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「メールするからメールしてね」が、やめられない。


ほぼ日刊イトイ新聞のGW恒例企画。
「メールするからメールしてね。」をごぞんじだろうか。


「メールするからメールしてね」は、指定アドレスにメールを送ると、ほぼ日スタッフから、メールが返信される企画である。


しかし、その返信は「ほんもの」ではない。

送ったメールをスタッフさんが読んでくれて、それに返事をくれるのではない。
スタッフ150名が、ひとり5通のメールを用意。そのどれかが「ランダム」で送られてくるのだ。

お返事には、150人×5通=「750通り」の文章がそんざいする。
どれが届くかは、おたのしみ。
それが、「メールするからメールしてね」だ。


「なにそれ、誰得?」とおもった方。

そのとおりだ。
わたしも、はじめはそう思った。
ちなみに、企画ページの説明文にも、「ひぃ、なにそれキモ! きしょ!」と書いてある。

それでも、なんだかおもしろそうだ。

わたしは、なぜか興味がわいて、ためしに一通送ってみた。
「メール文は、なんでもいい」と書いてあったので、てきとうに二文ほど打って、送信した。

一通目におくったメール、本文。



しばらくして、お返事がとどく。

・・・へえ。
ほお、ふうん。

そんな感想が出るくらいの、内容だった。
だって、ほんとに、とりとめもないんだもの。

だけど、なんとなく気になって、もう一通送ってみた。
750通りもあるんでしょ?
なんだか、気になるじゃない。

次もまた、しばらくしてお返事が届く。

・・・ふーん、ふむふむ。
また、こんなかんじだ。

これが、なかなか「クセ」になる。
なぜか妙に気になり始めて、手が空くたびにメールを送った。



そうやって、一日が過ぎた。
メールの受信フォルダをかぞえてみる。

ぜんぶで、7通。
今日は、7回もほぼ日にメールを送り、7回もお返事をいただいてしまった。
ちなみにかぶりは、ひとつもなかった。

メールの内容は、ほんとうに「身にならない話」だった。

まず、スタッフさんのお名前。
必ずある。

それから、内容。
わたしのもとに届いたメールでは、「ほぼ日」の話、「最近のマイブーム」、「趣味」。
あと、「家電がつぎつぎ壊れた」という話もあった。

どれも、すぐに読める短い文章で、さいごに「よいGWを」的なメッセージで締めくくられている。


それだけだ。

「学び」もない。
「得」もない。
このお返事メールを読んで、ためになることなんて、ひとつもない。

だけど、やめられなかった。
なんども、なんども、送りたくなった。


それは、わたしが「ヒマ」だったからか?
それとも、750通もの返信文に、好奇心がわいたからか?

どうしてわたしは、「メールするからメールしてね」が、すっかり気に入ってしまったんだろう。

じぶんなりに、答えをさがしてみた。


・「やりとり」を感じさせるくふう

この企画のおもしろいところは、「やりとり」を感じさせるくふうが、随所になされているところである。


たとえば、返信はすぐに送られてこない。
数分間の時差がある。

企画説明のページにも、「瞬時の返信が可能だが、システムに苦労してもらい、わざとタイムラグをもうけている」と書いてある。

その時間差が、「相手」をにおわせる。
スタッフさんが、その場で返信を打っているわけじゃない。
でも、なんだかそれが想像できる。

忘れたころに「あ、返信きてるきてる」とおもいだす感じ。
Eメール初期時代の、待ちどおしい感覚を思い出させてくれるのだ。


あと、このお返事メールには、「広告」がない。

HPアドレスもないし、商品の宣伝もない。
ほんとうに、とあるスタッフさんのお名前と、個人的な文章と、おわりのあいさつのみだ。
だから、「メルマガ」のような嫌悪感がない。

これは、まちがいなく、「だれか」が打ったお返事なのだ。

業務的につくられた、企業の宣伝のためのビジネスメールではない。
そこにいるスタッフのだれかが、わたしのために、これを打ったのだ。

わたしのため「だけ」では、ないけどね。


・つながりを、想像する


わたしは、送り主がどんなひとなのか想像した。

この木工が好きなかたは、GW中にどんなスツールを作ったのかな。
洋服の断捨離をしようとするも、上手くいかなかったこの方、同い年くらいかしら。 

どんなお顔で、どんな雰囲気のかたなのか。
一生会うことはないんだろうその人のことを、メールの文から想像した。
ほんの1,2分のことだけど。
それが、すごくたのしかった。


そうか。
これは、「つながり」を想像する企画なんだ。

ゴールデンウイークひまつぶし企画。
「ヒマ人はメール送ってね」くらいの話かと思っていたが、ちがう。

つながっているようで、つながっていない。
遠すぎず、近すぎない。
一方的だけど、一方的ではない。

そんな、いないようでたしかに存在する「だれか」と、メールを交わすこと。

それがこの「メールするからメールしてね」の魅力なのか。

2007年から続く長寿企画。
去年は、5万通も届いたという。
愛されるのがわかる。
わたしもすっかり、ハマッてしまったから。


・孤独と、ひとりぼっち


ひととおり、「メールするからメールしてね」を楽しんだあと。
たまたま、「ほぼ日」のサイトを流し読みしていると、いまさら、「ほぼ日」のスローガンを知った。

「Only is not Lonely」

そして、それについて書かれているコラムで、つぎの文を見つけた。

つながりすぎないで、つながれることを知る。
こういう関係が、インターネットの上では、
リアルに感じられるかもしれない。
「ひとりぼっち」なんだけれど、
それは否定的な「ひとりぼっち」じゃない。
孤独なんだけれど、孤独じゃない

ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム (1101.com)


この「メールするからメールしてね」から感じたことと、おなじだとおもった。

携帯を見つめるじぶんは、「孤独」だ。
その「孤独」に押しつぶされて、息苦しいとき、ちょっとでも「だれか」を感じられたら。

リアルでつながる相手にメールするなんて、億劫で面倒でこわい。
そんなひとが、この企画にメールして、ちょっとでも「ふふ」とおもえる和みの時間をすごせたら。 

それだけで、悲しい「ひとりぼっち」は救い上げられる。
悲しまなくてもいいんだ、とおもえるようになるかもしれない。




来年も、企画がつづいてほしい。
ずっと、ずっと続いていって、ゴールデンウイークに携帯を見つめて「孤独」をかんじるひとの気持ちを、ちょっとだけ浮き上がらせてあげてほしい。

もちろん、わたしも。
ヒマなひとも、そうでないひとも、孤独に悲しみをかんじるひとも、なんとなくおもしろそうと思ったひとも。

気軽に送っていいんだって。
内容はなんでもいいって、書いてあったよ。

わたしも、もう一通送っちゃおうかな。
顔も知らない、どこかのだれかに。

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