20311

※実話に基づいたフィクションです

2003年

オンラインコミュニケーションの新たな形態として
従量課金なし リアルタイムチャット +音声通話
の可能性が世界中で広がり

同時期にそれまでコンシューマー型でしか展開できなかった
ゲームが数千人の同時接続ができるようになり

それらの奇蹟的な組み合わせで
mmoRPGは全盛期を迎えようとしていた。

ゲーム好きにとって夢にまでみた世界であり、
若くて感度の高い若者のうち
ITリテラシーの高い者たちが
大量に流れ込んでいた

現在吹聴されているメタバースという概念
そしてそれらに群がる者たちは
当時のそれらを十分に味わう事なく
そしてそれらの限界を肌で感じたことのない
センスのない者たちが、飛びついているだけにすぎない

本当の問題点は技術的な要素ではないことを彼らは理解できず
金儲けのブームが去ったら、いつしか彼らは主張を引っ込め身を潜め

そしてようやく本当に心とセンスがある者が
再度十年後に今とは全く次元の違う本物を世に普及させるだろう

その頃、かの博之氏が立ち上げた2chもまた
「電車男」などが生み出される直前の
2ちゃんねるの独身男性板(通称毒男板)に、2004年3月14日21時55分に「731」により投稿された一見何気ない書き込み(749)が、物語の発端
全盛期を迎えようとしており、


各界隈には、「晒しスレッド」なるものが乱立していた

例えば、「〇〇厨」とかはそこで生まれたものだったりする

motoki20311

彼はそのワールドで 最も晒されている男の一人だった。

またPKされたわ
厨房だろあいつ
本人ですか?^^
タヒねよ厨

毎日のように晒されている彼は
2鯖に常駐していた

2サーバーは プレイヤー同士攻撃しあうシステムがONになっており
いつでも誰かを攻撃することができた。

ただし、理由なく相手を殺すと自動ペナルティーが課され、
キャラが赤く染まり、狩りができなかったり買物ができない等の制限がかかる。

プレイヤー・キル 
PKピーケーと呼ばれていた。

運営はPKについてマニュアル内で上記を淡々と説明するのみで、
その目的や使い方を一切説明することはなく、

プレイヤーたちの判断・自治に委ねられた。PKの使われ方は

放置プレイヤーをシバいたり
仲間同士でじゃれたり
力比べだったり
狩場を奪うだったり。
ギルド同士が報復したり抗争したり

だが、運営は介入をできるだけ避ける姿勢をとっていた。

今の運営だったらどこもそういった仕様をわざわざ入れることはしない。

それは、「金儲けにつながらず」「めんどくさい」からだ。

PKのような仕様があると、
当然のように、運営には苦情や要望が山のように寄せられる。

攻撃されました!
あのプレイヤーをBANしてください!
どうなっているんですか!

そういった膨大な面倒を抱えつつも、仕様は変更されることなく、
無法地帯をあえて助長するような仕組みがあえて導入されていた。


motoki20311 
彼は、毎日のように誰かをPKして赤く染まっていた。


そのころ、ギルドの解散と再編で、
僕たちはメインサーバーを2鯖に引っ越しすることになった。

motoki20311 たちとはそこで出会うことになる


彼らがたむろしている「PK広場」でギルドメンバーとくつろいでいると、


motoki20311「ヤルカ?」

彼はなぜか、半角カタカナでチャットを送ってきた。

一言だけいうと、突然切りかかってくる。

応戦して彼を血祭りにするが、5回に一回くらいはやられる。

motoki20311「5-1」

5対1 ということなのだろう と理解した。

2鯖に引っ越ししてからは
週に1~2回 彼と遭遇し、
こんな感じでコミュニケーションをとることになった。

他にも晒されている「厨」はたくさんいたが、
彼は他とは全く違う気配がした。

彼が「厨」の中でも最も晒され、最も批判されているプレイヤーであることは間違いなかったが、

よく観察していると、彼はちゃんと相手をみているし、状況を理解しているし、何より彼が攻撃するプレイヤーにもパターンがあった

皆が知る有名人の例でわかりやすくいうと、

タイソンとか朝倉未来

彼らも若い頃、無法者のようでいて、実は戦う相手や理由に法則性がある

そして、彼がトラブルを起こす相手の共通点は
自分から見ても、相手側に隠れた問題

上手くやっているように見えて、
卑怯だったり、自分勝手だったり、ヒステリーだったり、上位のルールを理解できなかったり、徒党を組んで気が大きくなったり、弱い相手に態度がデカかったり、頭が異常に悪かったり、異常に性格が悪い、粘着質など

