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文芸講演⑵「悲しみに殉じる」米本浩二(作家・記念会会員)

 先日6月3日、瀬戸内寂聴記念会は徳島県立文学書道館にて、文芸講演会を開催した。前回に引き続き、今回は作家、米本浩二氏の講演をダイジェスト版で掲載する。

米本浩二氏
(1961年、東みよし町生まれ。現在は福岡市在住。毎日新聞の記者を経て現在は作家として活躍。石牟礼道子氏や渡辺京二氏について書かれることが多く、『評伝 石牟礼道子―渚に立つひと』では第69回読売文学賞評論・伝記賞を受賞。瀬戸内寂聴記念会会員)

 この短い講演の時間で石牟礼道子の生涯を語るのは不可能なので、かいつまんで言うと、ひとりぼっちにしておくと生きていけない人です。内なるエネルギーが強すぎて、内側から爆発しちゃう人。
 石牟礼道子を助けるためにどんどん人が現れる、最後が渡辺京二さん、評論家であり、歴史家でもある渡辺さんと運命的な出会いをする。
 2018年石牟礼さんが亡くなり、追悼行事があるわけです。渡辺京二以上に石牟礼道子を知る人はいないから、かならず渡辺さんは来るわけ。石牟礼さんのお母さんが亡くなるときに、渡辺さんがたまたま枕もとに居て、渡辺さんに、「道子を頼みます…」と言って亡くなった。お母さん的には旦那さんより、道子を支えるのは渡辺さんだと、母の本能でわかってるわけでね、だから渡辺さんも、親族がいる前で、はいわかりました、とは言えなくて、心のなかでわかりました、と言った(笑)
 追悼行事で渡辺京二が何をしたか、ということがポイントです。そのことを知ることによって、渡辺さんが石牟礼道子の何を大切にしたかということがわかる。

 「幻のえにし」という詩がある。これをかならず渡辺京二は追悼で、朗読するわけです。特に多くを語りません。細かく解説するのではなくて、ただ単にこれをゆっくりと渡辺さん流に読み上げるわけですよ。読み上げて何か言うわけでもない。ただ読み上げるわけだ。
 三回くらい追悼行事があったけれど、私の知る限り、いつも渡辺さんは、「幻のえにし」を読んでるわけです。つまり渡辺京二はこの「幻のえにし」に石牟礼道子のエッセンスがあると、お前らこれを読めと、言ってる。

幻のえにし

生死のあわいにあればなつかしく候
みなみなまぼろしのえにしなり

おん身の勤行に殉ずるにあらず
ひとえにわたくしのかなしみに殉ずるにあれば
道行のえにしはまぼろし深くして一期の闇のなかなりし
ひともわれもいのちの臨終 かくばかりかなしきゆえに 
けむり立つ雪炎の海をゆくごとくなれど
われより深く死なんとする鳥の眸に遭えり
はたまたその海の割るるときあらわれて
地の低きところを這う虫に逢えるなり
この虫の死にざまに添わんとするときようやくにして 
われもまたにんげんのいちいんなりしや
かかるいのちのごとくなればこの世とはわが世のみにて
われもおん身も ひとりのきわみの世をあいはてるべく なつかしきかな
いまひとたびにんげんに生まるるべしや
生類のみやこはいずくなりや
わが祖は草の親 四季の風を司り 魚の祭りを祀りたまえども 
生類の邑はすでになし
かりそめならず今生の刻をゆくにわが眸ふかき雪なりしかな

石牟礼道子、詩「幻のえにし」
米本浩二氏の資料より抜粋


 で、じゃあ、この詩はどういうことなのか、この詩の分かり易いことを渡辺さんは、皆さんに伝えてくれと。けっして難しくない、生と死の間にあって生きてきた人だから、石牟礼さんにとっては普通のこと。
 だけども、問題は3行目、4行目なわけです。
 「おん身の勤行に殉じるにあらず、ひとえにわたくしのかなしみに殉ずるにあれば」、この韻文が発表されたタイミングは、1970年代初頭、水俣病闘争の真っただ中に、石牟礼道子の『苦海浄土』第三部、「天の魚」冒頭にに掲げられているのが「幻のえにし」です。
 その掲げられているときは「幻のえにし」ではなくて、序詩という言葉がついています。「幻のえにし」というのは後からつけた。闘争の真っただ中にあっては、ちょっと異常なことを言ってるわけですよ。
 つまり「おん身の勤行に」ってのは、水俣行闘争に参加してる皆様に私は協力しているわけではありません、と言ってるわけ。これはびっくりする話で、世間的には水俣のジャンヌ・ダルクと神格化されつつあったのに、石牟礼道子自ら、わたしは患者さんを助けてるわけじゃありません、って。
 「ひとえにわたくしのかなしみに殉ずるにあれば」、つまりわたしは自分の悲しみに殉じてるだけなんです、と言ってる。べつに助けが必要な人を助けてるわけじゃありません、私はただ単に、自分を助けてるだけなんです、と。自分を助けてることが、たまたま患者の救済に役立ってるだけなんです、と言っている。
 ただ、そういう意味と受け止めて何かアクションを起こしたりすることは、ないわけです。これも亡くなってから、渡辺さんがいろんな公の場でこれを読み上げるようになってから、皆だんだん気づいてきた。

 根本的なことを言うと、石牟礼道子は生きることは悲しいこと、辛いことというのが前提としてある。なんでそうかというと、人間というものは生まれた時は自然と一体化している、と道子は思ってる。ところが人間として生きるためには、欲とかエゴイズムとか身に付けなければ人間としてやっていけないわけで、かと言って、人間を放棄するわけにはいかんでしょ。道子自身も彼女の生きる苦しみというのもそこにあるわけです。彼女は生まれた時赤ちゃんのとき、ものすごく泣く赤ん坊だった、と言われています。この赤ちゃんが泣いたからって悲しみに殉ずるというわけではないんですけど。
 たとえば道子のお母さんは、「道子ほど泣く赤ん坊はおりませんでした」って言ってるわけ。ちょっと規格外の赤ん坊だった。石牟礼さんが生まれながらに天才だったということを言いたいのではなくて、ちょっと違う幼児だった。
 彼女が大きくなるにつれて自然を捨てていくステップ、その人間としての小賢しい知恵をつけていきながら、自然と分かれていくスッテプを歩まざるをえなかった。で、彼女自身はそれが嫌じゃなかった、そんなエゴイズムに生きるのは当然のことであって、人間っていやだなと思いながらも、でも人間って愛おしい存在だなと、思ってるわけよ。アンビヴァレンツな思いですね。

 (石牟礼文学の結論について)誰も分かる人がいないです、渡辺京二でさえも。石牟礼道子は結論を許さない文学です。結論はそれぞれ皆さんが、読む人の結論に応じた、読み手がこれだけの背丈しかなければそれしかわからない。背丈があればもっと文学全般がわかるかもしれない、ってことを道子さんの文学は問いかける。
 一晩で読めたとか、感激で涙が止まらない、などの表現は道子の文学には当てはまらない。もっと違う豊かさ、人間が人間として生きるためにはどうしたらいいのか、ということを根本的に問いかけているのが石牟礼道子の文学であると、今のところ思ってます。


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