毎日投稿することと、書きたい記事と。なにを大事にするか見つめなおす
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他の方々もよく書いておられることだが、毎日投稿していると、だんだん、「記事を投稿すること」自体に意識が向き始めた。
毎日「note」を書くことは、苦ではない。
もうルーティンになっているし、没頭できて楽しい時間だ。
書きたいことも、まだまだある。
テーマもどんどん湧いてきて、調べものをしたり、構成を考えたり、記事についてあれこれ悩むのもすきだ。
ただ、書きたい内容のレベルの記事にまとめようとすると、どうしても時間が足りない、と感じるようになった。
いや!
たいしたレベルじゃないのは重々承知だ。
「このテーマなら、こんなふうにまとまっていたら面白いかな」といった、あくまで、自分が納得するレベル感、という意味だ。
子どもたちを寝かしつけてから、残りの家事などを済ませ、毎日の手書きノートを書き、「note」に投稿する記事を最終推敲して、それから、ほかの記事づくりをする。
だいたい、2時間くらいたつと、眠気が勝ち始めるので、翌日のことも考え、このへんで切り上げる。
このやりかたで書いていると。
「毎日投稿する」というスピードと、「記事を書く」ためにつかえる時間とが釣り合わず、記事づくりが追い付かなくなってきているのだ。
こうなってくると、だんだん、
「わたしは何と戦っているんだろう」と苦しくなる。
べつに、毎日投稿しなくてよいのでは?
なぜ、そんなノルマを自分に課しているんだ?
こういう、生産性のない疑念が頭を埋め尽くし始める。
すると今度は、「毎日投稿するかどうか」という悩みについて、延々と思考を巡らせてしまう。
やめるのは簡単だ。
でも性格上、一旦やめると、翌日からもやらなくなりそうでこわいのだ。
もう、悩むくらいなら、毎日投稿するんだ。
そうおもって、今日まで毎日投稿をしてきた。
とはいえ、こんな悩みが浮かんでいる時点で、今のやりかたを続けることはできない。
このままでよいのか、記事を書きながら、自分に問い直すことにする。
・悩みを書き出してみる
やはり、書き出してみて一番の悩みは、「毎日投稿するための記事のことを、一日中考えていること」だとおもう。
そして、それは、記事がちゃんと仕上がっていない不安からきている。
記事に割く時間がもっとあれば、満足いくまで調べたり、納得いくまで書き上げたりできるのだろうか。
いや、どんなに時間をかけたって、「完璧」にはならない。
「自分が納得できるレベル」というが、所詮ちょっと長めに調べた程度では、情報量もたいして変わらないし、内容の深みも大差ないだろう。
それなら、「毎日投稿する」と決めて、タイムリミットがきたら、ぽーん!と投稿してしまうほうが、案外継続できる気がする。
うん。
やっぱりやれるところまでは「毎日投稿」をつづけてみよう。
ほんとうにしんどい時は、しなければいいのだから。
べつに誰かに許可をとることはないんだよ、と自分に言い聞かせる。
ただ、やっぱりもっと気軽に「毎日投稿」を続けるために、ライトな気持ちで書ける記事をつくりたい、と考えた。
たとえば、子どもから学ぶことは多いが、毎度子どもの発言から私が深刻に考えているわけではない。
子どもたちの、ゆるくておもしろ~い会話だけの記録も残したいし、家族の思い出を日記風に記録するのも楽しそうだ。
また、ほかの方がよくされている、読書の感想や本の紹介も書きやすい。
今なら、子どもたちと読んでいる絵本のことも書いてみたい。
おいしかったお菓子や、ちょっと見た動画のこととか、ちょっとした日常のハッピーとか・・・。
なんだ。
もっとも~っと気軽に書きたいこと、いっぱいあるじゃん。
短くてもいいから、書きたいことって、いっぱいあるかも。
たくさん書くことは苦ではないけど、なーんにも考えずに書いて、投稿するのも「note」を続けるコツなのかもしれない。
書いていて、勝手に結論づいた。
・書いていたら悩みが解決したので、まとめ
まあ、書き出してみれば、たったこれだけのことだった。
でも、昨日は、この悩みについて結構真剣に悩んでいた。
それが、バーッと記事を書いているうちに、勝手に解決していったのだ。
これが「書く」のすごいところだな、とおもう。
書くことで、じぶんの悩みに冷静に向き合って、考えて、答えをだすことができるのだから。
やっぱりわたしは、「書く」のが楽しい。
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