コートについて
こんにちは、ものぐさ和裁師です
今回はこちらのnoteでは初めましてとなるコートを仕立てましたので、少しだけ触れておこうと思います^^
◯コートの役割
洋服で言うコートは防寒の役割が大きいのですが、和服では少しだけ意味が違います。
和服の部類にある『コート』とは
⭐️目的その1…年中を通して着用され、主に『チリヨケ』として扱われます。
チリヨケ(塵除)=塵埃・傷・水・汚れから着物を守るためのもの。
⭐️目的その2…防寒、身体の保護
⭐️目的その3…お洒落
ざっくりと書いて以上となります。
扱い方は、チリヨケを兼ねた外出着となりますので、室内に入る時には必ず脱ぐことがルールとなっております。
◯コートの起こり『合羽』
『コート』って和服なのに何故カタカナなの?と感じたことはありませんか。
元々は16世紀に日本を訪れたポルトガルやスペイン人が来ていた外衣『袖もなく、すそ広きもの』に因んだ合羽から由来しています。(今で言うポンチョの様なものかしら?)
当時の権力者達はこれを真似て、諸外国からもたらされる上等な素材を用いて合羽を仕立て、戦の際にその派手な贅を競い士気を高めていたのです。
以前ものぐさのnoteで取り上げました↑↑
戦国時代の武将が着用していた『陣羽織』のルーツと同様ということです。
…様々な素材で彩られる陣羽織達↑↑
この合羽が時代をさかのぼり、江戸中期になると形が様変わりし、桐油紙という油を塗った紙を使用した、『紙合羽』も誕生したそうです。
江戸後期になると長合羽や半合羽等、様々な形や用途の合羽が出現しました。外衣全体を指して合羽と呼んでいたんですね。
先程の『紙合羽』は防水仕様となることで、雨合羽へと進化していきます。
それから時代は幕末に入り西洋の外套文化も相まって、とんびやマントも出現し、その形は合羽と合流していった模様です。外套=コートのこと。
◯東コートの出現
そして女性を中心に明治28年には東コートが流行し始めます。(※東京日本橋の白木屋呉服店が1886年に売り出したそうです。https://kotobank.jp/word/東コート-196523より引用)
ここで初めて『コート』と使われるようになりました。
そして昭和初期にはコート文化は定着し『合羽』は雨具を指す『雨合羽』として浸透していきました。
安土桃山時代に外国からもたらされた合羽や、外套という衣服が日本国内で様々な変化を遂げ、現在のコートとなっていったのです。面白いですね!
◯まとめ
安土桃山時代〜昭和初期までざっくり書きましたが、現在のコートが誕生してからまだ130年程しか年月が経過していないことに驚きですね!
コート・羽織は着物の羽織物としてよく比較されますが、羽織は陣羽織に見られるように戦国の世から男性社会で優先的に使用され女性は着用しないものとされていましたが(羽織は明治に入り一般化します)、コートは女性の外出着として始まったのでルーツから辿ると両者に違いのある事がわかります。※陣羽織《じんばおり》のルーツは“胴服|”からとも“合羽|《かっぱ》”からとも言われています。
厳密に言うと、男性用の道行コートもありましたし、羽織は江戸年間に女性へは規制されていたとは言え、一定の女性には被布が許されていました。※羽織と被布は室内で脱がなくても良い羽織物と言われています(ここも大昔は違ったのですが)
『女性が羽織を着る事はできなかった。』とだけ聞くと差別意識が働いてしまいますが、男性は男性の着こなしで、女性は女性の着こなしを楽しんでいたんじゃないかと個人的には感じるのです。
今でも和服で男性用のコートを仕立てる機会は殆どと言って良いほどありませんが、女性のコートは種類豊富ですね。
それに加え最近はどこへ行くにも温度調整が施されているので、長時間の野外活動でない限り、着物生活に不満がなくなりました。
羽織の上からコートを着るなど、重ね着文化が無いに等しくなってまったことは寂しいですが、これからも過去の恩恵にあやかって日本を楽しんでいこうと思います♩
今回のコートはここまでとして、次回は被布について少しだけ触れてみようと思います。
以上、ものぐさ和裁師でした
参考資料http://www.ishinotent.co.jp/Kappa/kappa.html
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