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③エホバの証人の集会にパンチパーマ父ちゃんが【その3】

志田わらびです。

エホバの証人のこどもだったころの
おはなしです。
最初のころに猛反対をしていた父が
少しずつ、集会に一緒にいくようになった
前回の記事がこちらです。

父の家庭聖書研究は、順調に回を重ねていました。

それと同時進行でまわりの兄弟や姉妹たちからも
信頼を得て、
父は、模範的な研究生でした。
でした。でした。でした・・・。

のは、会衆の皆さんの前での姿です。
家での父は、
今までと何ら かわりがありませんでした。
たばこを吸い、酒をのみ、
パチンコに行って、
虫のいどころが悪かったら、
母に暴力をふるったり、私や弟にげんこつを見舞う、
いってみれば、私たちにとっては
デフォルトの父でした。

母は、そんな父の性格をよくわかっていたので、
集会のとき、父がよその兄弟や姉妹と
にこやかに話していると、
「ほれほれ、父ちゃん、またよそいきの顔でやっとるよ」
と茶化していました。
そして、家族だけになった帰り道の車内では、
母「あんた、ようそんだけ二つの顔を使い分けるなあ」
父「なにいっとるんや、このほうが、お前らも都合がよかろう!」
なんて会話をしたりして、途中、
そのころできたばかりのサークルKに寄って、
父はビール、
私たちは、なにかお菓子などをかってもらい、
家に帰ってから
「さあ!宴会をはじめるぞい」
といって、遅くまで飲んだり食ったりしていました。
このとき、いつも母も楽しそうに
父と だべっていました。
もー、ほんと、どんだけ~な夫婦です。

真面目にエホバの証人の活動をしていて、
学業に支障が出ていた二世の方には、
本当に申し訳ないのですが、
私の夜更かしの原因は、この、
「集会のあとの家庭の宴会の習慣」なのでした。
エホバの教えに反して、堕落した生活ですよね。
今でも家族全員が集まれば、
延々宴会です。
はあよ風呂入って寝んかい!

このようにして、
毎度の集会や、年に3回ほどの大会に
父も一緒なのが、家族全員なのが、
とてもうれしかったです。
まだ小さかった妹がうとうと居眠りをすれば、
母は、ムチをしていたけれど、
父は、抱っこしたり、膝枕したり、して寝かせていました。

たまに、よそのご家庭の姉妹の息子さんが
反抗期で荒れているなどのうわさを聞くことがありました。
そんなときに、
うちの父は、ときどき会うその息子さんに、
こっそり、ふたりだけのときに、
「お前もタバコ吸うか」
と、言ったそうです。(未成年に喫煙をすすめる極悪人)
でも、その息子さんは、
「吸わない」と言い
「話せばとてもまじめでよいこやったぜ、
だけどなー、おれもあんな母ちゃんやったらぐれるぜ。
だってよー、ちんこのケー生えてくるのによー、ムチで尻でたたかれてみ?
どう思う?」
が、父の言い分(息子さんの言い分かな)でした。

エホバの証人の二世のお兄さんたちの中には、
高校進学をあきらめている方もたくさんいました。
海老名にある、ベテルというエホバの証人の本部の大きな施設の建設に
たずさわるために単身で奉仕にいったり、
メカが好きな兄弟は、自動車整備関係の仕事に就いている方もいました。
父とその兄弟たちは、車やバイクなど、男子同士の話でも
盛り上がっているみたいでした。
そのあたりは、
私は、まだじゃりン子の女子でしたので、
大人の男子の会話は参加できませんでしたけど。

父は、どっぷり研究生になったかのように
見えましたが、
心の芯の部分では、どっぷりとは浸かっておらず、
知れば知るほどに、
その矛盾や、組織の内部で苦しんでいる人たちに目が向いていったようです。

父の家庭聖書研究も、じきに終わりを告げることになりました。
そのときのおはなしは、
また、次回以降に書きたいと思います。
👉👉👉
To be continued 😃😃😃

最後まで読んでくださって
ありがとうございました。


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