込む。テントの中には、様々な珍しい品、貴重な品があるようだった。そのとき、レイと手を繋いでいたルミが、レイの手をほんの少し引っ張った。
「ルミ?」
振り返ると、ルミの表情が少し強張っていた。つい先ほどまで、明るい表情だったのに。
ルミは、首を小さく左右に振った。
「ちょっと、町中の楽器屋を先に見てからにするよ。失礼」
アルーンが店主に軽く会釈をし、先に進むようレイに促した。アルーンも、ルミのちょっとした変化に気が付いたようだった。
「あとでぜひうちにも寄っとくれ。楽器の他にも、きっと役立つ物があると思うよ。私は旅の商人さ。世界中の変わった品があるからね――」
店主の声が後ろから投げかけられる。しかし、ルミがまっすぐ前を見続けていたので、レイとアルーンも振り返らなかった。
「ルミ。どうしたの?」
立ち並ぶテントの端まで来たとき、レイが尋ねた。
町の店は、すでに閉まっていた。楽器屋の看板も見つけたが、もう本日の営業は終了したようだった。
「あの人、ちょっと怖かった」
ルミがレイとアルーンの様子を窺いつつ、ためらいがちに答えた。
「そうなの? 俺、よくわからなかったなあ」
言われてみれば――、風変わりな店主のように思えた。
痩せていて背が高く、フードだけでなく黒のマントのようなものに身を包んでおり、年齢不詳、性別も不詳といった感じの店主だった。おそらく、レイオルたちよりは年上、そして男性なのだろうと思うが、もしかしたら案外若く、また実は女性なのかもしれない、見つめれば見つめるほど、印象が変わってくるような、わからなくなってくるような、謎めいた人物だった。
「怖い? 悪いやつか? そういや、あの店主、どういうわけか俺たちを『ずいぶん変わった旅のひとたち』って言ってたな。商売人というのに、客に失礼ともとられかねないようなことをなんでわざわざ――。レイとルミについて、なにかわかったんだろうか?」
アルーンがルミに尋ねる。ルミは、
「さあ。わかりません。ただ、やはりあの店主さんは魔法を使える人なのかもしれません。悪い人かどうかはわかりませんが――」
そこでいったん言葉を区切り、少し考えるようにしてから、
「なにかとても強い力を感じました」
とだけ話した。
「星は、告げるの。未来を」
魔法使いケイトが、レイオルに語る。
「星聴祭は、二年に一度開催されるお祭り。この地域の自然や人々の活動の吉凶を占うものなの。星聴きができる者が、祭りの中、人々に伝えるの。星の告げる運命を」
「この地域か。星からの言葉にしては、ずいぶん対象範囲が狭いな」
魔法使いレイオルが、口を挟む。言葉が少々辛辣に思えるのは、率直過ぎる感想だからだ。
「田舎の祭りだもの。でも、星聴きの腕は確かよ。私は見習いだからまだまだだけど、先人たちがすごいのはわかる」
楽団の曲が、流れてくる。二人の魔法使いたちの間にも。
レイオルは、人差し指を上げた。そして、空中でほんの少しくるくると指を回すようにした。金色の輝きが、長い人差し指に絡みつく。金色の輝きは、空中に彷徨う音符。レイオルは音を形にし、それを捕えていた。
レイオルの戯れに、ケイトは呆れたようにため息をつく。
「それ、魔法習いたての子どもがよくやる遊びよね」
「大人がやったって構わんだろう。大人は子どもの延長線上にある生き物だ。大した変わりはない」
もう一度ケイトはため息をつく。それも大きなやつだ。
「私の話を――!」
「……その星たちの言葉が、見えなくなってきたのだろう」
レイオルが、正面からケイトを見据えた。
「未来が見えない。そう気付いたわけだな」
星の光が降り注ぐ。狭い路地にも。かすかに音楽が流れこむ、二人の魔法使いのところにも。
暗がりの中でも、影が伸びる。かすかでも、光が当たれば。一層深い、闇を落とすように。
レイオルは、人差し指を高く掲げ、そして大きく一振りした。
手離された金色の輝きが、空へ昇り溶けていった。
「星は、受け取るだろうか。人からの返事を」
レイオルは星空を見上げる。
「星への……、返事……?」
押し黙っていたケイトが、かすれた声で尋ねた。
「音楽は、希望。情熱。生命の賛歌。小さな音符に、すべてを込めた」
驚いた顔のケイトに、レイオルは笑いかける。
「もうすぐ人でなくなる私の、人としての最後の贈り物かな」
見上げれば、流れ星がひとつ。長い尾を引きながら、飛んで行く。
肯定のようにも、否定のようにも見えた。
「見えなくなった未来」
満天の星。漆黒の空に浮かぶ。
「私が、変えてみせる」
レイオルは、瞳に星を映しながら呟いた。
狂気を想起させる、燃え盛る青白い炎を内包したような笑みで。
◆小説家になろう様掲載作品◆
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