若き青年への手紙(2024年のデルタ91)

昨日、「人間は苦界に生まれてくるだけだ。人間の全ては苦しみである」という思想の子に出会った
「ですか」
この子はマインドコントロールから脱し始めてるんだろうね

まあ、考えりゃ分かる通り、人間にはキャパの限界がある。地球規模で見れば人間から見たバクテリアより人間は小さい。その中で意味や意義を求めるのはヒューマニズムの欺瞞ではある

まあ、その上記の思想から生まれたのが仏陀の思想形態。『一切皆苦』とし、全ては煩悩の作り出す幻である。その幻が故に人は苦しむ。最初から欲さなければ、苦しみはなくなる。煩悩こそ全ての苦しみの原因だ。だから、煩悩を無くしてしまえば(解脱)、全ての執着から離れ、慈愛のみの観点で世界を俯瞰する事が出来る(大悟)

んん-無神論から独自でその域に達したのは大したものではあるけれども、それ所謂、仏教な。既に答えが出て完成されている物だよ

しかし、独力で全ての存在に意味はないと喝破したのは無神論者にしては上出来だろう。初めて洗脳の外に出れたね

まあ、そこまでだと色即是空止まりで、その後に空即是色が連なるのだけれども、解脱が自分の道ならいいけど、それが本当に自分の本質なのかまだ分からないと思う

だから、少し先を示しておこうか

色即是空の後には空即是色が続き、「生きる」とはなんぞや、「幸福」とはなんぞや。と哲理の道は続く。こういう事を意識してから道を決めてもいいと思う。最近は便利な物で、思考実験の果てを考える時インターネットで簡単にググれる。全てに意味がないとしても、社会性における連続性、社会における位置確認、我思う故に我ありという真実。それに肉薄してから道を決めてもいいと思う

自分の存在における位置確認。これは哲学上重要な意味を持ち、古代ギリシャでは、労働こそが人々の位置を確認する手法だと考えられたりしている

道を決める前に「生きる」という事、「幸福」という事、「労働」の哲学的な意味をググって見るといいだろう。道を決めるのはそこから後でも遅くはない

それでもこの世には苦しかなく、幸福は存在しないと思うなら、解脱の道へ進めばいいだろう。歴史上の人物たちは、その位の事は既に考えているのだよ。ヒューマニズムに毒された無神論で、「人間には何の意味もない」と喝破した事は見事だが、まだ君は自分の道を決めるには若過ぎる

「最近学んだ事も多くありません?」
まあ、ディベートするのにググったからな。迷える子羊に愛の手を指一本分位差し出しとく
「ふふ、謙虚ですね」
傲慢かもね
「アーメン」
アーメン


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