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どの子にも守られてほしい教育の機会〜ゆたぼん騒動から考える〜


ゆたぼん騒動


少し熱くなっていますね。

ものすごく、ものすごく大雑把に簡略化してしまうと、

中学生になる年齢だけれど通いません!という少年youtuberに対して賛否巻き起こっている中で、反対派の中に、「おい親よ!子どもに教育を受けさせる義務を果たせ!」という著名人勢がいると。

ゆたぼん自身ではなく、ゆたぼんの今回は父親に対しての批判があるという流れになっているように、私は感じました。

父親の言い分では、ホームエデュケーションの中で学習をしているし、youtuberとしての活動の中でも多くのことを学んでいる、と。

それに対して、ひろゆき氏は、

通学する中学生は一日5時間の授業を各科目で教員試験を通った大卒の教師が教えます。あなたの家庭では学校の代わりにどういった資格を持つ方が何人で1日何時間の教育をされているのですか?中学校と同等の教育なら問題ないです。まさか、何の資格も無い中卒の人が教えてるわけではないですよね?

といった具合に返信しています。

こうなると今度は、ゆたぼんが受け取れる”教育の質”の話題になっています。

ここから、「じゃあ学校教育の質は本当に素晴らしいのか?」という話題へも展開できそうで、今年の教育学部生たちのいいレポートテーマだらけです。

ゆたぼん本人の意向が、「学校に通わない」である以上、誰にも、無理矢理に彼を学校に通わせるなんて事はできません。本人の決断は尊重されるべきです。

ここでおもしろいなぁと思ったのは、賛否の両者陣営共に、方向性の違いはあれど、ゆたぼんの教育の機会を守ろうとしているのではないか、という点です。

その教育の場が学校の中なのか外なのかという大きな違いはありますけどもね。

この話題で、大人がわいわいがやがや騒がしいのは、「子供の教育の機会を守る為」だったりするのではないでしょうか。

(なに寝言を言ってんの?再生回数の為だよ?なーんて言われるととてもシュンとしてしまいますのでお控えください)


守られていてほしい教育の機会


ここで一旦ゆたぼん騒動の件は横に置いて。

すごくすごく最悪のケースを想定してですね。

例えば、親が子供のを虐待しており、学校になんて行ってほしくないご意向のご家庭だったとします。

子供は学校に行きたい気持ちがあるけれど行かせてもらえない。もしくは、親の意見に逆らえず、すっかり洗脳されており、学校へ行くという選択肢すら頭の中から抜け落ちている。

もしこういう子供がいたとしたら、教育だけではなく福祉の観点からも、すぐに親からの隔離の上、保護して欲しい対象です。

もちろん、日本においては幸か不幸か、進学率の高さから見ても、こういうご家庭はマレです。レアケースです。

ここまでひどいケースではなくとも、昔々、教科書に載っているレベルの昔の農村部では、「学校に行くよりも畑仕事を手伝え」という意向のご家庭は珍しいものではありませんでした。

当時は、親の仕事を子供が継承するということが普通でしたので、読み書き算数ができずとも、農家の子は畑仕事が、大工の子は大工仕事ができればそれで十分だったんですね。

貧困家庭に生まれたら一生貧困層のまま、なんてことが普通だったんです。

逆に、武士の家に生まれたら武士として、貴族の家に生まれたら貴族として、育てられます。

このように、移動ができない地位的な層のある社会ことを、階級社会と言います。それに対して、現在のように移動可能な地位的な層のある社会のことを階層社会と言うらしいっす。(違ってたらごめん)

階級社会に職業選択の自由なんてありやしません。職業を自由に選択したいと思ったところで、基本的な学びを受けていないんですから。

そこから寺子屋など庶民が学ぶ場が登場し、各藩校などの流れもある中で、日本で小学校の義務教育がスタートしたのは、19世紀頃です。

ちなみに、小中の9年間が義務教育となるのは戦後からです。

勉強をする事は、押し付けられていやいや知識を詰め込む作業ではなく、自分がより自由に、好きなように生きて行くための手段を身に付ける行為です。

現在の日本では、どの子供であっても基本的な教育を受ける権利があります。

その権利が、学校教育で守られていると感じる人は学校で学び、守られていないと感じる人は学校以外の場でも、もちろん教育を受けられます。

教育を必要としている児童生徒すべてに、正しく教育の機会が届いていることを祈ります。

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