勝ち組負け組言うけれど、真の勝ち組様はラオウ様だから!(2024年のデルタ22)

真の勝ち組はラオウなんだけどな
「ラオウと言いますと北斗の拳の?」
うん。なんか「勝ち組、負け組」みたいなんがまた流行ってるんだけど
、その言葉をネタ以外で言ってるなら、あんまり賢くないよなって思う
「ほむほむ」
勝ち組、負け組を計る指標って貨幣なのかって感じだね
「貨幣は一見ある程度の事は表しますよね」
うん。それはそうなんだけどさ、一定以上貨幣あってもそれだけでは、決まらないさな。それは貨幣が足りないという事なら、それは不幸になる。でも、一定以上あれば、もう関係ないと思うんだよね
「ん、含蓄ですね」
確かに貨幣が多いと、所謂金持ちだと分かりやすい。でも、本当に金持ってるのが幸せかというとそうでもないさな。お金がなければ不幸になる。お金があれば幸福だ。それはお金の無い人の物の見方なんだよ
ハッキリ言ってしまえば、冷暖房完備で食費に困らず、ある程度お小遣い使える。それで愛する家族がいれば、そっから先は、必ずしも幸福と結びつかないさな。お金があればあれ出来るこれ出来るは貧乏な人の考え方さな。真の金持ち、数%で世界の富の半分を占めるような人達から言えば、「勝ち組負け組と言い争っている連中」は鼻くそレベルの金しか持ってない訳だ。そもそもそのクラスは何もしなくても金増えてくんだよ。システム出来上がってるから。貨幣で測るなら最低でもここに入らないと僕は勝ち組だとは思わないんだよ
「なる程ですね」
プライベートジェットで移動してるとか、何かの兼ね合いで寄付金の額が凄いとか。確かに感心する事もあるし、金持ってんなあとは思う

でも、お金が人生の満足度を買えるかと言えば、一定までと限定されちゃうさな。そもそも、「勝ち組とか負け組とか」言ってるけど、明確な線引きの無い主観なんだよね。僕はお金で計るなら、世界の富の半分を持つ上位数%にでもならないと、貨幣に置いて勝ち組とは思わないんだよ
「客観的線引きと主観の線引きですね」
そそ、「世界の富を占める上位数%」が客観的線引きで、僕はそう思うが主観の線引きね

僕は貯蓄ナシ世帯に比べると持ってるけど、同年代の上場企業に勤める人と比べると持ってないとは思うんだよね。結局「勝ち組負け組」なんて主観の線引きで、言葉遊びなんだよ
「ほうほう。なら、何故ラオウが勝ち組なんです?」

「わが生涯に一片の悔いなし!」って死んでいくじゃん
「おお、なるほど!」
そそ、死ぬ間際に「わが生涯に一片の悔いなし」って本気で言える人が本当の人生の勝ち組さな。だからラオウ。結局、人生の勝ち負け何て主観なんだよ。だから例え生活保護世帯だって、死ぬ間際に本気で「わが生涯に一片の悔いなし!」って言えれば、人生勝ち組なんだよ
「なる程ですね」
お金がないと不幸にはなりやすいけど、お金があるからって「わが生涯に一片の悔いなし」にはならないでしょ?
「ですね」
「人生の勝ち負けにお金のあるなしは関係ない」そうなんだけど、所謂お金がない層は、不幸になりやすいってのはあるよね

お金が少ない層でも効用を上げていけるのが文明の進歩。冷暖房完備で、生活費も困らず、お小遣いあってっていうのは、昔で言えば王侯貴族レベルの生活なんだよ
「ぷぷ、下手すると王侯貴族よりよい生活ですよね」
そそ、先進国は一人頭300人以上の奴隷を抱えてるのと同じエネルギーを得ている。だから、物の見方なんだよね。主観で測るなら、中世の時代より皆いい生活してるじゃんって(笑)って話になる。だから、本当の勝ち組は「わが生涯に一片の悔いなし!」の人なんだよ

「ですね。お金の事から解放されました」
良かった。それもこれ書く目的の一つなんだ。幸せってそんなもんだよ?
「了解です。文明が進めば一定以上の収入あれば十分ですね」
うん。そういう事
「私も勉強になりました」
なら良かったよ

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