【創作長編小説】星の見える町、化け物添えて 第3話
第3話 迷惑な予言
自転車を、買おう。
会社まで徒歩圏内とはいえ、こういう非常時の際はさすがに困る、と勇一は思った。幸い無料の駐輪場も設置されている。これは活用しない手はない。
田舎は車必須だよ、と言われたが、車を持つのは費用の面でためらわれ、もう少し様子を見ようと思っていた。ちなみに、免許はすでに取得済み、ペーパードライバーだった。
そんなことを考えながら、勇一はひた走る。会社まで。遅刻の危機が迫っているからだ。
「幽玄っ! お前のせいだからな!」
勇一は、自分の頭の少し上を睨んだ。と、いうのも。
「私のせいではない。化け物のせいだろう」
幽玄が、空を歩いていた。あの例の黒い傘を、日傘のように差しながら。勇一がカバンを抱え必死で走っているというのに、幽玄は走るというより大きな歩幅で歩いている感じだった。
「てゆーか! なんでついてきてるんだよっ」
「説明しろ、と要求したのは勇一、お前のほうだろう」
確かに、勇一は幽玄に、自分が化け物退治に巻き込まれた理由、幽玄が何者なのか、そしてあの合わせ鏡のような空間はなんなのか、そのうえでこれからどうなってしまうのか、矢継ぎ早に問いただしていた。
しかし、会社勤めの勇一にとって、朝の身支度も重要だった。
「それは――」
と、幽玄が語ろうとすると、
「あっ、ごめ、トイレ!」
勇一はトイレに駆け込み、
「実は――」
と、幽玄が話を再開すると、
「やべっ。どこにしまったっけ、おかしいな。早く早く――」
と、勇一はタンスを引っ搔き回し、
「勇一――」
幽玄が改めて話そうとすると、
「ちょっと待て、話し掛けないでくれ! わからなくなる! ええと、あ! そうだ、ガスの元栓……!」
会社を休むという選択肢は、頭から抜け落ちていたようだった。
「だからといっても、仕事中は聞いてられないからなっ!」
勇一が釘を差す。仕事中、あれこれ言われても困る、と思った。
「わかった。お前が忙しそうなとき、話し掛けるのはやめておこう。結局まったく説明できていないし、わずかな合間に話したところも理解していないようだから、お前は全然わかっていないが、な。まあ、それもいたしかたあるまい」
「なにが、いたしかたあるまい、だっ!」
ようやく、会社の社屋が見えてきた。遅刻は免れそうだ、と勇一はようやく焦りから解放される。まだこの新天地に慣れていないので、実際に会社の建物を目にするまで安心できなかった。
「ただ、これだけは取り急ぎ、話しておこう。よく聞け、勇一」
「な、なんだ? 幽玄」
息が整わないが、空の幽玄に問う。ホッとしたのもあり、笑みも浮かべることができた。
「私の姿は、通常普通の人間に見えない。だから、外に出てからこれまでの私への問いかけは、周囲の人間には大きな独り言に見えている。完全に」
な、ん、だ、っ、て!?
「しかも、お前は叫んでいる。さっきから、すれ違った人間たちは、皆お前を不思議そうに見つめている」
それを、早く、言えーっ!
勇一は、心の中で叫ぶ。
思い返せば、何人かとすれ違ったし車は何台もすれ違ったが、誰も幽玄の姿に驚いている様子がなかった。空を歩いている人を見たら、誰しも仰天するはずだし、車の場合驚きのあまりハンドルを切り損ねるかもしれない。が、そんな異変はなかった。
引っ越したばかりだというのに、ご近所から確実に変人認定じゃないか……!
ただでさえ、必死で走っている背広姿の成人男性の姿は目立つだろう。それが、大声で上を見上げつつ一人でなにか叫んでいるとしたら――。
最悪だ。
「それでは、今後はお前が一人のとき、様子を見て姿を現し、話し掛けるようにしよう」
私はなんと気が付く男なのだろう、そう思わないか、という言葉を残し、幽玄は空の色に溶け込んでいく。そして、勇一の前から姿を消した。
最、初、か、ら、そ、う、し、ろ……!
