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「先生」との出会い、はじまり。




小学校で担任してもらった先生方のことを、よく覚えている。

途中交代などもあり、6年間で7人の担任の先生に教わったが、どの先生にもエピソードがある。
そしてそれを、割と鮮明に思い出せる。


誰しもそれが普通と思っていたが、夫は「どの先生のことも大して覚えていない」という。
つまり、わたしはそもそも「先生」という大人が好きだったんだろう。


それは、毎年すてきな「先生」に出会ってきたからであって、その「先生方」との出会いは、わたし自身が教師を目指すきっかけの一つになったはずである。


どんな先生がいて、あの時、どんなことを話したか。

365日のうち、200日近くを共に過ごした先生との思い出。
自分が教師になり、親になった今だからこそ、一人ずつふりかえってみようと思った。







一年生のときの担任、N先生。
みんな、「えみこちゃん」と呼んでいた。

その頃の時代のせいか、荒れた校風のせいなのか、先生はだいたいあだ名で呼ばれていた。
えみこちゃんは、長いストレートの茶髪に赤い口紅の、元気はつらつなおばちゃんだった。



教室にはいつも、「ぶーちゃん」というブタがいた。
本物ではない。パペット人形だ。
いつもえみこちゃんが片手にはめて、裏声で喋らせ、動かしていた。


👩ねえねえ、ぶーちゃん!次の時間はどんなことをするの?

🐷次は音楽ブヒ!音楽室に行くんだブー!

👩そうなんだあ!じゃあ持ち物は?

🐷教科書と、ファイルがいるんだブー!



今教師になって思うが、1年生にパペット人形で寸劇するのは、ちょっと幼稚な気がする。
入学してきた1年生は、そんなにお子ちゃまではないし、人形がなくても話を聞けるよう指導していかなければならない。


多分そんなことは、えみこちゃんも分かっていた。
分かっていたけど、してくれたのだ。
入学したばかりの不安な子どもたちに、「学校って楽しいでしょ!」と伝えるために。


実際、わたしがこうして覚えているくらいだから、その時のわたしは喜んだのだろう。

お母さん!
教室にはぶーちゃんがいるんだよ!
あれは、えみこちゃんが動かしてるんだよ!


そう話したことも、覚えているのだ。

えみこちゃんは、わたしにとって小学校で初めての「先生」。
明るくて元気なえみこちゃんは、わたしにとってはとてもいい先生だった。
いつもテレビの横からみんなを見守ってくれていた、ぶーちゃんの存在も好きだった。




こう書いていると、えみこちゃんとのエピソードが山のように出てくるかと思いきや、先生方の中では一番記憶がない。

わたしがまだ7歳で、記憶が不確かだったからだろう。
1年生で習った授業も記憶がない。
ただ毎日、幼馴染と楽しく登校していたように思う。





登下校といえば。

あの頃の下校は、今よりも自由だった。
わたしの務める学校は、行きも帰りも登校班だが。
わたしが小学生の時には、下校は好きな時にしてよいものだった。


教室でさようならをして、そのまま校庭で遊んでもいいし、好きな友達と帰ってもいい。
ざっくり下校ルートだけは決まっていて、人の家に寄るなどの大きな寄り道がなければ、特に咎められはしなかった。



わたしは、1キロの一本道を毎日歩いた。
田んぼと畑と民家しかない、歩道もないような1本道。
赤いランドセルを背負って、毎日てくてく歩いて帰った。


初めての下校の日。
えみこちゃんと、幼馴染と、わたしの3人で帰った。
いっしょに下校ルートを確認するためだ。


わたしは入学前に親と練習をしていたので、下校ルートはバッチリだった。
でも、えみこちゃんが自信満々で「ここを曲がるのよ」というから、黙ってついていった。


案の定、よくわからない高台に出て、ふもとの方に自分の家が見えた。


「えみこちゃん、あそこにわたしの家が見えるよ」


おそるおそる指差したときの、えみこちゃんの顔。


ごっめえーん!!
えー!そうなの!?
分かってたの!?
やだあーごめんねえ!!


目力のある目がさらに見開かれ、口紅の塗られた口がもっと開いて、えみこちゃんは大声で謝った。
それがおかしくて、わたしと幼馴染はけらけら笑った。

普通なら15分もかからない下校ルート。
えみこちゃんと、30分は歩いていた。

でも、全然腹も立たなかった。
むしろ、えみこちゃんと一緒に帰れてうれしかった。
先生を独り占めできたみたい。
特別な気分の下校だった。



1年が経つと、クラスは変わらないが、担任は変わる。
翌年の4月には、また体育館で担任発表があり、えみこちゃんは別のクラスに配属された。

うちには、かわいい若手の先生が当たって、みんなきゃっきゃと喜んだ。
えみこちゃんも、自分のクラスの子どもたちに、大きく手を振って笑っていた。 

そうか。
そういうもんか。

1年間、えみこちゃんは私たちだけの「先生」だったけど、次の年にはこうしてあっさりと離れてしまうのだ。
そしてそれは、「先生」にとっても、みんなにとっても当たり前。

もちろん、わたしも。

えみこちゃんは、私たちだけの、私だけの「先生」ではなかった。

それでも私にとって、小学校で「初めての担任の先生」は、えみこちゃんに違いなかった。




こうしてわたしは2年生になり、新しい担任M先生に出会うのだが、それはまた、別のどこかで。








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