と、いうことが多々あり、

多くの場合半年~数年後に、それが露見して
ギルドを追放されたり、2chで晒されたり、仲間割れしたり

つまり、より悪質度の高いプレイヤーであることがとても多かった。

彼は無言で攻撃するか、あるいは半角で「bye」とか一言だけ

だったので、誤解され、真の意図がわかりにくく
多くのプレイヤーはそれをくみ取れずにいた。
motoki20311も、あえて分かる奴だけわかるようにそうしていた。

僕ら数人は、1か月もすると彼の隠れた意図と行動パターンに気づきだした。

彼はある日突然にギルドメンバー申請をしてくると、
motoki20311「ok?」 と一言だけ。

これが照れ隠しであることはギルドメンバー全員で理解し、
即OKすると、ギルメンの洗練が始まった。

「誰だよこいつ 笑」
「半角直して出直してこい」
「わからせてやるからPK広場来いよ」

motoki20311「2鯖ok?^^」

もちろん、これはよくやっていたイジリで
彼はいつの間にか少し下の世代の高校生たちから
イジラれキャラとして受け入れられていた。

彼がギルドメンバーになってからは、
それまでが嘘のように2chに晒されることが一切なくなり、

「motokiあいつどしたん?」
「中の人変わったんでね」
と不思議がられていた。

その頃ギルドのチャットでは、

上手くやっているように見えて、
卑怯だったり、自分勝手だったり、ヒステリーだったり、上位のルールを理解できなかったり、徒党を組んで気が大きくなったり、弱い相手に態度がデカかったり、頭が異常に悪かったり、異常に性格が悪い、粘着質など

ほぼ全員がこういったプレイヤーをかぎ分ける力を有しており、
何かがあるとすぐに共有されていた。

彼はPKで示す必要がなくなったのだ。

自分ともう一人別格で強いプレイヤーがいたことにより、
彼にとっても納得できる強者が常にいること、
彼と同格かちょっと弱い後輩がたくさんいて
ちょうどよい感じで遊ぶこともできたし、いじられつつも懐かれていた。

その後も彼はギルド内の中堅プレイヤーとして
楽しみながらも活躍してくれた。



1年経った頃、ふと彼の名前について聞いてみたことがある

自分「そういやさ、motokiは本名 0311は誕生日。OK?」
ギルメン1「笑」
ギルメン2「わかりやす!」
ギルメン3「www」
ギルメン4「個人情報だだ漏れ乙^^」
….
motoki20311「 」

自分「んで2はラッキー2で好きな数字かな」

ギルメン5「安易スギルダロ」
ギルメン3「センス0wっわうはwwwをkww」

motoki20311「 」


別のある日

motoki20311「クン〇〇大学?」
自分「ンダ」
motoki20311「オナジカモ」
自分「遭遇してるかもしれんな!」


そこから2年経ちギルドは有数の強さになり
プレイヤー単体としても全体で頂点といえるところまで到達するが
いつぞやに書いた理由により崩壊の予兆を感じた自分は
mmoをスパッと引退した。

その際、引退式みたいなことだとか仄めかすことをせず、
突然いなくなることを選択した。
誰もが来たい時にきて、そうではないときは来なくてよい。
かまってちゃん的なことをしないということがギルドの流儀だったから。

ギルメンは新たにギルドを作ることもなく
主のいなくなったギルドをそのままに残したままに

新天地を求め
レムリアからアトランティスに引っ越したと聞いた。

10年後ログインしてみると、ギルドや在籍していたプレイヤーは全員
まるで崩壊した文明の遺跡のようにそのままに残っていた。

それが最後の彼らとの思い出だ。


これを書いたのは思い出話をしたかったから ではない。

motoki20311 

20311


0311

そう、あの大地震3.11との関連が

20年の時を経て突然頭をよぎったからだ。

なぜ 今まで気づかなかったのか?

20311  というのはかなり特徴的なプレイヤーネームであり、
ありふれた数字というわけではなかった。


戦慄を覚えるとともに、 彼の痕跡がないか調べることにした

大学名 
20311

すると、すぐに彼らしき人物を特定できた

彼は医師になっており、高校も日本で名の知られた有名校だった。

やはり彼は、当時2chで言われていた厨などではなく、
卓越した頭脳と感覚を持った 人間であった。

運営はPKについてマニュアル内で上記を淡々と説明するのみで、
その目的や使い方を一切説明することはなく、

プレイヤーたちの判断・自治に委ねられた。

こういった場は、 各人の持つ
本当のモラルや道義が偽善が試される。

何が正義で何が悪か
何が権利で何が自由か

初期のMMOという壮大な実験場で
彼がとった行動は、モラルや道義が偽善といったものに対する
彼なりの問題提起であり、
隠れた腐敗臭をかぎ分けるカナリヤであったのだ。


つきとめた彼らしき人物の痕跡を辿ると、

15年以上にわたり毎週フェイスブックを更新し続けていることが分かった。
そこには空白の期間が2年ほどあることが分かった。

それが、 2010年夏~2012年夏
2011.3.11を跨ぐ2年間
彼の更新はピタリと止まり
2012年からは何事もなく、何の報告もなく再開して現在に至っている

そして、彼の論文の番号が「20311」

その番号は、大学全体を通して、発表の順番に発行されるものであり
彼が自由に選べる番号ではない
ことも調べて分かった。


彼は 3.11と関係している
彼は 何かを知っている

なぜ自分は彼と出会い
なぜ20年後の今それに気づき
彼もまたこれに気づくかもしれない

人生の不思議な偶然とルート
運命は何を示すのか

続きがあればまた書こう


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?