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②エホバの証人の集会にパンチパーマ父ちゃんが【その2】

志田わらびです。

エホバの証人のこどもだったころの
おはなしです。
最初のころに猛反対をしていた父が
少しずつ、集会に一緒にいくようになった
そのつづきのおはなし。
前回の記事がこちらです。

父ははじめのうちは、
様子を見に来ているような感じでしたが、
だんだん深く勉強するようになっていきました。
「おれにも本くれ」
といって、自分専用になった書籍を読みながら、
聖句をひいては、本に線を引いていました。
父の聖書は、表紙はねちょねちょ、
本の断面のところは、オイルで黒くなっていて
けっこう激しく読んでいるのがうかがえました。
私とおなじ、火曜日の本と、日曜日のものみの塔という小冊子と
聖書です。
そのほかにも、書籍はいろいろありましたが、
父は、「そういうのはいらん」
といって、集会のときに使われているものだけ
チョイスしていました。
きっと、妻と子供たちがどういうことをしているのか、
集会の内容を知るために、そうしたのだと思います。

父がもともと勉強が好きな人なのは、
知っていました。
生い立ち、境遇から、
勉強したくてもできない、ザ・昭和のこどもでした。
自分の父をほめていても仕方ないですが、
父は、とても頭がよい人です。
はちゃめちゃな人生で
刹那的に生きているように見えて、
最後足を踏み外さないのも、
頭がよくて、理解力があったから、
それが仕事にも活きていたのだと思います。

つづいて父は、集会にいくときに、
カッターシャツにネクタイをしていくようになりました。
パンチパーマにオイルまみれの真っ黒な手
普段はつなぎ服と安全靴の父が、
集会の時は ぱりっと着替えて、
にっこーっと笑っていました。
ネクタイピンとネクタイの組み合わせも
こだわっていたし
ネクタイピンを差す位置も決まっていました。
ときにはカフスボタンも登場していました。
ネクタイの結び方もシャキーン!としてとても上手でした。
カッターシャツの首回りのサイズも緩いのはだめで、いつもジャストフィットの襟でした。
黒い革靴も、靴磨きセットでぴかぴかにしていました。
仕事のときの父は、油まみれの”父ちゃん”でしたが
集会のときの父は、さわやかな”ご主人さん”でした。

今こうして書いていてその時の父の様子を思い出すと、
父は、生活のONOFFのメリハリを
楽しんでいたのかもしれないなと思いました。
エホバの教えを信じていた、というよりも、
いつもとちがう世界に行って、違う自分を楽しむ、みたいな。
「そんな たわけたこと 考えとりゃせんわ!」
きっと本人はそう言うと思いますが。

そんな父ですので、
おおまかな教えの内容も習得するのに時間はかからず、
会衆のみなさんとのお話にも花がさき、
組織に和やかになじんでいきました。

そんな、男性を兄弟たちが放っておくでしょうか。
答えは否です。
なんとしても、
本気になってもらわねばなりません。
目指すはバプテスマ!
そうして
父の家庭聖書研究が始まりました。

父の指導者は、会衆のなかで、いちばん代表の
長老兄弟です。
普段、偉い人すぎて、話もできないくらいの
長老が、毎週うちにやってくるようになりました。

父は、研究生になったのでしょうか!!!!!

o((⊙﹏⊙))o.


このつづきは、
次回以降のどこかでまた読んでいただけましたら
幸いです。
👉👉👉
To be continued 😃😃😃

最後まで読んでくださって
ありがとうございました。


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