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このブログは、
「生涯、荒唐無稽!」を掲げ、
ジャーニランという200~500kmを走るというクレイジーなレースにおいて、
その最高峰を目指すとある男の実録である。

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■ 今日は朝からPDCAの会、3名のパーソナルトレーニングを行った合間に、読書会に参加していました。

今日は情報量が多いので、こと細やかに取り挙げることはしませんが、
総じて、「人の感性をインプットした日になった」と感じています。


■ 人は生きていれば、さまざまな情報に出会い、そこから感化されます。
どんな情報に反応して、どのような感情を生み出すのかは、人それぞれですが、さまざまな情報をインプットするにつれて、
自分や他者も含めて、客観的に物事を見る機会になっているように思います。

先に述べた、どの活動にも、そして、その合間に訪れたマクドナルドでの一幕や電車の中での人々の視線や行動においても(詳細は長くなるので書きませんが)、
それぞれ、情報を見たり聞いたりして、感情が揺れ動きます。

当事者になれば、気づかない、もしくは気づかないふりしていることも、
ゆっくり深呼吸をして、一歩引いてみれば、自分や他者が分かるような気がします。(表現が稚拙でわかりづらいこともあるかもしれませんが)


ここで書いたようなことは、どれも「自分 対 外部情報」の構造の中で起こる化学反応です。

外部と接することで分かることもありますし、自分自身のことが明確になることもあります。


■ 僕がメインで活動している走ることは、これとは対照的に、
常に対面しているのは自分自身で、自分で自分の行動を決め、随時自分と対話しながら感じていきます。

他に邪魔されることが基本的にないので、走る世界に没頭、没入できます。
(一言で言うと、オナニーなのですがw)

外部からの影響を受けにくい環境下だからこそ、
自分とより対面することもあります。

大体は身体的側面や仕事などのことを考えて、気づくことなど、
ヨガや瞑想といったメディテーション的役割を走ることもになっています。



先で書いた、人と人との衝突や、人と外部情報との衝突とはまた違い、
走ることやメディテーションなどは、どちらかというと、
情報や感情の整理的役割があるように思います。


今日もお読みいただき、ありがとうございました!

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