母が「泣く」ということ。
母が泣くのを見たのは、3回だけだ。
1回目は、6歳のとき。
弟が怪我をしてしまって、泣いている。
母はえらく心配そうに、弟を抱きしめ、ようすをうかがっている。
ただごとではない。
そうおもったわたしは、なぜか「笑わせなくては」と思い立った。
いつも髪を結んでいた、太くて黒いヘアゴムを手につかむと、口をとがらせ、そこにひっかける。
そして、ガニ股で母に近寄りながら、大声で叫んだのだ。
「見てみて〜!たこチュー!」
母が「バカ!」と一喝した。
初めて言われた「バカ」だった。
みるみるうちに、涙があふれた。
今、こんなことしてる場合じゃないんだ。
幼いわたしは、場違いな行動をどうすればいいかわからなくなって、その場に泣き崩れた。
母はすぐに口を覆って、わたしを呼び寄せた。
そして、ごめんごめんと言いながら、わたしのあたまをごしごし撫でた。
「ごめんね、場を和ませようとしてくれただけなんよね」
そう、そうなんだよ。
そのときわたしは、初めて「場を和ませる」という言葉を知った。
そして、場違いな行動を猛省した。
そんな場違いを起こしたわたしのことも、母はちゃんと分かってくれる。
そのことに心底、安心した。
*
2回目の母のなみだは、中学生のときだ。
そのころ、両親の仲がサイアクだった。
毎日ケンカする親が嫌いだった。
父は、夜な夜なわたしの部屋で、母の文句をこぼしていた。
ある父のいない夜。
とつぜん母が、目を真っ赤にして、言い出した。
「あんた、いつもお父さんと、わたしの悪口言ってるでしょ」
言ってないよ!
お父さんが勝手に、部屋で話してくんねん。
その訴えを、母は聞かなかった。
涙をこらえながら、言い続けた。
お母さんだってね、がんばっとるんよ。
お母さんばっかり、悪者にせんといて。
お父さんの味方ばっかりせんといて。
なんやそれ。
じゃあ喧嘩なんか、すんなよ。
そう思ったけど、言い返せなかった。
いつもとはちがう、なにかを感じた。
母の痛み、怒り、悲しみの混じったなみだが、目に溜まって滲んでいた。
その日を境に、わたしは、父を部屋に入れるのをやめた。
母の訴えは、後にも先にもこれっきりだ。
*
3回目は、母の父が亡くなったとき。
これは、わたしに向けられた涙ではないので、ここには書かない。
でも、母のなみだをこれだけ鮮明に思い出せるのは、それだけ心に衝撃があったからだ。
「母が泣く」ということは、子どもに大きな記憶をのこす。
それは、わたしだけがそうなのか?
泣くように見えない強い母が、泣いて驚いただけなのだろうか。
なんにせよ、母のなみだが忘れられない。
そのせいか、自分が母になって、息子の前で泣くのがすこしこわい。
おそろしいのだ。
息子が、どう思うのか。
母だって、辛かったら泣いてもいい。
頭ではそう分かっていても、息子の前ではなかなかそれができないのだ。
それが「母」というものなのだろうか。
燃え殻さんの『すべて忘れてしまうから』を読んでいるとき、母のことを思いだした。
べつに、母のことが書かれた本ではない。
燃え殻さんの、切り取られた過去の物語を、ちらちらと読み進めていると、なぜか母の記憶がよみがえり始めたのだ。
エッセイを読んでいると、こういうことがたびたび起こる。
目の前の字を追って、想像しながら読んでいるのに、急に自分の記憶が混ざり始める。
ふたつの世界が、重なり出すのだ。
そうなると、目で字を追っても、内容が入ってこなくなる。
いちど本を置くしかない。
自分の記憶がスクリーンに映し出され、流れていくまでじっと待つのだ。
しばし、記憶に浸る。
そして、忘れないように、メモをする。
それからやっとまた、本を持つ。
先ほどの、本の世界にもどっていく。
あ、母の日だったからか。
眠りにつくまえ、思いついた。
ずっと、無視していた母の日だったが、去年は思いつきでワインを注文した。
贈り物が苦手なわたしは、身内へのワインですら、うんうんと唸りながら選んだ。
今年は、どうしよう。
ギリギリまで悩んで、LINEギフトに委ねた。
世の中、便利でありがたい。
べつに、特別な意味があったわけじゃない。
ただ、なんとなくずっと母への感謝を形にしてこなかった、とおもって。
「母」になって、知ったから。
「母」って、たいへんなんだよね。
母のなみだは、何年も見ていない。
母が強い人だからなのか、育児がひと山越えたからか。
はたまた、推し活のおかげだろうか。
遠く離れて暮らすわたしには、その答えは見つけられない。
それでもこうして、たまに母をおもいだす。
記憶のなかの母の顔。
笑っているような、泣いているような。
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