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Journey×Journey.3 進藤雪見の冒険

高校生の頃、父の仕事の都合でドイツの首都ベルリンに住んでいた。ベルリンだけではなく、ライン河流域のデュッセルドルフやドルトムントにも多くの日系企業が進出し、日本人学校も多くあったが、両親はインターナショナルスクールに通うことを勧め、私もこれに賛成した。そのハイスクールは世界各地からの留学生も積極的に招き入れ、講義だけでなく、生徒と交流しているだけで多種多様の文化と価値観を学ぶことができた。休憩時間も放課後も全てが有意義な授業であった。

その高校時代が今の私の大部分を形成していると私は思う。ラディカルで闊達な校内において、イジメや差別に準ずる卑劣な行為が入り込む隙はなく、皆、学校生活を謳歌していた。その分、クラスや学校で存在感を示すのは容易ではなく、そもそも他のクラスメイトのように優秀ではなかった私は人一倍の努力が要された。人と違う知識や意見を取り入れることに必死で、不相応に難解な書物に手を出し、哲学的なフランス映画に挑み、ブラスバンドのクラブ活動の他に、母にシャドーボックスと茶道を習った。そういった類いのぎこちない努力は一部においては実を結び、他方、本来、持って然るべき自分らしさというものを損なわせた。確かに、同級生や教師から一目を置かれ、厳格かつ高潔な両親にとっても恥じることのない自慢の娘だった。けれど、同時に私は誰にも甘えることできず、素直でいられなかった。10代の女子であれば誰でもくぐるような門ではあるけれど、私にとってその門は重く、厚かった。

本当の自分であればあの夜、私は遼の誘いを断っていただろう。けれど、あの時、私にはそれができなかった。そして、それがきっかけとなって今このような形で深い影を落とすことになるなんて思いもよらなかった。

ベルリンの街と遼のことを思い出したのは、マイクが野菜だけを挟んだケバブを食べながら「俺もベジタリアンなんだよね」と初めて明言したからだ。口元にはケチャップがついていて、指もベトベトだった。テーブルの上にはキャベツや玉ねぎの切れ端がこぼれ落ちている。私は相変わらず不器用なマイクを温かく、苦笑う。

遼は高校の同級生だった。しかし、クラスは違ったし、日本人の生徒は他にも大勢いたので特に気にするようなこともなかった。遼に初めて話しかけられたのは夏休みに入る直前の放課後の図書館だった。

「みんな、これから夏休みで浮足立ってるっていうのに、進藤さんは勉強?」

その皮肉めいた軽い調子の遼に私は構えた。

「デカルトなんてよしたほうがいいよ」

遼は私が手に取っていたデカルトの本を指差して、言った。

「そういうのを読むなら、ハイデガーはどう?まあ、ハイデガーにしたってちんぷんかんぷんなんだけど」

同じ棚に陳列されていたハイデガーの『存在と時間』に手をやった。

「それにさ、もっと俺たちに見合ったものと言うか、高校生らしいものがあると思うよ」

遼は一度取り出した『存在と時間』をすぐに棚に戻し、

「例えば、カリー・ヴルストとかさ」と、言った。

「あんまりこういうの食べないの」とカリー・ヴルストを食べながら、私は言った。思わずそんなことを口走ってしまった私はすぐに後悔した。本当のことではあったが、いかにも気取った発言のように聞こえてしまうかもしれない。

「さすが、お嬢様ですね」と遼は言った。案の定だった。

「でも美味しい」
 
これも本当のことだった。でも、「でも」は不要だった。

「だろ?ここは一味違うんだよ」

カリー・ヴルストはドイツの大衆的なファーストフードで、焼いたソーセージにケチャップとカレースパイスをまぶしただけのシンプルな料理。そこかしこで見かける軽食スタンドであったが、私はそれまで手をつけずにいた。でも、ずっと食べてみたかった。

「勿論、扱ってるソーセージは店によって違うんだけど、手の込んでる店はケチャップやスパイスにもちゃんと気を遣ってて、店によってそれぞれ秘密のレシピと配合があるんだ」

遼はベンチに座りながら、得意気にそう言った。単に同級生というだけで私は彼のことは全然知らなかったけれど、傍目で見る限り、こういうタイプであるようには思えなかった。もっと近寄りがたい、庶民と一線を画すことに積極的な都会派の印象だった。少なくともソーセージをぱくぱくと食べながら、嬉々とするイメージはなかった。

