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被布衿コート《被布とコート》

◯被布衿コートを仕立てました

こんにちは、ものぐさ和裁師です^^
先日のnoteでお伝えした通りこの度はコートを仕立てました。その名も被布衿ひふえりコート』

ものぐさの大好きな形ですので、少しだけポイントを押さえておこうと思います♩

着物のコートの名前は数種類ありますが、衿周りの形の違いで呼び方が変わります。この度の衿は『被布ひふ』の形ですので『被布衿ひふえりコート』と呼びます。
見た目が似ているために、よく同じ扱いをされるのが下図の道行みちゆきコート』です。

被布衿と比較すると肩まわりに衿が付いていません。着物のコートとして代表的な形がこの道行衿みちゆきえりコートです。被布衿ひふえりとは異なります。


被布衿コートの衿の形は『被布ひふ』からきています。この形で思い出すのは子供の3歳の祝い着用する被布ひふです。

ものぐさ作 3歳の祝い着『被布』

どちらも着物の上から着用するもので、衿元だけをみると今回仕立てた『被布衿ひふえりコート』と同じです。

被布衿コート

コートの目的については、こちらも合わせてお読みくださいませ↑↑

◯被布と被布衿コートの違い

形も目的も同じように見えるのですが、この被布ひふ』と『被布衿ひふえりコート』には大きな違いが2つあります。(※仕立てに関することは省きます)

▶︎▷違いその1•使用場所

まず一つ目は着物の上着は大きく分けて2種の使い分けがあることです。

①室内では着用不可なもの。
②室内では着用を認められているもの。


この2種ですが、違いを説明します。

①は【コート】と呼ばれるものです。塵避ちりよけですので玄関先で脱ぎまます。故に、この度仕立てた被布衿ひふえりコートは室内では着用不可です。

②は【羽織】です。世間的に室内での着用を認められています◎。そして、羽織以外にも認められているものの一つが【被布】なのです。※その他にも茶羽織ちゃばおりなどの羽織の変形があります。

羽織姿。室内でも着用可◯

•羽織の実は…( ´∀`)

元々羽織は室内での着用は非礼儀として認められていないものでした。羽織の目的はコートと同じで塵除ちりよけ、身体を保護することですので、人に面会する時には脱ぐのが当初のマナーでした。礼儀れいぎとして人と会う前には脱いでいたのですが、次第に親しい人と会う時には着用したままで過ごすようになり、その内にそれが一般的になってきたのでした。

•もう一方の【被布】はどんな人が着ていたの?

被布の正確な起源は明らかになっていませんが、江戸時代享和きょうわの頃からと言われています。そして茶人ちゃじん俳人はいじんを中心に男性の衣服として取り入れられたのが初めです。

木造義山豪栄坐像宗教法人 
心城院有形文化財(美術工芸品)
文化庁文化遺産オンラインより引用https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/402121

写真の僧侶は男性で被布ひふを着用していることが分かります。胸元の装束は房付きとなっており、被布ひふの間から刀を刺しているのがハッキリとご覧いただけます。(心城院さんのページだとよりリアルに見えます。是非検索してみてくださいね)

そして文政ぶんせいの頃(1818〜1830)に婦女•僧尼に至るまで幅広く着用しました。一般の婦女は大名だいみょう旗本はたもと後室こうしつ隠居いんきょに限り着用していました。その後に 婦女が一般に着用するようになりました。

被布を着ている隠居祖母
1827年 宝船桂帆柱 2編4巻 引用元https://dl.ndl.go.jp/pid/9893157/1/29
和宮親子内親王1846〜1877 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/より引用2023.12.1

▶︎▷違いその2•形


羽織•被布ひふは、コートには無いある物が付いています。それは『まち』です!

丸をしている部分が襠です

このまちの目的は、後ろ身頃と前身頃の境目に布を一枚足すことで、無理のない着用をうながしているものと考えられます。

羽織は前の紐で簡単に結んであるのみ。
被布も同様に、飾り装束でとめてあるのみ。
ですので、この襠布まちぬののお陰で綺麗なシルエットを作れるのです。

羽織は簡単に羽織れて使い勝手は良い◎ですし、被布ひふは活動には不便ですが、上品で可愛らしいものなので、ご老人から子供まで使えます。

反対にコートはと言いますと、まちは無く、内紐と外飾り紐等で前の打ち合わせをとめます。

被布衿コート
襠は付いていません

◯まとめ

ここまで被布ひふ被布衿ひふえりコートの大きな違いを2つ説明してきました。
•羽織と被布ひふは室内で着用できます。
•コートになると室内着用は不可になる

…というのは現代の慣習であって、元々はどちらも室内と言わず、人と会う前には脱ぐことが礼儀だったんですね。羽織•被布の使い易さ故にか、いつの間にか人前でも脱ぐことはなくなり、室内でも使用を認められる存在にまでなったということです。

•羽織、被布ひふにはまちがあるが、コートにはまちは付かない

羽織、被布には脇の下にまちが付きます。

ビロ-ド三菊御紋御羽織(被布) 黒ビロード
文化庁文化遺産オンラインより引用https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/575103

被布ひふ被布衿ひふえりコートは見た目はそっくりに見えても、扱いは違うのです。
この変化は江戸時代〜明治時代にかけて起こったものですが、それから100年以上経過したわけですから、今後もより活用し易く美しく進化していくんだとものぐさは考えています^^

例えばコートにもまちがついてみたり
襠の付いた新たな形の室内着が出来たり

考えるだけでワクワクしませんか(*^^*)?

普段生活に直結する着物だから、時代に合わせて使い易く魅力的に、形を少しずつ変化させていくんですね。

本やネット媒体が主役になっていますから、ルールで固執してしまっている印象はありますが、本来はもっと柔らかく考えても良いのかもしれません。いつの時代も修理固成しゅうりこせいでいきたいですね

最後になりましたが、何故ものぐさが『被布ひふ』にこだわるかと言いますと、被布ひふ=高貴なイメージが付いているからです※個人の印象です( ´ ▽ ` )

時代のせいか、先ほど登場した和宮かずのみや様や天璋院てんしょういん、ご隠居いんきょを含めて、なかなかの顔ぶれの皆様がご着用されていたということで、いつか自分用に仕立ててみたい!という憧れの思想から辿り着いた仕立てでした。

近年では幼児の祝い着としての印象が強くてなかなか仕立て依頼は入ってきませんが、大人は大人っぽくあでやかにこの被布ひふ被布衿ひふえりを楽しみ尽くしたいものです( ´∀`)♩

この様に着物には現代人にとって、まだまだ未開の地が用意されていて、死ぬまでに満足して手につけられるか分かりませんが精一杯仕立て屋としても着物愛好家としても着物の面白さ、美しさを追求していきたいと思います。

皆様応援の程どうぞ宜しくお願いします!!

以上、ものぐさ和裁師でした🪡

被布着たる少女 1911年
野長瀬 晩花  (1889-1964)文化庁文化遺産オンラインより引用https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213473

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