![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139001796/rectangle_large_type_2_b0fae4ed225f629bfb3025fc6203ccb7.png?width=800)
初めてネパールの債務労働者に出会った時の衝撃
初めてネパールの元債務労働者に出会った時の自分の感情を忘れたくないから、以下、まとめました。
私は、ある財団に努めているのだが、「途上国で仕事とは言えない仕事をしている人のために雇用を生む」というミッションを与えられた。そんな「仕事とは言えない仕事をしている人たち」を探すため、私は、ネパール極西部(一番西の地域)にある元債務労働者の集落に行ってみることにした。
ダリットから差し出された水
2023年4月。インド国境近くの村。風は吹いているが気温は40度に近い。15人くらい集まってくれていた。歓迎されているのか、されていないのか良くわからない。みんな少し緊張した面持ちだった。ボリウッド映画の悪役として出てきそうな、いかつい強面の若者が気になった。
ネパールの債務労働者にはいくつか種類があるのだが、彼らはダリット(不可触民)かつ債務労働者にされた人たちだ。二重の苦しみを味わって来た人たちだ。このような田舎では、未だに、ダリットに触れたら金をつけた水で清めるとか、ダリットから出された水を飲んではいけないという慣習が続いている。
そんな彼らから私に、水が差しだされた。「あなたは私たちをどのように見ているのか」と、まるで私が試されているように感じた。
私にカーストなんて関係ないけど、こういう貧しい地域の井戸は、トイレからも近いし、浅い。下水は地下に染み込ませているから、下水と井戸水が混ざっているような気もする。
でも、私は、水が出されたら飲むことを決めていた。おなかを壊したくないから、一口だけ。鉄の味がしてまずかったけど、笑顔でありがとうと言った。同行してくれたネパール人は、バフン(最高位カースト)だったけど、彼も飲んだ。立派だと思った。
聞きにくいことを聞く
「仕事とは言えない仕事をしている人」を探している私にとって、彼らの過去と現在に、強い関心があった。答えにくい質問をしないといけない。
まず、村の人口や今の仕事など答えやすそうな事を聞いた。やはり、小作農として働く以外、ほとんど仕事がなく、成人男性はインドへ出稼ぎに行くそうだ。確かに、この村には成人男性の数が明らかに少ない。
ちなみに、こういう時に必要なのは、笑顔、頷き、そして真剣な眼差しだと思う。また、わからないところはわかるまで聞いて「あなたに達に関心があるんです」と、あえて伝えるようにしている。
今でも存在していた債務労働者
そしてある人村人が、若そうなのに背中が曲がった男性を指して言った。「この人は今も債務労働者だよ。」
一瞬、頭の中にはてなマークが浮かんだ。どういうことだ。16年前、当時のマオイスト政権によって、債務労働者は解放されたはずだ。でも、そうか、ここはネパール。政府によって決めたことも、こんな田舎の村では守られていないのはあり得る。特に、彼らはダリットとだから、行政からも軽く見られているのだろう。
今も債務労働者だというこの男性。もしかしたら30代かもしれないが、疲れ切った表情からかなり老けて見えた。労働中に足をケガしたらしく、片足を引きずっている。背中が丸まっていて、何かに怯えているような目線。彼の醸し出す雰囲気は、まるで飼いならされた動物のようだった。
債務労働のシステム
15年前に、この男性の父親が18,000ルピー(当時のレートで3万円くらい)の借金をしたそうだ。返済できずに、今日まで貸主の田畑で債務労働をしている。
貸主の田畑を耕したり、稲、麦、野菜を植えたり、収穫したりするそうだ。いくら貸主のために労働しても、毎月の利子の支払いと見なされ、元本は別に払わないといけないシステムだ。
貸主からすると、金を返せないんだったら、利子分だけでも働けという事だろう。この男性から、毎月の利子の支払い額について聞けなかったが、おそらく法外な金利なのだろう。
日本円にして3万円借りただけで、15年間も債務労働者として働いていると聞いて、私は愕然とした。そして、こんな社会不条理は許せないと怒りを感じた。
債務労働者だった家族のストーリー
次は、60代の男性が口を開いた。日焼けした顔に深く刻まれたしわが、これまでの苦労を物語っている。
「36年前に、自分はバジュラ郡からこの地に来た。子供が8人もできて、お金が無くなって、生活資金として5000ルピーほど借りたんだ。その後、12年間も債務労働者として働いたよ・・・」
と言ったところで、この男性は黙り込んでしまった。辛い過去を思い出して、話せなくなってしまったのだ。隣にいたお母さんが、泣きながら話を続けてくれた。
「債務労働者として働いていたころは、お金の貸主の田畑で働かされていたの。私たちはダリットだから、上のカーストの家の中には入れないから、家事を頼まれることはなかった。
稲、麦、野菜を植えたり、収穫したり、薪を集めたりした。上のカーストの人は、牛を使って田畑を耕すことを穢れとしているから、その仕事も私たちがやったわ。呼ばれたら働きに行かないといけなかった。その後、返済できなくなって、この土地から追い出されて、家族でインドへ行ったの。
インドで働いて、追い出された12年後に返済して、また、この地に戻ってきた。でも、この土地は自分のものではないから、いつ追い出されることか。」
前述のボリウッド映画の悪役のような若者が、その風貌に似合わず、今にも泣きだしそうな顔をしていることに気づいた。この老夫婦の子供だったのだ。
そうか、分かった。虚勢は張っていたのは、こういう家族ストーリーがあって、人から馬鹿にされないためだったのだ。
ネパールで何かをしたいが見つかった
もういいですよ。色々聞いてごめんね。話してくれてありがとうと伝え、肩を組んで写真を撮った。不可触なんて関係ないから。私はこの世界の不条理に強い怒りを感じた。
お金がなくて中東にすら出稼ぎに行けないこの村の男性は、インドに出稼ぎに行く。話を聞いてみると、インドでも底辺の仕事をしているようだ。「仕事とは言えない仕事をしている人」とはこういう人たちで、こういう地域で雇用を作るべきだと思った。
別に彼らのために何もしていないし、話を聞いて怒りを感じたけど、なぜか感動もしていた。
この20年間、ずっとネパールで何かをしたいと思っていた。それが見つかったような、点と点が線で結ばれたような気になった。カトマンズへ帰る飛行機が落ちても悔いはないと思った。
以上です。読んでくれてありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?