「こんな単純な中にも秘密めいたものが潜んでるっていうのが好きなんだ」と、彼は嬉々として言った。

それから間もなく学校は夏休みに入り、しばしば遼と街に出かけるようになった。幸いなことに、彼は眠気を催すようなフランス映画に興味はなく、ウディー・アレンやラッセ・ハルストレムなどデート用に仕立てられた映画を趣味よく選択した。映画を観終わったあとにはいつものスタンドでカリー・ヴルストを食べたり、それと同じくらいドネルケバブを好んで食べた。ケバブもまた、ずっと食べてみたかったのにも関わらず、手をつけられずにいた。

「一年半もベルリンにいながらケバブを食べたことないなんて、信じられないな」と遼は呆れた顔で言った。「一体、普段何を食べてるの?」。鶏肉の他に、トマトやキュウリ、玉ねぎとレタスや紫キャベツがたっぷり挟んだケバブを、口をいっぱいに広げてかぶりつき、口元についたケチャップやマヨネーズを拭いながら私は答える。

「何を、って別に普通の家庭料理。ご飯に、お味噌汁に、煮物に、焼き魚に。うちは両親とも日本食一辺倒なの。もう15年もここに住んでる遼の家庭とは違うのよ」

こうやってドイツの若者のようにケバブを上手に頬張る自分を清々しく思った。両親はこんなふうに大口を開ける私をこの先もきっと見ることはないだろう。

夏休みに入って急に外出が増えたことに対して、両親は特に何も言わなかった。厳格な両親のことだから、娘の行動の変化に過敏に反応してくるかもしれないと予期していたが、杞憂だった。それが示すのは多感なティーンネイジャーである私への懐柔策などではなく、単に全幅の信頼を寄せているだけということを理解していたし、裏を返せば、今の状態を保持さえしていれば支配的な干渉はないだろうということだった。今の私にはそれを器用にこなしながら、こっそりと秘めてきた憧れを少しずつ解放することができる。カリー・ヴルストもウディー・アレンもその一つだ。

けれど、何よりも、私は恋をしてみたかった。

「ユキミも僕と一緒。そうでしょ?」

「そうね」と言って、私はマイクと同じケバブを小さく齧った。ピタパンに挟まれたたっぷりの野菜はとても瑞々しく、シャキシャキしていた。マルチカルチャーな国であるオーストラリアは世界中の野菜や果物を豊富に揃えており、店によってはオーソドックスな具材の他に、相性のいい野菜をオリジナルで付け加えている。この店にしてもそうで、クレソンとほうれん草をセンス良く合わせていた。

「クレソンとほうれん草、意外と合うね」

「胡麻のペーストとの組み合わせがいい」

「この店にはよく来るの?」

「うん。僕にとって、メルボルンの中で一番、落ち着く場所だ。デートで使う店じゃないのはわかってる」

「そうかしら?」

デートは落ち着いてするものだ。

「すごく落ち着く、ここ」

マイクの前だと、不思議なほど、本心ばかりが口に出る。

遼と交際に至るまで、それほど時間はかからなかった。高所から垂直に降下していくアトラクションのようにすとんと遼に恋に落ち、初めてキスをした時に「これって付き合ってるってこと?」と聞いた。この手の質問が一部の男の子にとって嫌がられることであるのは承知しているつもりだったし、遼はおそらくその範疇に入るだろうと思っていたが、「そういうことだね」と言って、あっさりと承認した。その拍子抜けするくらいの即答を丸ごと真に受けて歓喜するほど私は無警戒ではなく、軽い調子で遊ばれるのではないかと不安にも思ったが、彼がそう言う以上、私はそれを信じるしかなかった。それに仮に私のことが遊びだったとしても、遼と一緒にいられるのであれば、それはそれでかまわないとすら思った。盲目的と言えば盲目的で、純粋と言えば純粋で、愚かと言えば愚かだった。

その夜を境にして、私たちはより精力的にベルリンの街に繰り出すようになった。ベルリンは活気に溢れていた。自分が住んでいる街の夜がこれほどまでパワフルにみなぎっていることを初めて知り、戸惑ったくらいだ。

「ベルリンの壁が崩壊して、まだ25年しか経ってない。言わば、ベルリンは成熟していない青年のような街なんだよ。思春期の真っ只中ってわけ。そう考えれば俺たちと一緒だな」と遼は私にそう喩えた。

「だから、この街の青春を求めてヨーロッパ中から若者たちが続々と集まってきてる。ミュージシャン希望だとか、駆け出しのアーティストだとか、バックパッカーだとか、そういった夢見る連中がさ。アメリカンドリーム全盛の一時期のニューヨークのようだ、って表現する識者もいるくらいだ」