景色がにじんで見えるのは、額から流れた汗が目に入ったからだろうか。それとも、朝日がまぶしいからだろうか。
確実に、幽玄のせいである。
勇一は、日常の荒波をなんとか乗りこなす。午前の仕事は、つつがなく進んでいった。
やがてチャイムが鳴り、勇一は社員食堂に向かい、男性同僚の谷川と、なにげない会話をしつつ食事をとる。
谷川は、同じ年ということもあり、数日ですっかり打ち解けていた。
「勇一。顔色、悪いんじゃないか?」
「あ、ああ。ちょっと昨晩、眠れなくて――」
体調が悪いという自覚はなかったが、どうも顔色がすぐれないように見えるらしい。
「ちょっと――、風に当たってこようかな」
一人になれるよい機会のような気がした。
幽玄の話、聞きたいわけじゃないが。知らないままっていうのも、どうにも落ち着かない。
できれば関わりたくないが――、しかしわからないままというのも危険だと思った。また突然あんな化け物が現われないとも限らない。
そしてなにより、ムカつく。幽玄。許すまじ。
密かに拳を固めつつ、勇一はとりあえず、ちょっとその辺歩いてくる、と谷川に告げる。
「勇一。無理すんなよ。お前こっち来たばかりなんだし」
谷川の案じる声を背に、勇一は外へ出た。
社屋裏手の社員駐車場の近くに、花や木が植えられている小さなスペースがある。昼休みには、自分の車内で休憩をとる者もいるが、その花壇付近で駐車場側に背を向けるようにしゃがめば、木陰になって建物の窓からも車からも目立たないように思えた。
勇一は、そこで幽玄に呼びかけてみた。
「幽玄。いるか?」
呼びかけてみてから、疑問に気付く。幽玄が常に身の回りにいるとも限らない、今呼んでみたところで反応があるのだろうか、と。
「いるぞ」
いた。
目の前に、幽玄が立っていた。
「気になって午後の仕事が手につきそうにない。教えてくれ。できれば、手短に、大事なことだけでも」
幽玄は微笑み、うなずく。
「まず、今すぐ呼びかけに応えられた理由。それは私が、お前の傍にいることにしたからだ。傘を、いつでもどこでもすぐに、渡せるように」
え。どゆこと。
勇一の頭に、早くも浮かぶ疑問符。勇一が納得いかない表情を浮かべているのを察したのか、幽玄が続ける。
「傘は、武器だ」
「それは聞いた」
「だから、常にお前が所持すべき。でも、今いる『カイシャ』の中とか、常に傘を持っているわけにはいかないだろう?」
「あ。それで、幽玄が傘を持って俺の近くに常駐するってわけ?」
「そうだ」
勇一は、うなだれた。
そもそも――、と思った。
「幽玄……。俺じゃなくて、お前がその傘で戦っていればいいじゃないか」
意味がわからなかった。傘が勇一を選んだ、と言っていたが、なにやら力のありそうな幽玄が戦ったほうがいいのではないか、と思った。そしてその正直な気持ちをぶつけた。
「無理だ」
「なにが、無理……? お前、神出鬼没だし、色々変なことできそうだし――。お前こそ、その傘の選んだ持ち主なんじゃないのか?」
「私は、化け物は倒せない」
えっ……。
意外な言葉だった。
幽玄が、笑みを浮かべる。それは、鋭利な刃のような、冷たい笑みだった。
静かに、ゆっくりと、幽玄が告げる。
「私は、人間を殺められる。道具も使わず、な。しかし、化け物は殺めることができないのだ」
勇一は、幽玄の顔を見た。恐ろしい言葉の真意を、探ろうとした。
「昨晩、私は自分を化け物ではない、と称した。でも、それは正確ではない。私は名があり人の心に近いが、私もやはりアレと同類。化け物の類いだ」
認めたくはないが、と幽玄は寂しそうに笑った。先ほどの冷たく恐ろしい印象は、どういうわけかそのとき消えていた。
「私も、化け物だから。同類の最終的な決着は、つけられないのだ」
「やはり、化け物……!」
ハッとし、息をのむ。
会話を交わし、行動を共にしているうちに、いつの間にか気を許している部分があった。
しかし、幽玄は――!
気安く話しかけていい存在だったのだろうか。今現在は、人のような笑みを浮かべている。まるで、そう――、同僚の谷川と、なにも変わらないようにも思える。
しかし、「人間を殺められる」という幽玄の低く抑えられたような声が、頭の中をぐるぐると巡っていた。
動揺する勇一に反し、幽玄は淡々と言葉を続ける。
「私は、化け物に対しある程度の攻撃はできるが、倒すことはできない。だから、人間の力が必要なのだ――」
「それが、なぜ、俺……」
選んだ、とはなんなのだろうと思う。傘に、意志でもあるのだろうか。
「予言されていた。東の都からこの地へと、星の降る日に訪れる者。それが傘の選んだ者である、と」
え。東の都……!?
目を大きく見開く勇一の前、幽玄は傘に耳を近付けた。
「そうだ、そうだ、と傘も言っております」
傘の証言も得ているらしい。
なんでーっ!?
やはり、納得がいかない。
予言とはなんぞやと疑問に思うと同時に、転勤辞令で来ることになったこの地自体に、なんらかの意味が隠されているのだろうか、と勇一は思う。
星の見えるこの町、この町に、いったいどんな秘密が……?
「というか、俺、転勤で来ただけなんですけど!?」
ごく普通の中小企業。
会社の転勤辞令と化け物退治と、関連があるとは思えなかった。
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