見出し画像

ニャンドゥティ着物って?

『君も南の島の楽園で暮らさないか!!』

終戦後。そんな掛け声に喜び勇んで飛び乗った叔父さんは夢を抱いて日本を出発し、約3ヶ月に渡って太平洋を横断の末、南国の楽園に辿り着いたんだとさ🏝️✨

これは今でも元気で笑顔を見せてくれるパラグアイに住む叔父さんの話。

『楽園なんて言葉に誘われて、行ってみたら何のこっちゃ!嘘っぱちじゃないか。』

当時のパラグアイの発展は相当に乏しかったらしく、日本人としても開拓に精を出したとか。

この叔父さんと同じ様にパラグアイに移住した日本人は多くいたそうで、今でも日本人2世、3世と活躍されているそうです。

そういったご縁で日本人移民80周年記念(だったかな?)には眞子内親王殿下にもお会いできたと喜んで話ておりました。

ニャンドゥティのレース編みが施された着物

この写真の着物はパラグアイからのお土産物なんです。
何十年も前にいただいて仕舞いっぱなしにしていたのを、私が見つけちゃったんですね(^^;)

日本に遊びに来ている家族がうちに来るということで、ここで着ないといつ着るの?と思える程カラフルでエキゾチックな着物に袖を通すことにしました。

全身の着用写真を撮れずこんな写真で失礼します。

縫製はミシン、カラフルなニャンドゥティはレース編みなのでそれを所々にミシン縫いで貼り付けてあるのです。
この着物は現地の日本人がブランドを立ち上げて流通していたそうです。(今でも行っているのかは不明)

一見すると、外国人が作った風に見えるのですが、紛れもなく日本人による日本とパラグアイを繋げる架け橋の着物なのです。

私には歴史とか戦争とかさっぱり分かりませんが、今でも公用語はスペイン語でニャンドゥティはお土産品としても人気で向こうの人にとっては見飽きている(?)デザインな印象でした(´-ω-`)

日本ではパラグアイとのご縁はあまり関係なく知られてきているそうですね✨(元々はヨーロッパスペインの文化だからかな?)

2度目の東京オリンピックで行われる予定だった、世界の着物イベントでもパラグアイの着物はあり(着物業界の方は覚えているかしら?)ニャンドゥティと桜で日本のイメージを色濃く残していたデザインで美しい着物に仕上がっていました。


というわけで、このニャンドゥティ着物を着て来日している家族と対面したわけです。

80歳もとおに過ぎている叔父さんはめちゃくちゃ元気で、向こうに行く前の日本の話や様々の名所の話を本当によく覚えています。
当時のままの日本人の感覚を持ってるかも?と私なんかは妙に期待しちゃうわけです笑

戦後から今まで日本に暮らしていた人は自然に現代の日本を受け入れられるけど、戦後から日本に居ない人にとってはあの頃の記憶が強いまま保たれ続けている可能性がある思いませんか?完全の私の憶測です笑
あの頃の話をもっともっと聞きたい!
なかなか話が伝わらないし、ご老人故の会話にしどろもどろですがエネルギーだけはガンガン伝わってくる熱い叔父さんなので、何故か見ているだけで元気をもらえるのです。

感動するのがこの年になってもまだ新たな商売意欲があるというのが面白いんですよ。
周りの家族は呆れていますが笑

あー。。。
あの頃の日本人もこれだけエネルギーを持って生きていたんだろうなって。じゃなきゃ終戦後から初めての東京オリンピック開催までの復活までは不可能ですよね。

そんなつまらぬ事をパラグアイの人々を見ていたら考えるわけです。

私は何にもできないけど、いつまでもエネルギーだけは他人に与えられるような生き生きした日本人であろうと思います。

以上駄文でしたが、今日の思い出として。
ものぐさ和裁師でした🪡



この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?