彼はそんなベルリンという街の在り方を肯定的に見ているのだろうか、それとも逆なのだろうか。

「きっとこれからもっと変わっていく。ロンドンやパリに取って代わって、ヨーロッパ文化の震源地になっていくだろうな」

遼の話を聞いていて私自身は胸が高鳴った。ベルリンが変貌を遂げていくとともに、私は私の人生を広く、高く展開していくのだ。できれば、国際的なスケールの中に身を投じていたいと私は淡く思う。

遼は他にも私の知らないことをたくさん教えてくれた。この国が辿ってきた血なまぐさい戦いの歴史や、1990年のワールドカップ優勝時の熱狂、世界を牽引するテクノミュージックとアンダーグラウンドシーン、洗練されたカウンターカルチャー。そういった話のほとんどは私が積極的な興味を示す類いのものではなかったけれど、自分の知らないことを知るというのはシンプルにエキサイティングであり、私の窮屈な世界は反動的な広がりとともに光沢していくように思えた。

「今度、友達がパーティーをやるんだ。一緒に行かないか?」と、遼に誘われたのは夏の半ばの頃であった。

正直に言って、私は遼についていくだけで精一杯で、彼の幅広い交際範囲の中に入っていくのには気が引けた。遼と付き合っているというだけで肩肘を張っている自分を自覚していたし、加えて彼の友人と交わるということはガールフレンドとして私はさらに無理な装いを重ねることになる。それは容易に想像できるシチュエーションだったし、そんなふうに頑張っている私を遼は見抜くだろう。そう思うと一層、気が進まなかった。

「誘ってくれてありがとう。でもあんまり遅くなるとまずいから」

結局、そう言ってその誘いは断った。

「そっか。残念だな。友達に雪見を紹介したかったんだけどな」と、彼は言った。その少し気を落とした顔に私は申し訳なく思う一方で、嬉しくもあった。自分はちゃんと求められているんだ、ということを遼の表情から感じ取ったからだった。私は彼のことが好きであると同時に、認められたいという気持ちを強く持っていた。クラスメイトや教師、両親に向けていたものを恋愛においても適用していた。自分にとって「好き」という感情の重心にあったのはそうした承認欲求だった。盲目的に、純粋に、そして、おそらく、愚かに。

早々にケバブを平らげてしまったマイクはスマートフォンをいじりながら、私が食べ終わるのを気長に待っている。時折、上映中の映画の話や、世の中が騒いでいるゴシップスキャンダルを取り上げて、会話を持とうとするが、そうしたトピックたちはシャボン玉のようにすぐにぱちんと弾けた。そうしてまたスマートフォンをいじるのだ。

ちっとも落ち着いてなんてないじゃない?、と私は思う。
ここはあなたのホームグラウンドなんでしょ?

クラスメイトのマイクがおどおどしながら声をかけてきたのは半年前のことだった。クラスでもとりわけ大人しく、目立たない存在のマイクに誘われたことにびっくりした。私にしてもクラスでは誰とも絡まずに、授業が終わったらアルバイトに直行するというストイックな生活を送っていたので、クラスメイトのほとんどは付き合いの悪い陰気な日本人、としか思ってるんだろうなと見当していた。

「今度の日曜日なら大丈夫」

そう答えた自分にも驚いた。

日曜日、最初のデートはスターバックスだった。

「こういうところの方が落ち着くから」と、マイクは言って、落ち着く素振りもなく、フラペチーノの上に盛られたたっぷりの生クリームをストローで掻き回していた。

会話をうまく切り出せないマイクを見かねて、私の方が熱心に話題を提供した。例えば、上映中の映画の話だったり、世の中が騒いでいるゴシップスキャンダルだとか、できるだけ当たり障りないものを。

「ユキミはいろんなこと知ってるんだね」

そう言ったマイクに私はがっかりした。

けれど、日曜日のスターバックスでのデートはそれからも隔週のペースで続いていった。きっと私は求めていたんだと思う。上映中の映画の話だったり、世の中が騒いでいるゴシップスキャンダルだとか、そういうのを気兼ねなく話せる時間と相手を。

しばらくの間続いていたその慎ましいデートもやがて卒業し、外で食事をするようになった。マイクはいつも小洒落たレストランをチョイスし、行く先々でそわそわしていた。

「今度はもっと気楽なところにしようよ」と言うと、

「じゃあ、ユキミがボリビアから帰ってきたら、メルボルンで一番とっておきの店を紹介するよ」とマイクは張り切っていた。そうして連れてきてもらったのがこのお店だ。サルテーニャもケバブも同じようなものだが、確かにクレソンとほうれん草が入った野菜ケバブは絶品だった。
 
