検査薬で陽性が出た時の旦那さんと私と、それから化学流産の話

タイトルでも書いたとおり、結果的に化学流産してるんだけどね。ちゃんと育つことができたら1月生まれだった。そんな我が子と旦那さんとそれから私の話。

男の子か女の子か分からないままのさようならだったけど、心の中で睦月って呼んでたりする。だって1月生まれの予定だったから。




私はもともと生理不順で、生理予定日を遅れることもたまにあった。あの時も、ああまた遅れてるなぁとしか思わなくて。ただ、その2ヶ月前から生理不順の漢方薬を飲んでいるのにもかかわらず、1週間以上も遅れていることに違和感を感じて、検査薬を手に取った。

結果、うっすら陽性。


薄くても濃くても、陽性は陽性らしい。私は飛び上がって、嬉しくて、主語も述語もめちゃくちゃになりながら旦那さんに伝えた。けど、予想に反して彼はあっさりしていた。喜びの表情がすこぉし顔に乗っているような気がしたけど、それは私の願望だったのかもしれない。「おめでとう。やったね。」と言われた。いやいや、あなたの子だよ。と心の中でツッコミをいれた。

おめでとうって。それ、第三者が当事者に言うやつじゃないの?あなた当事者やん。みたいな。すごくすごく不安になったことを覚えている。喜んでる私がバカみたいな。(お医者さんに言われるまで、本当に妊娠したかどうかわからないから大喜びできないと思ったらしい)


翌日病院に行ったら、まだお腹の赤ちゃんは小さすぎてエコーでは何も映らなかった。翌週あたりなら見られるはずだとお医者さんは言った。そして、「おめでとうございます」とも言った。私は妊娠を確信したし、心拍を確認できたら両親に伝えようとわくわくしていた。旦那さんもここまですれば妊娠したことが本当だって信じてくれると思った。

この時、緊急事態宣言下で仕事に行くにも外出するにも、お腹の赤ちゃんに何かあったらと、とても気を遣っていた。赤ちゃんの名前の付け方のサイトを見たり、両親になんて伝えようとか考えて、頭の中は四六時中お花畑。幸せな時間でもあった。胸が張っていて初めての痛みに、妊娠すごい!だなんて思ってた。

旦那さんもお医者さんにかかってから、少しずつ嬉しそうにしてくれるようになって、それもすごく嬉しかった。子ども欲しいって言ってたけど、本当は嘘なんじゃないかと思った。


病院へ行ってからもうすぐ1週間、そろそろエコーで赤ちゃんが確認できるよと言われていた日の朝、起き上がることができないほどの腹痛に襲われた。嫌な予感がした。トイレに駆け込むと、大量の出血をしていた。今までのどの生理よりも大量の出血で、ナプキンが血を吸いきれないほどだった。これはやばいと背中が寒くなった。

病院に行った。お医者さんは「残念ですが…」とお話始めて、その後何を話していたのかこれっぽっちも耳に入らなかった。後で検索をして、化学流産のことを知った。15%の確立で起こる自然淘汰だという。誰も悪くないという。

不思議にも涙は流れなかった。ひとりでは。

旦那さんが帰ってきて、やっとわんわん泣けた。誰かがいないと泣けないこのかんじ、初めてだった。


すごく自分を責めた。
生理不順を放置したこと、ピルの服用を勝手にやめたこと。よくわからないことも何かと関連付けて、自分が悪いんだって罵った。周りの友人妊婦たちのSNSが見てられなくて、死ぬほど辛くて、SNSを一部封印した。シングルマザーの義妹に、会うと毎回私たちの未来の子どもの話をする義母に、死ぬほど会いたくなくなった。会う顔がなかった。「どうも、あなたの息子の子を身篭ったのに産めなかった嫁です」とお笑い芸人のブラックジョークのような挨拶が頭をよぎっては、吐きそうになった。そして、コロナ禍だということに心底安心した。実両親も義母にも会わない理由が、会えない理由があるからだ。



あの頃を振り返ると、天国も地獄も行ったことないけど、どちらもいっぺんに体験したみたいだった。文字通り幸せの絶頂から、不幸のどん底までってやつ。

今、ちっとも落ち込んでいないわけじゃない。大丈夫なときもあれば、時折、地面の隙間からするりと伸び上がってきた悲しみに足どころか全身を捕らえられることもしばしばある。



けど、睦月が教えてくれたことがたくさんある。たくさん残ってる。

食事は毎日三食きちんと食べなきゃだめだよってこと。カビの生えやすい家から引越ししなよってこと。お風呂にはときどきでもいいから湯船に浸かること。自分の体を大事にすること。子どもが欲しいなら収入面を考えなってことや、私の体は妊娠できるんだよってこと。子どもを授かりたい→子どもを一時的に授かった、と変化して、思考は転がるように変化した。(睦月、これは成長したと言ってもいいかな)このままじゃだめな部分、キープしたい部分、いろんなことが見えるようになった。

こうして文章にしたら、なんだか睦月から宿題を出されているみたいだ。

旦那さんが私たちの化学流産から、睦月から、何を感じたのか、何を学んだのか、私はまったく知らないけど、小さすぎてエコーにも映らなかった命が存在していたことをちゃんと覚えていてほしいな。

私と旦那さんが口を閉ざせば、なかったことになりかねない小さな命。大きな声をあげること、この事実を知り合いに伝えることはあまりにもまだハードルが高すぎるから、noteの世界の片隅に小さな命の証を残しておこう。

睦月、また会える日を信じてる。









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