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私のやさしい夫と、夫婦のコミュニケーション

灯し屋さんの、「愛妻家」について言及した記事を読ませていただいた。


「愛妻家」という言葉で、まず最初に浮かぶのは私の夫だ。
ありがたいことに。
私の夫は、本当に私のことを大切に思ってくれているひとだ。たぶん笑。

というのも、言葉の一つひとつから、「よくそんなことがサラリと言えるなあ」と思うくらい、私を思って言ってくれているのが伝わってくるのだ。


たとえば。
「いつも家事ができなくてごめん」と言ったとき。
「あなたは、自分にもっと優しくするんだよ~」と言ってくれた。

「子どもにイライラするときがあんねん」と打ち明けると、
「育児はきっと一人ですることじゃあないんだよ。いっしょに居れるように、早く仕事終わらせて帰ってくるからね~」とも言ってくれた。

「お皿洗ってくれてありがとね」と伝えたときには、「俺にできるのはこのくらいだよ~」と言っていた。


・・・書いていて、ほんと「人間できてるな~」とおもう。笑
ちなみに、この「~」という口調も、ほんとにこんな感じなのだ。



夫のことは、前から「note」に書きたいと思っていた。
でも、私のつたない文章力では、とてもじゃないが夫の優しさを表現できないし、なんか「のろけ」みたいな文章になりそうでいやだった。

でも、ちょうどいま「私のパートナー」というタグも出ているし、夫には常々感謝したいことがいっぱいなので。
べつに夫が見るわけじゃないんだけど、書いてみようかなあとおもった。



夫はとっても穏やかな男で、口数は少ない。
でも、その選び抜かれた言葉一つひとつは、家族を思って、考えて、選びぬいて言ってくれたひとことだと分かる。
特に、文句やイライラをぺらぺらと口にしがちな私にたいしては、より「あなたが穏やかな気持ちを取り戻せますように」と、嫌味なく思って言ってくれているのがわかる。
ときには、言葉にせず、そばにいてくれたりもする。



そんな夫と万事うまくいっている、と言いたいが、そうでもない。

最近私たち夫婦は、「コミュニケーション」をとる時間を持てないことが、悩みのひとつだ。



先日、ニュースで「産前・産後の悩み お父さん編」というような特集をやっていて、たまたま一緒に見た。

特集では、仕事が忙しく、育児を妻に丸投げしていた夫が、妻に「体調大丈夫?」とたずねたところ、妻がキレたという話がでてきた。
その夫は、「良かれと思って言ったことなのに、妻に怒られて、よけいに分からなくなった。ストレスが仕事に影響した」と話していた。


夫は「わかるぞ~」とか「そうだそうだ!」など、冗談半分で野次をとばしながら見ていた。笑
「なんかごめん笑」と私も苦笑い。

夫も、私が育児に参っているころ、よく失言をして、私を泣かせたり怒らせたりした。今思えば、それは夫が悪いのではなく、どんな言葉もすなおに受け取れなかった、私の精神状態が問題だったのだけど。

その特集は、夫婦のコミュニケーションの重要性と、男性の悩みの相談先が必要だ、というまとめで終わった。

「コミュニケーション」というところに、私たちはどちらもひっかかりがあって、お互い「コミュニケーション大事だよね」と話した。
でも実際、とれてない。事務連絡になりがち。
だって、なかなかとる時間がないんだもの。


私たち夫婦は「一人の時間」が好きなタイプ。
子どもたちを寝かしつけて、家事を済ませたら、ようやくその「一人の時間」がやってくる。
おたがいその重要性を知っているので、邪魔しにくい。

だが、そんなふうにずっと事務連絡で毎日を過ごしていると、不思議と夫婦の関係がぎくしゃくし始めるのだ。

おかしい。
育児も家事もまわっているし、お互い「一人の時間」もとれているのに。
どうしてこんなに、苦しい空気が流れるんだろう。


この不穏な空気が発生する事態は、1年に2,3回訪れる。
だいたい、夫の仕事が忙しく、休みの日が少ない6月や10月~11月頃にやってくる。
もうこの時期は不穏になるのがわかっているので、夫婦両者、「あの時期が来るぞ」と構えているくらいだ。


私は、こんなふうにぎくしゃくし始めるのって、やっぱり私たちが「一人」で生きているのではなく、「夫婦」として生きているから起きるんじゃないかとおもっている。

同じ屋根のもと、一緒に子供たちを育て、毎日どのように過ごすか予定を把握しあい、体調を心配しあいながら、助け合っている。
つまり、支えあって、生きている。


「コミュニケーション」をおろそかにすると、この「支えあう」部分が不十分になってきて、私も夫も心が不安定になっていくんじゃないだろうか。
だから、いつもと同じように過ごしているはずなのに、ぎくしゃくする。

ひとりで生きていたら、こんなこと起きない。
「夫婦」で生きているかぎり、最低限の事務連絡だけで生きていくのって、少なくとも私たちは苦しいようだ。
なにより、楽しくない。ハッピーな気持ちになれない。
(もちろん、そんな状況ではないひともたくさんいるだろう。)



「愛妻家」の夫は、ありがたいことに、私と「コミュニケーション」をとりたいと思ってくれる。
こんな、すぐイライラしたり、ぶつぶつ文句を言ったりする私でもだ。笑

私は、そんな夫に、つい「コミュニケーション」の面でも甘えてしまっているとおもう。
私がどんなに雑な会話をしても、真摯に向き合おうとしてくれる夫に。


でも、私だって夫が大切だ。
その気持ちがあるのなら、ちゃんと夫に私のその気持ちが伝わるような「コミュニケーション」をとっていかないとなあ。
書いていて、すこし反省した。


夫は私を大切にしてくれる。
これを「愛妻家」というのなら、私も「愛夫家」になりたい。
(そんな言葉はないらしい。なんなら「愛妻家」という言葉も、あまり良い意味合いで使われていないようだ。ここでは「愛妻家」を、私を大切にしてくれる夫、という意味で使っているので、ご容赦を。)



夫には、感謝を伝える言葉もまだまだ言い足りない。
この記事で、彼の優しさをぜんぶ書き切ることもできない。

それでも、私の夫へ。
いつもありがとう。

これからも、夫婦で「コミュニケーション」をたいせつに、末永くいっしょに生きていけますように。

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