私が食べ終わると、マイクはスマートフォンをポケットにしまい、「これから12人の使徒を見に行こう」と言った。

その日もいつものように映画を観たが、それまでと違ったのは見た映画の内容だった。ドイツの気鋭の新人監督が撮ったというその映画はサイキックで凶々しく、無軌道な暴力と性の描写が延々と続いた。私は不快感を必死に抑え込みながら、どうにか席を立たずにエンドロールを迎えることができた。ストーリーは脈絡なく縦横無尽に散らかって、意味のわからない造語も多く、テーマは最後まで不透明だったが、近未来を舞台にしたその映画が現代の管理社会に対して放たれた痛烈な皮肉であり、極めて挑発的な風刺であることは理解できた。そして、退廃と破壊への欲動は色濃く、率直に表現されていた。

映画を観終わったあと、マクドナルドに入った。私はアイスコーヒーを注文し、遼はビッグマックのセットを頼んだ。

「食べないの?」と、フライドポテトを食べながら遼は尋ねた。

「うん、お腹空いてないから」

「疲れた?」

「少し」

「ごめんね、俺の趣味に付き合わせちゃって」

「新鮮だった」と、私は答えた。嘘ではない。

「そっか。それはよかった」

「ああいうの好きなの?」

そう尋ねると、ストローを咥えながら、私を一瞥し、

「好きだよ、ああいうの」と返答した。

ポテトを半分くらい食べ終えると彼はビッグマックを手に取って、大きく齧りついた。私はどうしてかその様子から目を背けた。映画に関して、別の角度から他の感想を述べようかと思ったが、遼に届くような見解は見当たらなかったし、逆に彼がどういう感想を持っているのか聞くのも憚れた。その答えには私の望まないものが少なからず含まれているのは間違いなかった。

遼はどこか上の空で、私をよそに他のことを考えているようだった。あれこれ詮索をしたり、距離を推し測っている自分がひどく虚しいものに思えたが、かと言って、どうすることもできなかった。

「この前行った友達のイベントのことだけさ、あれ、今日なんだよね。俺、これから行こうかと思ってるんだけど、雪見はどうする?やっぱり、来ない?」

その誘いに私は逡巡した。気違いじみた映画に私はぐったりしていたし、こんな調子で遼の友達に会うというのは一層、躊躇われた。けれど、映画を通して彼がおそらく求めた共感は少しも分かち合えず、その期待はずれの私に少しがっかりしているように見えたし、その上、さらにパーティーまで断れば彼はどう思うだろうか、と懸念した。結局、好奇心も遊び心もない退屈な女、そう思われてしまうのではないだろうか。遼がどこか上の空で、何となく素っ気ないのもきっと私のせいなんだろう。一度、アクセルを踏んでしまうと疑心と不安は雪だるまのように転がりながら膨らんでいき、コントロールできなくなった。映画がもたらしたそのちょっとした差や隙間に、たかだかそんなことに、私は右往左往した。

「やっぱり行く!」

故意にトーンを少し上げて翻した自分にうんざりした。

地下鉄を乗り継いで着いたその友人の家はアメリカの青春映画に出てきそうな大きな一軒家だった。バカンスで両親が留守にしているというその大きな家に20人ほどの高校生が集まっていた。女の子の中には見覚えのある同級生も何人かいたが、学校とは別人のように仕立てられた姿に顔馴染というリアリティはなかった。猛々しく、サディスティックな音楽が部屋中に鳴り響き、アルコールの瓶が蓋を開けたまま至る所に散乱していた。

遼は友人たちに私のことを紹介してまわった。先程までの素っ気なさが嘘のように、私が思った以上に丁寧に、熱心に彼は私についてを語った。かなり好意的に、とても積極的に。私について語る彼と彼から語られる私に、嬉しさと戸惑いを混ぜ合わせ、照れ笑いと愛想笑いを折り重ねた。行き場のない私は遼の行動の後を追うように、冷めきったピザを齧り、乾いたフランクフルトを食べ、それを白ワインで流し込んだ。カッツという名前のラベルに描かれた猫が私をじっと見ていた。

メルボルンから南西に300㎞、オーストラリア大陸が海に浸食され、飲みこまれていくという奇景を目の当たりにできる、全長250kmにわたるグレート・オーシャン・ロード。その風光明媚を極める海岸通りの道沿いにある切り立った断崖と、海から突きでるように伸びた奇岩群の総称を「12人の使徒」と呼ぶ。元々、奇岩が12個あったためにキリストの12使徒になぞらえてそう名付けられたが、年月を経てこの奇岩群は風化、崩落し、今でも残るのは8つのみとなっている。しかし、オーストラリア有数の景勝地であることに変わりはなく、多くの観光客がここを訪れる。その混雑が億劫で、メルボルンに長く住んでいながらまだ一度も訪れたことはなかった。

「今から?夜でも4時間くらいはかかるんじゃないの?」

「だろうね」

だろうね、じゃなくて。

「いいじゃないか、4時間かかるなら、4時間かければさ」

と、マイクは言って、テーブルの上に置かれていた車のキーを握り、席を立った。

「マイク、待って」

足早に立ち上がる彼を呼び止めた。

「明日は日曜日だよ。ダメ?」

私たちはいつの間にか日曜日ではなく、土曜日に会うようになっていた。お互い、ゆっくりできるように。

「そうじゃなくて」と、言って口元を指差した。

「ケチャップ」

マイクは慌てて口元を拭った。

「女の子をドライブに誘うなら、そういうの気を付けてよね。失格だよ、マイク」とふざけてみせた。けれど、ケチャップが口元についているのを知っていながら、彼がいつ気付くかを眺めていた自分もまた失格だった。何と言うか、土曜日の夜を一緒に過ごしている、ガールフレンドとして。

「寝ててもいいよ」

マイクはそう気を遣ったが、眠くはなかった。それでいて、私は特に何かを語りかけたりはしなかった。「沈黙」は時によって温かい毛布のように自分を優しくくるむものだということを私はマイクから教えてもらった。高校生の頃、あれほど敬遠していたというのに。奇妙な表現になるが、私はマイクとの沈黙が好きだった。車内のラジオからは緩やかなカントリー・ミュージックが流れていた。ピースで、チャーミングな曲だった。曲を聴きながら、ケチャップを口元につけたマイクを思い出した。彼も、彼との時間もこの曲のようにピースで、チャーミングだ。

まいったな、と私は思う。

どうやら、私はマイクのことばかり考えている。

やがて、車はグレート・オーシャン・ロードの起点となるトーキーという街を通過し、海岸線を走り始めた。

「ユキミ、ユキミはどうしてベジタリアンなの?」

マイクのその唐突な質問に振り返りはせず、頬杖をついて外に向けていた顔を静止したまま思案した。「いつから?」ではなく「どうして?」。

大した話ではない。簡潔に話そうと思えばすぐに済む話だ。けれど、それは私の望むところではなかった。

「人に話すのは初めてだから、上手に説明できないかもしれない。長い話になってしまうかもしれない」

「さっきも同じようなこと言ったけど」

マイクは丁寧な運転をする。正面を見据えたまま、視線はこちらに向けない。

「たっぷりある時間はたっぷり使っていいんじゃないかな?」

まとまった量のお酒を飲むのは初めてのことで、私はあっさりと酔った。あれほどまでに気後れしていたのにも関わらずアルコールは思いのほか、私に勢いをつけ、自分でも驚くくらいに軽やかに立ち振る舞うことができた。教室から、この家にステージを移しただけだ、遼の友達だからと言って萎縮する必要はない、と鼓舞した。積極的に飲み続ける私を見て、まわりは煽るように私に次から次へとお酒を勧めた。

私はほどなくして、酩酊した。女の子のうちの何人かはすでに飲みすぎで、うずくまっている。そして、その彼女たちに対して周囲は介抱することなく、逆にちょっかいを出し、からかっていた。降参したい気持ちもあったが、その様子を見て、私は背筋を伸ばした。自分はこの中でもっとタフでいなければならない。もっとクールでなければならない。

しかし、そうした気負いもやがて消失した。遼の友人がシュリヒテ・シュタインへーガーというドイツ産のジンを冷凍庫から取り出した。キリキリに冷やされた陶器のボトルにはうっすらと霜を張っていて、ショットグラスに注ぐと、とろっとした粘性を持っていた。

「アルコール度数が高いから凍らないんだけど、こういうふうにちょっととろみが出る。ドイツの食前酒・食後酒の定番なんだ」

遼はそうジンの説明をした。そして、それだけだった。「飲んでみなよ」も「やめときなよ」もなかった。私はそのまま一気に飲み干した。続けざまに二杯目を飲み、そのままソファーに座りこんだ。部屋に鳴り響く音楽は加速度的にその獰猛さを増していき、ソファーの目の前に置かれたホームシアター用のスクリーンにはナチスをモチーフにした戦争映画が流れていた。遼も、遼の友人も、品のない言葉を並べ、品のない笑みを浮かべていた。雑魚寝する女の子は色白い太腿を幼稚園児のように露わにし、その奥には赤い下着を潜ませていた。

「馬鹿みたい」

誰にも聞こえないように、けれど、自分には届くように、私は小さくそう呟いた。

朦朧とした意識の中、目を覚ますと音楽は鳴り止み、照明は落とされていた。パーティーももうおしまいかと思ったけれど、そうではなく、リビングのソファーに何人かが腰をかけ、スクリーンを眺めていた。スクリーンには先程まで流れていた戦争映画ではなく、別の映像が映し出されていた。

「起きた?」

隣に座っていた遼が静かに声をかけた。

「私、どれくらい寝てた?」

「2時間くらいかな。朝まで寝てるかと思ったよ」

朝まで寝てたら良かったのに、というニュアンスがその言葉には含まれているような気がした。

「これは何なの?」

スクリーンに映る映像を指して、尋ねた。

「今日のメインイベントだよ。もともとこれをみんなで鑑賞するために集まったんだ。相当どぎついらしいから、雪見はやめといたほうがいいかもね」

私は頭の中に鉛が溶け出しているような感覚を覚えながら、映像に焦点を合わせられないままでいた。どうせポルノか昼間見たサイコな映画のようなものだろうと見当をつけていたが、そんな生易しいものではないということにすぐに気付いた。

黒装束に身を包んだカルト教団のような連中が並び、呪文のようなものを唱えていた。ありがちなオカルトかとも思ったが、その気味の悪い衣装も、繰り返される呪文も出来合いのものではなく、しっかりと作りこまれたもので、現実離れしている中に逆説的な真実味があった。少なくとも物好きな若者たちが興じたふざけたパフォーマンスではないということは容易に見て取れた。

映像は真っ黒な画面に切り替わった。彼らの呪文のような映像はイントロダクションに近いものだったのかもしれない。切り替わった画面から最初に始まったのは黒装束の男たちによるリストカットをはじめとした自傷行為の映像だった。私が言葉として、あるいは概念として知るリストカットではなく、目の前の映像は正真正銘の自殺未遂だった。その映像がしばらく続いたのち、次に黒装束を着たままの性交渉が始まった。私自身、その経験はないし、ビデオもろくに見たことがない。興味本位でちょっとアダルトサイトを除いたことがあるくらいだ。したがって、ノーマルとアブノーマルの境界線についても定かではないが、それでもスクリーンに展開されているそれが常軌を逸したものだということは明らかだった。すぐにでもその場から離れたかったが、アルコールが私に与えた重力は深刻で、仮に起き上がれたとしてもその途端に吐いてしまいそうだった。私は目をつぶり、その場をやり過ごすことに努めたが、時折、うっすらと目を開けて覗いてしまう自分がいた。怖いもの見たさという冒険心とも、それを見て面白がる遼を含めたまわりに対する強がりとも違う心理だった。映像に出ている黒装束たちは顔面を含め、全身を覆っていたので、表情からはその心情もこうした行為に没する目的も読み取ることはできなかった。けれど、黙々と続く自傷行為、性や暴力はそこに快楽を見い出すためのものではない、別の座標軸に従うものであるような気がした。まるで義務に沿うかのように、あまりにも淡々と繰り返される映像に、淀んだ快楽主義とは違う、けれども私には理解できない、意志と思惑の存在が脳裏をかすめた。そんなものないかもしれない、しかし、そうでも思わないかぎり、救われなかった。

そうした酌量が、狂気に理解を挑んだ幼稚な試みが、致命的だった。再び、目をゆっくりと開けた時、初めは何が行われているかわからなかった。何人かの黒装束が取り囲む中、中心には椅子が用意されている。椅子の上には拘束衣のようなものを着させられた猿が座っていた。猿は麻酔を打たれているのか、ぐったりとしていたが、呼吸が微かに身体を揺らしているのがわかる。

黒装束の一人がサバイバルナイフを一回り大きくしたような刃物を取り出し、一切の躊躇なく、まるで職人が魚を捌くかのように慣れた手つきで、前頭部から後頭部にかけてを大きく切り裂いた。それまでの映像と同じように、黙々と、淡々と。剥き出しにされた頭部を他の黒装束たちが菜箸のように細長い金属器でつついていた。それに猿の身体がぴくっと反応した時、私は重力を押しのけ、何もかもを凪ぎ倒し、そのままトイレに駆け込んだ。強引に流し込んだ胃の中にあったもの一切を洗いざらい、吐き出した。カッツも、シュリヒテシュタインヘーガーもピザもフランクフルトもあれだけ無理をしたのにも関わらず、吐き出されるのは一瞬のことだった。

しばらくの間、トイレの前で座り込んでいた。

悪夢であってほしかったが、今、自分が目にしたものは救いがたくリアルで、かつ、人間の狂気と悪意は何も寄せつけないまま、解き放たれていた。

「大丈夫?飲みすぎなんだよ」

と、遼は私の隣に座って、言った。飲みすぎ?どうして、この人は平然とこういうことが言えるのだろうと耳を疑った。彼は他人のことを何とも思っていない。ひたすらに自分だけを見つめ、ひたすらに自分のことだけを考える人間なのだ、と悟った。何もかもを便器の中に放り投げ、流してしまいたかった。

気付いたら明け方になっていた。家まで帰る電車はまだ走っていなかったが、この正気とは思えない家から一刻も早く出たくて、帰る支度をした。「独りで帰れるから大丈夫」と言ったが、結局、遼も一緒に出ることになった。

「まだ早いよ。家まで帰れないでしょ」と前を歩く私に遼はそう言った。

「ねえ、モーテルでちょっと寝てから帰ろうよ」

マクドナルドから遼についてあの家に行くことを決めた時点で、そういうこともあるかもしれないと予期していたし、もっと言えば、私が期待していたことでもあった。けれど、あの映像は割り切れるものではなかったし、それ以上に、もはや私は私ではなく、ましてや遼は遼ではなかった。

私はさっき、トイレで私のゲロと一緒にあなたを流したの。

どうしてそれがわからないの?

しかし、彼はそんな私を全く意に介さぬように、しつこく誘い続けた。無視で済む話だったが、私はヒステリーを起こしたかのように、徹底的にこの要求を拒んだ。彼はそんな私を見て、訳が分からないといった様子で白けていた。

それ以降、彼との関係は修復することなく、学校で目を合わせることすらなくなった。元の通り、勉強とブラスバンドのクラブ活動に精を出し、気が向いた時に茶道とシャドーボックスを母に習い、そして、ケバブとカリー・ヴルストを食べることはなくなった。食べることができなくなった。

「それ以来、お肉が駄目になっちゃった。はじめのうちは痛点のある動物が無理なだけだったんだけど、段階的にストイックになっていったわね」

それだけでなく、私はあらゆるものに一定の距離を置くようになった。例えば、生々しいもの、血が通っているもの、体温のあるもの、そういったものを自分の生活から圏外へと押しやった。根底に流れているのはあのベルリンの夜に植え付けられた、もしくは植え付けた、人間に対する不信感であり、私は生身の人間を介在するものを敬遠するようになっていった。27歳になった今でも処女であることも無関係ではないだろう。

「日本はベジタリアンにとっては住みにくいところだって聞いたことあるけど?」

「そうね。そのあたりは他の国に比べて遅れてるかもしれない」

ベルリンの高校を卒業後、私は両親とともに帰国し、日本の私立大学に進学したが、うまく馴染むことができないまま、読む気もない本のページをパラパラとめくっているだけのような日々が宛てもなく続いた。問題は自分にあることはわかっていたが、それを棚に上げ、まわりのせいにしたり、周囲の学生たちを一方的に蔑み、軽んじることでどうにか自分を保とうとした。けれど次第にそれも馬鹿々々しくなって、程度のいい壁をこしらえ、その内側で私は黙々と生活に集中した。ベルリンでの日々とまさに対極に位置するようなその時間はある意味で自分を強くさせたかもしれない。まわりの目というものを常に気にしていた私はその束縛から抜け出し、情報や大局に流されず、踊らされず、鍛冶職人のように在りたい自分の像を研ぎ澄ませていった。その過程において、ベルリンのあの夜に芽生えた人間不信はさらに強固なものとなっていった。誰からも踏み込まれたくなかったし、誰にも踏み込みたくなかった。

ほどなくして大学を中退し、バックパックを背負って、世界を旅した。私にとって、旅は非日常への投身ではなく、自分の居場所を探すための切実な作業だった。無数にある鍵穴に一つずつ鍵を試していくようなその旅をアジアとオセアニアを中心に半年間続け、行き着いた先がこのメルボルンだった。

両親に頼みこみ、メルボルンの大学に再入学するための学費を借りた。そして、私は大学に通いながらアカデミックな領域やスピリチュアルな精神世界に積極的に傾倒するようになった。物事が頭の中や机の上で処理される世界は誰にも邪魔されることなく、思う存分に耽ることが許され、自己満足は無限にループした。ところが、現実は遠ざかれば遠ざかるほどに、より濃くまとわりつき、より重くのしかかっていった。自分が現実的にいかに無力であるか、その自覚を拭えぬまま、また、かなぐり捨てるほどの勇気も持てないまま、手のひらの上のコンパスはくるくると回転し、指し示す方向を見失っていた。だからこそ、大学が休みの間に訪れたボリビアのアマゾンでテッペーに言われた言葉は私の武装をかいくぐり、痛烈に突き刺さった。

「俺がその金をボリビアの貧困層のために使ったら、そこそこの数のマジな命をマジで救えるぜ」。

あながち、的外れでもないだろう。

マイクは私の長い話に特に何も述べなかった。丁寧で優しい運転をじっと、そっと、続けた。

「着いたよ」

車を停車し、使徒がよく見えるところまで歩いていった。まだ辺りは暗かったけれど、月明かりに照らされた奇岩群を肉眼で確認することができた。海の中に立つ使徒の中には突き刺さるようにシャープに聳える者もいれば、ずんぐりと野暮ったく佇む者もいた。私はその野暮ったい方の使徒のことを気に入って、心の中で彼を「マイク」と名付けた。マイクは他の使徒たちに比べて不格好だったし、迫力はなかったけれど、いつまでも眺めていられる安心感のようなものがあった。

「ねえ、マイクはどうしてベジタリアンなんだっけ?」

マイクは使徒と海を見続けている。丁寧で優しい眼差しをじっと、そっと、注いでいる。

「僕はユキミみたいに価値観がひっくり変えるようなことがあったわけじゃないんだ」

風が海をくすぐるかのように柔らかく吹いている。くすぐられた海は使徒を撫でるかのように優しい波を立たせている。海も、使徒も、じゃれあうように無防備で、寄り添うようにお互いがお互いに委ねている。

「それに本当は食べられないわけじゃないんだ。たまに祖父や父が庭で鶏を絞めるんだけど、そのチキンはむしろ美味しく食べられる。最近は絞めることもあんまりなくなったけどさ。ただ、スーパーマーケットに整然と並ぶパッキングされた肉や魚を見ていると、そいつらと僕の間に何か大切なものが抜け落ちてるような気がしてならないんだよね。何だか気分が沈んで、それを食べようと気持ちにならないんだ」

「何か大切なものって?」

「そうだな…、言葉で言うなれば敬意みたいなものかな…」

「敬意」

その言葉は私がベルリンで見たもの、黒装束たちが猿に行った行為と正反対にある言葉だった。

「細かく切断された肉がどのようにして、どのような道を経て、今自分の目の前にあるかっていうことを僕は知らないわけだ。そこには命と命の間にあるべき軸がすっぽり抜けてるように感じちゃうんだよね。その軸っていうのは言い換えれば僕にとって敬意なのかもしれない」

しかし、翻って私はそうした敬意に相当するものを持ち合わせていただろうか。

「僕はできるだけたくさんのものに、できるだけたくさんの敬意を払って生きていきたいんだ。例えばさ、今、僕の隣にユキミがいることってものすごくグレイトなことなんだよ」

あと30分も経てば夜は明け、一面は朝陽に照らされるだろう。そして、この美しい景観はもっと鮮明に、もっとビビッドに映し出されるだろう。

「ユキミ、敬意を表する」

「なにそれ?私、もしかして告白されてるの?」

けれども、夜明け前の、この移ろいゆく群青色の世界がもう少しだけ続くことを願った。今、朝陽に照らされたら、私はマイクの前でどういう顔をしていいのかわからない。

「まあ、そんなようなものだよ」

「変なの」

違う、そうじゃない。夜明けとともに訪れるのはもっと柔らかい生き方であり、もっと優しい時間なのだ。海を柔らかくくすぐる風のように、使徒を優しく撫でる海のように、シンプルに、ナチュラルに。

マイクはその大きな手で私の肩を抱き寄せた。マイクの体は涙が出るくらいに温かった。

これから私はこのぶきっちょなマイクとキスをするのでしょうか?

私はマイクと名付けた使徒にそう問う。

マイクと名付けられた使徒はそのずんぐりとした体を崩さずにただ黙っていた。
 
なにせ、久しぶりだから緊張しちゃって思わず聞いちゃったけど、ごめん、やっぱりいいわ。今のは忘れて。

私はマイクにキスをした。ありったけの敬意を込めて。




こんにちわ、山本ジャーニーです。秋葉原で多国籍料理店を経営しているものですが、文章や小説を書くのも好きです。今まで様々な文章を書いてきましたが、小説Journey×Journeyはこれまでの集大成とも言える作品です。旅と世界を想像しながら楽しんでいたけますと幸いです。